コロナ禍のニュースそれも世界的な広がりのなかで、ウクライナを巡る戦争か?の動きが加わる、すると健康診断の結果ですと「大腸がん」と「前立腺」の要検査が加わります。
世界を見てもわが身を見ても暗い、そのうえ春の訪れが遅い。明るい話はないかと、ネットを見たら「あの世は明るい(かも知れない)」と、そういう話に引き込もうとする人もいますので要注意です。
そこで増本一彦さんの話です。
去年の12月18日の「kaeruのつぶやき」で増本さんとお会いしたことを書きました、その後私の弟が増本さんと正月だったかにお会いした時このブログを見てもらい「実兄です(苗字が違うので)」と話したら、近いうちに会うと、言われたそうです。(弟は増本さんが代表を務めている団体に関係しています)
しかしその機会が来る前に亡くなられました。
話しあうべき共通の課題があったわけで、それは相手が亡くなったことで課題も無くなったわけではないのです。それどころかその課題を託されたわけです、託された者がいかに心許ない者であっても亡くなった人の視線を感じれば、これはもうドッコイショと背負う、周りの人々にも声をかけながら……、そうしてくれという声を耳にしながら、ということになります。
そこで思うのは世に「死後の世界」というと「あの世一辺倒」なのは「この世の者」が亡くなった者の背中しか見ていないのではないか、彼のまたは彼女の視線を受けとめる場、それはこの世のことだ、という思いです。