kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「名越え」は「難越え」とか。

2013-05-22 15:53:16 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 「鎌倉歩き」で初めての写真入りです。

 「名越」は「難越」が変化したものとか、持っていった本の説明を読みなが

ら、昨日(5月21日)歩いてきました。

 

 まずは逗子市の法性寺の山門、「猿畠山」と掲げられています。

 

寺の裏が墓地、「大切崖」を背景にしています。

 

「大切崖」の端、すこし分かりにくいが登り口が……。

 

ところどころに「案内板」があります。

 

普段は入れないだろう「まんだら堂・やぐら群」への道の入り口に。

この機会を逃すことはないでしょう25か26日には…と思いながら、

写しました。

 

「難」の一字と「要塞」の機能を今でも示している。

 

ここが出口=鎌倉からの「入口」、鎌倉市大町5-19-12でしょうか(グーグルマップで)。

 

次は「まんだら堂・やぐら群」の報告になるでしょう。


「商品」に問う、「お前の正体は何か」と。

2013-05-21 14:17:02 | kaeruの『資本論』

 宮沢さんが「商品」で、苦しんでいます、「やはり、“商品” という概念はなか

なか手強い」と。 そこで、 劇作家らしくこんな光景を描きます。 

 寿司屋の店内、客の注文に応じて鮨を握っていた店の主人が、突然、自分

の握った鮨を客に出さず自分で自分の口に入れる、作るそばから。

客は立ちあがり「親父さん、どうしちゃたんだ」と叫び、女将さんが「あんたあ」

と声を上げる。

 書きこまれる言葉、「自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる

 人は、使用価値はつくるが、商品はつくらない、そこには交換価値がない」

 

  宮沢さんは自分の本(『「資本論」も読む』)を、宮沢章夫vs『資本論』の格闘

のドキュメントとして読者に呈しています。 『資本論』を読むということは知的

格闘技ということです。 それだから「資本論入門書(『猿でもわかる資本論』と

か)」で、「わかった」ような気持になったとしてもその「わかった」はなんだろう

と、「わかった」のなら『資本論』は読まなくてていいのだろうか、と問いかけて

います。

 

 以下はkaeruのつぶやき=相撲の話から。

 勝っても観客から拍手の起こらない勝ち方、負けても大きな声援がわく勝負。

格闘の目的は相手に勝つことと自分に力をつけること、だから相手に勝てなく

なった時期というより、勝負を通じて自分に力がつかない、と感じた時が引退

の時なのでしょう。

 知的格闘での引退時期は体力に依拠する格闘技とはかなり異にするでしょう。

とはいえ知的能力も広い意味での身体能力の一部ですので、いずれ引退時期を

向えます。 しかし、その時期は無限に、同一とは言わないにしても身体の死期に

近いのではないでしょうか。

  『資本論』はそういう相手として史上最強・最適の手強い相手です。


ドキドキの『資本論』。

2013-05-20 17:39:22 | kaeruの『資本論』

 テレビ「八重の桜」を見ていたら慶応3年(1867年)と、字幕に現われた

ので、以下今日の「資本論」はそこから……。

 

 後藤象二郎は、慶応3年(1867年)坂本龍馬から大政奉還論

いて感銘を受け、6月22日(西暦7月23日)薩土盟約が締結、(が)

9月7日(同10月4日)に盟約は解消。(ゴシック部分はWikiより) 

 その頃です、イギリス・ロンドンでは……。

 1867年7月25日、カール・マルクスはすでに印刷所に出してあった

『資本論』 第1巻の「序言」を書き上げ最後にこの日付を記しました。

この日付のまえに、あの “ なんじの道を進め、そして人々をして語るに

まかせよ!” があるのです。 なお、「序言」は「私がここに第1巻を公刊

するこの著作は、1859年に刊行された私の著書『経済学批判』の続き

である」ではじまっています。

 この 『資本論』 第1部にマルクスは当時の日本の状況を何ヵ所か

で書き込んでいるのですが、そのことは後で触れるでしょうから、ここ

では1858年10月8日のマルクスからエンゲルスへの手紙の「日本」

について、「ブルジョア社会の本来の任務は、世界市場を作りだすこ

と(略)。世界はまるいので、このことはカリフォルニアからオーストラ

リアの植民地化と、中国と日本の開国で終結するように見える」と書

いています。

 ですから、マルクスは『資本論』の前書『経済学批判』の段階でブル

ジョア社会の本質を分析し、その行き着いた先の「日本」を「世界史的

な考察の一部にその位置をしめる存在として」(不破哲三さんの指摘)

みていたのです。

 イギリスからはじまった資本主義社会が地球を覆いはじめ、その市

場化を「世界の果て・日本」にまで行き渡らせたことを、まるで地球儀を

抱きかかえるようにしてマルクスはつかんでいたのです。

 

