kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

『資本論』を読んでから死にたい

2013-05-12 22:35:11 | kaeruの『資本論』

 「死にたい」とは、気になる話ではないでしょうか。

 宮沢章夫さん(「『資本論』も読む」の書き手)のこの本の連載分第1回では

さらに、「せめて」がついて

 第1回  せめて『資本論』を読んでから死にたい

なのです。

 どういう事情があるのだろうか、と思います。

これに似たような書名があったなと棚を探しましたら、

 『一生に一度は「資本論」を読んでみたい』というのです。

この表紙にも「マルクス」の顔がありますので下記に、

 こちらの方も「一生に」というのですから「生きているうちに」ということで

しょう。「死にたい」とは劇作家・宮沢さんらしい言い方なのでしょう。もう一

方の吉井さんは労働者教育活動家とでもいう方で、「読んでみたい」とは

「読む運動をすすめたい」ということでしょう。

 それにしても『資本論』を読むことは一人の人生がかかることのようです。


「おらのブログ、小フィーバー」

2013-05-11 21:47:40 | あまちゃん

 今週の「あまちゃん」が「おらのじっちゃん、大暴れ」なら、kaeruは「おらの

ブログ、小フィ―バー」でした。5日にはじめてランキング入りしましたが、そ

の後も一日おいて引き続き3万位以内に入っていました。

 このランキングは3万位までが表示されますので、最低ラインを保って

いるわけですが、なにしろ187万ブログという数のなかですからそれなり

の意味はあるのでしょう。それにしてもこのgooだけでも毎日500近い新

らしブログが生まれているのも驚きです。

日付閲覧数訪問者数ランキング
2013.05.10(金) 108 PV 61 IP 25095 位  / 1869681ブログ
2013.05.09(木) 109 PV 61 IP 26674 位  / 1869177ブログ
2013.05.08(水) 106 PV 58 IP -  位  / 1868680ブログ
2013.05.07(火) 132 PV 72 IP 23713 位  / 1868224ブログ
2013.05.06(月) 158 PV 73 IP 23459 位  / 1867732ブログ
2013.05.05(日) 204 PV 85 IP 18548 位  / 1867280ブログ
2013.05.04(土) 126 PV 54 IP -  位  / 1866899ブログ

 さて、来週は「おらのママに歴史あり」です、「kaeruのつぶやき」は明後日

で開設から300日目という「歴史」をつくります、これからもよろしくお付き合

い下さい。

 


井上ひさしさんと母マスさんのこと。

2013-05-10 20:52:09 | 本のひと言

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05-10/2013051001_06_0.html

上のURLは、今日の赤旗の「潮流」です。

井上ひさしさんとその母・マスさんのことです。

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」のことを思いだしました。

ヨイトマケの唄、「じかたびの詩 みち」 2013-01-29 で

つぶやいていますので、親の働く姿が子供の生きていくうえで力になる

のだな、との思いを受けとって下さい。

 

「潮流」を読まれた方には蛇足ですが、

 井上ひさし作詞 「ひょっこりひょうたん島」の歌が毎日岩手県大槌町

(ひょうたん島のモデル「蓬莱島」がある)の防災無線から流れ、町の

人々を励ましているそうです。井上さんとその母も歌を通じて、今も生

きているのだな、と思いました。

 

なお、神奈川近代文学館での「井上ひさし展」については

http://www.kanabun.or.jp/te0170.html です。


マルクス、もうひとりに『資本論』を。

2013-05-09 18:04:14 | kaeruの『資本論』

 これも『資本論』の中身に関係することだと思います。

 第1巻での同志・ヴォルフへの献詞を紹介しましたが、もしマルクスが自分

の手で第2巻・第3巻を世に送り出すことができていたなら、その扉には一人

の人の名前が記されていたに違いありません。

 その名は「イェニー ・ マルクス」=マルクス夫人。 そのことは 『資本論』

第2巻の序言の締めにエンゲルスが

「『資本論』の第2部と第3部は、マルクスがたびたび私に語ったところでは、

彼の夫人にささげられることになっていた。」

と記していることで明らかです。

 

 kaeru的妄想を語れば、彼マルクスは「イェニー」の名を記すとあわせ、

他の一冊には「イェニー・フォン・ヴェストファーレン」=マルクス夫人にな

る前のイェニーの名前を記したかも知れません。

 マルクスは青年時代に詩を書いたことがありますが、その多くがイェニー

に捧げられたものです。「愛の本」「歌の本」と題する詩集の扉には

「わが親愛なる 永遠に愛する イェニー・フォン・ヴェストファーレンに」

との献詞が記されています。

 人生の終わり間近になって、己の一身の体現である『資本論』を、かって

己の想いの体現であった「詩集」の扉に記した言葉で、ふたたび飾りたい

と念じていたと思ってもそう的外れではないでしょう。


ささげものとしての『資本論』。

2013-05-08 17:41:16 | kaeruの『資本論』

 昨日申し上げましたとおり、今日は「中身編」。

まず、中身である本そのものを見てください。

 『資本論』全3巻はこれだけのものです。厚いといえば厚いですが、百科

事典の大きさにしたらその一冊分もないでしょう。 『資本論』のケースの

後ろの黒い表紙の本がある百科事典の一冊ですが、この版にしたらこの

厚さの半分ぐらいでしょうか。

 量的にはこの位もので、この一冊ものなら枕にして丁度いい感じです。

 

