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今回のゲスト、溜夫妻を前回の放送で紹介された時「たまり」を玉利と聞き、♪もしも…♪のCDを自主製作された玉利さん夫妻が目に浮かびました。特に番組のなかで奥さんのご主人に向ける眼差しが浮かんで来たのです。言葉にすれば愛と信頼の眼差しと言うことですが、命の支え合いを通じて培われた眼差しに誠に夫婦として深く豊かな年月を感じさせてもらったのでした。
そして今回の溜夫妻、夫の義雄さん87歳、妻の喜佐子さん83歳の場合もそんな夫婦の命のやりとりの深さと豊かさを教えてもらいました。
溜さんの奥さんの場合は、義雄さんが20年前肺ガン続いて胃ガンを患うのですが、肺をとった身体での胃ガン、余命5ヶ月との医師から聞いた時、「主人には言わない!」と腹を括ったと言われました。
実はこの一言で私の認識が変化したのです。
前回の「てんがらもん」の視聴で自分の常識に変化が起きたとブログでつぶやきました。今回の変化は自分の命は妻と共有している、ということです。それまで自分の命は自分のものだから、もしガンなどで余命何ヵ月などと言うことになったら、きちんと伝えてもらう、と思っていました。その基本に変わりはありません。
ただ溜さんの奥さんの覚悟は夫の命を預かったということでしょう。そういう立場、姿勢は自分のものと思えなければ出てこない覚悟だと思います。勿論ここでいうのはガン告知の可否のことではありません。夫婦のお互いの命はお互いが共有し合っているという事実に気付く瞬間のことです。
偶々玉利夫妻も溜さん夫婦も大病とその介護体験を経ての話ですが、生き死に関わるような病気などを経験しなければ分からないことか、と言えばそういうことではないと思います。
つい最近知人の夫婦、90代の夫を亡くした妻の思いを知り考える機会もあり、高齢者夫婦の姿を通じて夫婦の生死観などに考えが向かっていたのです。夫婦とはお互いの命の共有者といえるのではないでしょうか、溜さんの奥さんの一言からそう言いきっていいのだろうと思います。