南アルプスと「資本論」をむすびつけたのはこの人です、
いや不破さんが結びつけたわけではなくkaeruが本棚から出して資本論=不破さん=南アルプス、という式を考えたのです。一昨日「資本論」を読むことと山登りを結びつけてつぶやいたこともあり、思いつきとしてはそう無理はないでしょう。
それに雑誌「経済」の今宮さんの話の続きとの繋がりも合うのです。
今宮さんは、マルクスが株に投資して損をしたので、その体験からの結論としてこの次のように指摘している、として、
《 信用制度の発展につれて……大きな集中された貨幣諸市場がつくりだされるが、それは同時にこれらの証券の取引の中心地でもある。銀行業者たちはこれらの取引業者連中に公衆の貨幣資本を大量に用立てるのであり、こうして賭博師一味が増大する。》《銀行および信用は……恐慌とぺてんとのもっとも有力な推進力となる》
を引用しています。
ここの部分は『資本論』では第3巻の第32と36章に出てくるのです、現在第2巻の第14章を終えた(ことにしている)段階ですから、この先はまだまだ、山登りでいえば何合目あたりか?
「資本論」全3巻で98章あります、第2巻第14章までで39章分です、一応四合目まで登ったと言えるでしょう。そういう地点で第3巻の第32とか36章あたりの説明を読むと、そのあたりまで読み進めたいと思います。
一昨日のマルクスの手紙では相場で400ポンド儲けたとのこと、その金額の意味するのは、この表が教えてくれます。
これは今宮さんの書かれたものに紹介されているのですが、次の説明が付けられています。《 当時イギリスの中流家庭の生活は年間200ポンドあれば十分とみられていた……》《 64年から65年にかけてエンゲルスの援助がなかったのは、64年5月9日、1846年いらいふたりの親友ヴィルヘルム・ヴォルフが死去し、その遺産がおおくマルクスに贈られたからだと思われる。》
このようなことを知ると「資本論」がマルクスが書斎や大英図書館に座って書物に埋もれて書いていただけでなく、当時の経済活動の生きた現実のなかで書き続けていたものだと知れます。それだけにを今の四合目から書かれた第3巻のその辺り・八合目辺りまで目線を送ることができます。
その辺まで行けがどんな光景が見られるかを期待しつつ登る登山者の気持ちに通ずるのではないでしょうか。