 今週の「あまちゃん」は「おら、ドキドキがとまんねぇ」です。kaeruの

心臓はこういう 『資本論』 にドキドキするのです。


『資本論』、じょじょじょの序文。

2013-05-19 21:01:09 | kaeruの『資本論』

 宮沢さんは “ そもそも「序文」とはなにか ” と書きはじめ、かなり入れ込

んで「序文」の内容を書いています。

 そのことはあとで触れるとして、私も序文はよく読む必要があると思いま

す。 以前、ネットで「資本論」を漁っていましたら、「序文などまったく読む必

要なし」と述べいきなり「本文」の解読に入っていくものがあり、嫌な気持ち

がしたものでした。

 「序文」は門から玄関へのアプローチのようなものではないでしょうか。

 その家に住む人の雰囲気がその間の様子を通じて感じとれるのです。

もともと「序」という文字は「垣」を意味していたそうで、「門ー玄関」という

感じに通ずるところがあるでしょう。 ですから、「じょじょじょ」と「じぇじぇじぇ」

の悪乗りをしたような書き方も満更それだけでもないのです。

 その「序文」で宮沢さんが強調しているのが、

 マルクスがこの本(『資本論・第1部』)は最初の部分(「第1章「商品」)

以外はそんなに難しくない=第1章は難しいといっていることについて、

「商品を精緻に分析するにおいてそうとしか書くことができず、~こういう

叙述でしか「商品」を描けなかった」と結論づけたことです。

 宮沢さんは経済学者ではないし、この本(『資本論』も読む)は、読者に

『資本論』の「解説」を目的としている訳でもないので、この「結論」につ

いては「そうなんです」でいいでしょう。


アキちゃんでもわかる『資本論』。

2013-05-18 20:58:37 | kaeruの『資本論』

 『高校生からわかる「資本論」』 という本があります。

そして、天野 秋は高校生である、ということです。

ならば、天野 秋でも『資本論』がわかる。

ということを言っても、そう間違いではないでしょう。

 

 でも、高校生が “「資本論」がわかる” とはどういうことでしょう。

 宮沢さんの本に、高校時代に友人らが「価値形態論」や「商品の分析」が

いかにも難解でそこらで挫折する、ことについて「もちろん文章の難解さは

あったかもしれないが、“ 労働 ” という概念がわれわれには身体的に理解

できなかった部分があったのではないか」と述べています。ということは高

校生に『資本論』の理解は不可能ということですか?

 『高校生からわかる「資本論」』の書き手の池上彰さんは、その本を書くた

めに、高校生や卒業生に集まってもらい授業形式で解説し、それをもとに

本にした、そうです。その「授業」には出版社の社長や出版部長も出席した

のです。それによってこの書名が「看板倒れ」にならない、という書き手・出

版社としての自信になったのでしょう。

 “ 労働 ” という概念が身体的に理解できなくっても「価値形態論」や「商品

の分析」は理解できる、ということがいえるわけです。

 ましてや、アキちゃんは現役の海女という出来高払いで働く労働経験者です。

 故に()、「あまちゃんでもわかる『資本論』」はタイトルとして看板倒れでは

ない、といえます。

 すこし甘いか。 


「発信する」ということ。

2013-05-17 16:25:56 | 本のひと言

 こりゃ、何だ? 見たとおり「かもがわ出版」のHPの頭です。  

 なんで、このブログに? 下の文字の部分が良いのです。 「本」を「ブログ」に読み替えてみ

ます「――」のところまでですが、どうでしょう。 あるいは「本」のところを「資本論」に読み替えて

みます、これは宮沢さんの言う「野望」(「いま、『資本論』を読むことはあきらかに野望である」)

