葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「てんがらもん162回」 椋先生の目で現代を見る。

2015-04-16 22:54:25 | 「てんがらもんラジオ」

   今回のゲストの畠野さんは椋鳩十さんの文学精神を拡げることに尽力されている方ですが、今日のお話を聞いて私の常識に変化が生まれました。そのことから感想を述べたいと思います。

   畠野さんは新聞連載の記事から18年前の神戸での中学生殺人事件に関して、子供の育て直しが必要との専門家の話を紹介しました。それは子供の育つ過程での「愛着障害」に関してです。ヒトが人間として成長していく過程で両親、特に母親の影響が大きく幼児時代に「前意識」(フロイトの精神分析の用語)として形成され、心の底に生涯残り続けるそうです。

 神戸の事件を振り返っての話ですが、そのなかで「加害者の立場に立つ」ということが言われました。それを聴き、私たちの常識として防犯という時、どうしたら被害者にならずにすむか、ということに関心が向きますが、どうしたら加害者を生みださないようにするか、という問題意識が大事ではないか、と思いました。それで事件について「検索」してみて元裁判官の方が少年犯罪について「なぜ?」が大事なことだと言っておられました。

 悲惨な若い世代による犯罪が後を絶ちません、これらの若い犯罪者も私たちと同時代の同じ日本社会の中から生みだされてくる若者です。被害者への配慮を前提にしながら、これらの若者を見る同時代を生きる者としての視点が大事だと思います。

 その視点とは、椋鳩十さんが文学者として教育者として強調された次のことばです。

 「見る 聞く 読む は 人間をつくる三大要素である」

 その少年少女が「何を見て、何を聞き、何を読んだか」は、人間としての彼彼女をつくって来た要素を知るうえで鍵になるということでしょう。言うまでもなく今目の前の幼子が「何を見、何を聞き、何を読んでいるか」も問われることです。椋さんは「母と子の20分間読書運動」をすすめられました。私は母親が子どもに読み聞かせるのかと思っていましたが、反対に子どもが読むのです。その姿を想像するだけで、母親と子供の心からのつながりを見る思いがします。

 椋先生は鹿児島の離島や僻地をしばしば訪れていた話を思い出し、前回の池田さんも同様な演奏活動をされていたことを思いました。自然と人間の交流のなかでこそ人間性あふれる文化が育つ、自然が人間の心を解き放し、文化が人間を高める、そんな魅力が鹿児島の風土かと思います。

 そしてそんな風土に魅せられた椋さんが、さまざまな力に追い込まれた子どもに「寝小便体験談」を披露したことは、さすが!そしてなるほど!と思いました。5月には椋さんの生まれ故郷長野県喬木村で文学交流が行なわれます。その報告も兼ねて椋文学と久保田彦穂(椋鳩十本名)の「前意識」を育てた信州の魅力を聴かせてもらう機会があれば有難いと思います。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする