昨日、上田の中学校の同級生からのメール、「きょう水出先生が亡くなった」。
干支で私たちのひと回り上ですから、89歳です。 一昨年の賀状に「もう賀状は
だせない、来年から失礼する」とあり、昨年からありません。
この先生について、
猪瀬氏と「言い訳」と先生のこと。 (2014-01-06) で触れました。
この「先生」が水出先生です。明後日の告別式で最後の別れとなります。
さて、昨日の中川村曾我村長の 「黙ってはいられない」 の内容です。
冒頭 ≪私は会社をやめて、田舎暮らしをしたいと思って、中川村に来
ました≫ と述べています。経歴紹介 “1955年生まれ。京都大学卒業後、
広告代理店勤務を経て、2005年から現職(3期目)”です。
村長としての発言、≪安倍首相は、(略)地方切り捨てをはばかりません。
「美しい国」と言いますが、実際には美しさは村に宿っていて、それこそが
大事なのです。美しい村を破壊するなら、そんなものは価値のない国です。≫
≪安倍政権は集団自衛権行使を容認する閣議決定をしましたが、行使を容
認する限り、私は積極的に自衛隊員募集をすることができない。行使すれば
村の若者がアメリカの戦争の下働きをさせられ、命の危険にさらされることに
なります。もし亡くなることが起きてしまったら、“募集に協力した自分のせい
だ” と思わざるをえません。≫
≪長野県南部は、国策に協力して満蒙開拓団に多くの人を送りだしました。
首長たちを含めて当時の人たちは、みな空気を読んで与えられた役割を
まじめに演じあい、互いにがんじがらめになっていったのでしょう。またそう
なってしまわないよう、おかしなことにはおかしいと言わねば、と思っていま
す。≫
≪さまざまな国民の運動の高まりには、真の意味での国民主権の国を生み
だそうとする力を感じます。一方で、集団自衛権が行使されれば、国民がも
のも言えない雰囲気が一気につくり出されてしまうかもしれません。
日本はそういう岐路に立っています。だから今こそ、みんなが声をあげるの
が大事なのではないでしょうか。≫
満蒙開拓団には1932年に第1次移民39人が県下より参加しています。
1939年には旧大日向村が吉林省に220戸入植で全国初の分村。1942
年には第11次移民で、義勇軍980人は全国一位でした。
長野県からの満蒙移民に関してこんなブログがありました。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/110533aee0f939432a04de5d313c74b8