葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

水出先生のこと。

2014-08-20 18:29:52 | 信州、なかでも上田。

 兄の几帳面さは私にはないもので、自分の日記から「小池家(私の旧姓)」

の「歴史」を抜き書きしたものがあります。

 

 その昭和28年3月25日(水)に、

「清司(私の名)が受験した上田高校の入学試験発表を見に行くが落ちる。

26日朝、一中(上田市立第一中学校)の水出先生が見え、「清司君が落ち

る筈がない。何かの間違いだ。暫く待って呉れ」とのこと。

 との記述があり続いて、4月8日付に、

「清司の上田松尾高校(当時の名称)全日制の『入学許可通知書』が到着。」

 とある、10日には、

「清司が上田松尾高校に入学で父が同行。補欠7名(内女1名)の話が校長

よりあり。担当は真山先生。」

 

 以上が兄の日記にある私の高校入学の経緯です。

 ここで先生が言われた「落ちる筈がない、何かの間違いだ」の間違いが先生

の口から語られたのはこの後、48年後でした。

 「落ちる筈がない」当人の私は、何かの大きな間違いをしてしまい、合格点に

達しなかったのだと思いこんでの48年間でした。

 こういう事情があって県内でも有数の進学高校であった高校生活にはあまり

思い出もなく、高校卒業後は高校ばかりか中学校の同級生との繋がりも二三

人の友との賀状くらいでした。

 

 ある夏、帰郷の際その友人の一人に電話をしたところ、「水出先生が小池に会い

たがっている、いま直ぐ電話をしろ!」と電話番号を教えてくれました。その場で掛

けて耳にした時の先生の声は今でも耳に残っています。

 「小池か!すぐ来てくれ。俺は君に話さなければ死んでも死にきれないことがあ

るんだ」と。

 丁度一緒に帰郷していた弟の車で向かいました。

 

 そこで聞いた話。

先生は「当時、箝口令が敷かれていて言えなかった。君は合格していたのだ。 君が

落ちたと知って俺はそんなはずがない、これは高校側になにか間違いあったのだ。

教師たちも集まって検討した、同じ結論だった。高校側の状況を知りたいと思って、夜

遅かったが良く知っている高校の先生の自宅に行って事情を話した、調べてみるとの

ことで、その結果分かったのは数字の写し間違いだった。」

 各科目の合計900数十点の9を7と見間違えていたのだそうです。

先生の怒りはそこから始ります、当然合格者にするべきだ、と。 しかし高校側は既に

発表したあとで、訂正が出来ない、補欠者として入学させたい、と。

 「高校の校長が謝りに来る、という。俺が校長がきたら殴ると言ったのだ、どうしても我

慢ができない。」

 それで、先生は「水出を表に出すな」ということで、向うの校長とは会えなかったそうです。

「それからこの問題には箝口令が敷かれたのだよ。お前にもお前の家族にも、言えなかった」

 それでも、それから45年くらいたってからは、私の同級生の誰彼には 「実は小池は…」 と

話をしていたようです。 先の年賀のやり取りをしたいた友人もその一人でした。 

 

 「水出安雄」で検索してみたら、

http://ydoffice.asablo.jp/blog/2014/08/17/7416071 などがありました。

コメント (7)
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