まず、『吾妻鏡』治承四年八月二十四日〔『現代語訳吾妻鏡』〕
武衛(源頼朝)は杉山の内の堀口辺りに陣を構えられた。大庭三郎景親は三千余騎を率いて再び追ってきた。頼朝は後方の峰に逃れられた。
〔石橋山の敗走の始まり、そして〕
景親は頼朝の跡を追って峯や谷を探しまわった。ここに梶原平三郎景時という者がおり、確かに(頼朝の)御所在を知っていたが、情に思うところがあって、この山に人が入った痕跡はないと偽って景親の手勢を引き連れ、傍らの峯に登っていった。〔これが13日放映の冒頭〕
以下は第6回のリポートです(「サライ」による)、
文中の三浦一族についての記述に注目して下さい。