辻井喬 『命あまさず』 を読んでいて気付かされたのが記憶力の低下です。確かにはじめて開いた本ではない、書き出しの部分は記憶にありました。だいたい数ページでやめていたと思っていました。
ところが途中で書き込みがあったのです。
あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
波郷の句です。
小説のなか秋幸こと波郷が年上かと思われる出版編集者の女性との接近の予感のなかで誕生祝の薔薇を撰んでいる場面。その余白にこの句が書かれ、句の載せられている本の頁が書かれていました。
まるでそんな記憶なしにそれを見て、いささかギョとしました。それで最後まで頁をめくって見ましたが書き込みがあるのはそれだけです。ここまで読んできて、場面からこの句を思いだし本をめくって該当句を記したのです。
本は 『現代俳句文学全集 石田波郷集』 で「銀座千疋屋にて」の詞が添えられて、 この句のあとに、
雷すぎしことばしづかに薔薇を撰る
も載っていました。
この小説にいつも新鮮な思いで臨めるのでその都度新しく読んでいる気持ちになる、と考えてしまうのもひとつの考えでしょうが、これは記憶力の減退の証明でしょう。
明日は資本論の勉強会です、頭蓋骨のなかの老脳味噌に漬け込まなければならないので、少しかき混ぜる作業に時間をとります。
薔薇を撰ぶ場面の紹介は明日に。
kaeruなら何色を撰ぶだろう、赤は決まった人、白は恋情に無縁な人となると「接近の予感」という場合では黄色にすると思いますが、波郷は何色を選んだのでしょうか。