です。

 この顔写真は誰れ? 元「超左翼おじさんの挑戦」というブログで論戦を張っていた人、いや

このブログの特徴はコメントの多様さ多彩さにあり「論戦を張る」のは、コメンター同士で管理人=

松竹伸幸さん=は例外的に顔をだしていました。 もちろん、最初の投稿は「超左翼おじさん=松

竹伸幸」ですが、そのあとは自分の投げた一石の拡がりから合意点を探ることに執着していたよう

に感じました。

 下のブログが、松竹さんが「かもがわ出版代表編集長」として赴任するため、20012年10月に

閉じられたブログです、大変刺激的な問題提起とやり取りが行なわれていました。

 kaeruがブログをはじめたいとおもう切っ掛けのひとつになったものです。 「左翼って、~」では

じまる二行は「kaeruのつぶやき」の願いでもあります、「テーマ」は別にしてですが。

超左翼おじさんの挑戦

左翼って、いろんな立場の人びとと語り合い、理解し合えるはずだ。その思想と言葉は豊かなも

のだから。憲法9条と日本外交を中心テーマに、そのことを論じたい。───松竹伸幸

Author:松竹伸幸
(まつたけ・のぶゆき)
日本平和学会会員(日本外交論)
某地方出版社東京オフィス所長


生か死か、『資本論』を読む。

2013-05-16 20:30:16 | kaeruの『資本論』

 宮沢章夫・1956年生まれ、劇作家・演出家・作家。 というのが“『資本論』

も読む” を書いた人。生まれた年からみると高校は1970年代の前半になる、

「高校生のころだ。/誰かが言いだして、ちょっとした『資本論』ブームがクラス

に起こったのだった」という。 ブームの熱が冷め読書の速度も下がり卒業して

10年、友人の一人が「『資本論』 とうとう読み終えたよ」 と。

 宮沢さん、こんなことが切っ掛けになって 「だから、『資本論』を読もう」 と、

なったそうです。

 

 「労働者として生き、活動してきたが、定年になってやっと『資本論』に取り組

む自由と時間ができ(略)、社会改革の活動の世界で『資本論』こそが最高著作

であると知って~『資本論』を読まないでは、死ねないという~」 とは、ある「資本

論学習会」の参加にあたってのある人の感想です。

 

 今夜のタイトル=ハムレット的「つぶやき」ですが、『資本論』を読むか読まな

いかは、こうみるとかなりなことのようで、「死ねない」とは「生きたことにならな

い」という意味でしょうから、

 「読むか読まないか、それが問題だ」 などと煩悶してないで、「読もう」です。


中学生から学ぶー1000年の視点。

2013-05-15 21:53:19 | せいじの政治カフェ

 女川町の中学生の皆さんから教わりました。

私も昨年5月当地に伺った時倒壊した建造物を目の当たりにしましたが、映像だけで受ける感じとは違うものでした。18年前の神戸大震災の時、二月上旬に1週間ほど市内にいたのですが、現地で感覚として受け止めることがいかに大切かを実感しました。
 「百聞は一見に如かず」です。百聞の機会と一見の実感を後世に伝える試みが今の瞬間の重要事だと思います。
 今から1000年間の視野で臨もうとする若い視点が活かされるよう期待します。

 上の数行は今夜のNHK 「クローズアップ現代・千年後の命を守るために~どう伝えるか大震災の教訓~」 を見ての感想の投稿文です。掲載されるかどうかは分かりませんが、それとは別に「つぶやき」としてここに記します。NHKの番組は下記に、

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3347.html


「おくのそほ道」番外編

2013-05-14 21:27:59 | kaeruの「おくのほそ道」

 これはkaeuが「おくのほそ道」を歩く一方で、本州縦断をしている状況報告

です。 その距離1778.7km(青森県大間町~山口県下関まで)、そのうち今

日までに170.2km歩いてきました。

 ちょうど、太平洋側に久慈市が見えますので、このブログ初公開、これから

もちょくちょく報告に現われますのでよろしくお願いします。

 


プロが待ち遠しい朝。

2013-05-13 22:11:23 | あまちゃん

 「プロ」とは放送評論家、その人が「朝が待ち遠しい」と。

 “そんな思いで毎朝を迎えているのは朝ドラ「あまちゃん」が登場してから”

今朝の赤旗での「松尾羊一のドラマのドラマ」。まず「じぇじぇじぇ!」は、仏壇

の遺影が名脇役の蟹江敬三で写真出演ですますわけはないと茶の間もよん

ではいたが、とんでもないじっちゃん……で。

 従来「午前8時の日常」的存在だったのが、「ゲゲゲの女房」や「カーネーショ

ン」あたりから、とくに「純と愛」ではヒロインがオーバー気味な言動でいい意味

でお茶の間を混乱させたが、「あまちゃん」はその上をゆきます、そうです。

 

 従来の「ヒロインは核」、まわりは「引き立て役」という形とは「あまちゃん」は違う

のだそうです。スナックに海女クラブの面々や北三陸鉄道などの常連がやって

きてストーリーが発展する仕組みです。

 アキにしても「ヒロインらしからぬヒロイン」(それが本物のヒロイン)を演じなけ

ればなりません。それに「池袋ウエストゲートパーク」・「木更津キャッツアイ」・「タ

イガー&ドラゴン」などを思い出す都会風俗の綿密な描き込みで人物を生き生き

と飛ばせます。

 “ 要は3・11の大災害の復旧と復興に苦闘する「東北」をいかに前向きにデフォ

ルメし、地域をはげますか。それが期待できるドラマなのです ”

 

 プロでさえ、こうなのですからkaeruがもう寝て夢のなかでも「あまちゃん」と思う

のも当然でしょう、お休みなさい。