テレビ「八重の桜」を見ていたら慶応3年(1867年)と、字幕に現われた
ので、以下今日の「資本論」はそこから……。
後藤象二郎は、慶応3年(1867年)坂本龍馬から大政奉還論を
聞いて感銘を受け、6月22日(西暦7月23日)薩土盟約が締結、(が)
9月7日(同10月4日)に盟約は解消。(ゴシック部分はWikiより)
その頃です、イギリス・ロンドンでは……。
1867年7月25日、カール・マルクスはすでに印刷所に出してあった
『資本論』 第1巻の「序言」を書き上げ最後にこの日付を記しました。
この日付のまえに、あの “ なんじの道を進め、そして人々をして語るに
まかせよ!” があるのです。 なお、「序言」は「私がここに第1巻を公刊
するこの著作は、1859年に刊行された私の著書『経済学批判』の続き
である」ではじまっています。
この 『資本論』 第1部にマルクスは当時の日本の状況を何ヵ所か
で書き込んでいるのですが、そのことは後で触れるでしょうから、ここ
では1858年10月8日のマルクスからエンゲルスへの手紙の「日本」
について、「ブルジョア社会の本来の任務は、世界市場を作りだすこ
と(略)。世界はまるいので、このことはカリフォルニアからオーストラ
リアの植民地化と、中国と日本の開国で終結するように見える」と書
いています。
ですから、マルクスは『資本論』の前書『経済学批判』の段階でブル
ジョア社会の本質を分析し、その行き着いた先の「日本」を「世界史的
な考察の一部にその位置をしめる存在として」(不破哲三さんの指摘)
みていたのです。
イギリスからはじまった資本主義社会が地球を覆いはじめ、その市
場化を「世界の果て・日本」にまで行き渡らせたことを、まるで地球儀を
抱きかかえるようにしてマルクスはつかんでいたのです。
今週の「あまちゃん」は「おら、ドキドキがとまんねぇ」です。kaeruの
心臓はこういう 『資本論』 にドキドキするのです。