今夜の「真田丸」の「歳月」については見てません、一週間遅れの昌幸の死についてです。タイトルの……の部分は「椋鳩十の死」と入れようと思います。
さて、昌幸の死について平山さんの『真田信繁』から、
【 晩年の昌幸は、寄る年波と病気により気力が衰え、望郷の念にかられ、ひたすら赦免を待ち望む気弱な老人になっていた。そこには、武田信玄が、「真田はわが両眼の如き者」と愛し、豊臣秀吉が「真田は表裏比興之者」と評した知謀の名将はもはや微塵も見られない。】
と書かれています。
ならば、ドラマの草刈正雄が臨終の床で演じた騎馬のひづめの音いななきを聞き、「お屋形様!」と腕を差し出す姿はまったくの虚像だったのか。平山さんが歴史家として残されている昌幸文書を読み解き最期の昌幸像を想定されるのは根拠のあることでしょう。とはいえ、ドラマ的な昌幸臨終像もありえたと思います。
ひとつは「kaeruのつぶやき」でも紹介しました昌幸が病床で見ていたと思われる悍馬です。【その馬を眺めて病中の慰めにしたいと述べている】ことです。目の前にいる馬の姿は死に臨んで人馬一体の実像となっていたでしょう。
ここで、椋鳩十の最期の言葉を引いてみたいのです。
戦国最後の武将というべき人物と昭和期の児童文学者の死を並べるのもどうかと思うよ、との声も聞こえるようですが、人間の最後に違いはありません。その時何が人の脳裏を充してくるのか、椋鳩十の言葉からは松風と生まれ育った信濃の山村、人生の大半を置いた鹿児島の村々の人家の灯、それらがあったと思えるのです。
昌幸も面前に信玄が現れても不思議はないでしょう。