 質的ー中身の話ーには、写真の左側のページにはこう書いてあります。

「忘れられないわが友 勇敢で誠実で高潔な プロレタリアートの前衛

ヴィルヘルム ・ ヴォルフ にささげる 」

 そこにはヴォルフが「1864年5月9日、亡命の地マンチェスターに死す」と

あります。マルクスが『資本論』第1巻第1版の序文を書いたのは1867年

7月25日ですので、3年ほど前に他界した同志へ篤い同志愛をこめてささげ

られたのが『資本論』なのです。

 ヴォルフの名は個人としてと同時に、マルクスには多くの同志と労働者階級

の人々ー忘れられないーを代表しての名前であったと思えます。

 第2版の「あとがき」のマルクスの言葉(第1版が売れ切れ第2版の準備に)

「『資本論』がドイツの労働者階級の広い範囲にわたって急速に理解されだし

たことは、私の仕事への最高の報酬である」によって、誰に「ささげよう」とした

か明らかです。

 

 ゆえに、kaeruが天野家のみなさんへ寅さん的に「労働者諸君にこれをささ

げよう!」といっても当て外れでもないわけでしょう。


天野家の女性にささげる『資本論』。

2013-05-07 20:35:49 | kaeruの『資本論』

 「あまちゃん効果」と言うべきか、「あまちゃん人気アヤカリ作戦」の戦果と

いうべきか、5日に続き6日もランク入り(23,459位 158PV 73IP)。

 この写真が「天野家の女性」の魅力を示しています。うれしいのは「花の

金曜日に」にアクセスしてくれる人がかなりいることです。昨年の7月18日

このブログの最初の日です。多分新しくアクセスしてくれた人が最初の日ま

で見に行ってくれたことなのでしょう、ありがたいことです。

 それに「資本論」をも見に来てくれています。これは一度つぶやいただけで

すので、「資本論、ウム?」という感じで覗いてくれたのでしょう。

 そこで、今日のタイトル、あまちゃん効果に悪乗り、という声もあるかもしれ

ませんが、そこはマルクスが『資本論』の序文の締めで引用しているダンテ

の言葉、

 「なんじの道を進め、そして人々をして語るにまかせよ!」

で今夜は締めましょう・、中身についてはアシタ。


天野家の女性にささげる謝辞。

2013-05-06 19:59:32 | あまちゃん

Kaeruのつぶやき   ブログの開設から 291 日  5月5日のアクセス数

 閲覧数:204PV    訪問者数:85IP

 順位: 18,548位 / 1,867,280ブログ中 (前日比  )

 上の「ゴシック」部分は、昨日のアクスス数関連記事です。

 注目は「18,548位」なのです。2013-04-20の「あまちゃん3」で「おら、

アクセス・ランキングに顔を出してぇ」とつぶやいた願いがかなえられたの

です、単純なkaeru頭はこれが嬉しいのです。 

 アキちゃんをはじめ天野家の女性のみなさんの魅力の現われと感謝し、あら

ためて薔薇三輪を映し謝意を表します。

                                


「井上ひさしの遺言」。

2013-05-04 20:26:19 | 本のひと言

 21時からNHKスペシァル「井上ひさしの遺言」がありますので、一言だけ。

 

 鎌倉駅西口に小さな本屋さんがあります、7、8年前かと思いますがそこで

井上さんに会いました。

 例の「10分間の本屋立ち寄り」で本棚を眺めながら奥に入って行ったら一

番奥の隅に座り込んでいるおっさん風のおっさん、積み上げた本の表紙を

開きながら何か書き込みをしています。

 本にサインをしているので、?と顔を見ましたら「井上さん」でした。

 時々この本屋さんでは「著者サイン入り」本が並べられるのですが、その舞

台裏でした。

 井上さんのサイン入り本がどういう本か忘れましたが、その時もあとで店に

出された時も懐に必要な物が無く買いそびれてしまいました。

 

 今夜も見そびれないように、これでお・し・ま・い。


いざ!鎌倉へ(歩いて)。

2013-05-03 23:03:53 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 「いざ!」というほど意気込んだわけではないのですが、行く先が鎌倉です

から、それに「歩いて行こう」と「決意」したので、こんなタイトルで。

 普段はバスと電車で行く所ですから、歩いていくのはかなり大変かと思い

きや、実際にはそうでもありませんでした。

 

 いまグーグルマップで調べてもわずか1時間半ほど、7.4kmとなっていま

す。この場合逗子から海岸寄りに入り逗子開成高校の裏を抜けていってま

すが、今日は反対に山側に入り岩殿寺にまわったりしました。

 はじめてのことと岩殿寺ばかりでなく、鎌倉に入ってからは安国論寺、妙法

寺などに寄ったりしたので、3時間余12km余という数字です、歩数で2万4千

余、ちょっと散歩というわけではありませんが、時間と体力を惜しまなければ

歩くのには楽しいコースです。

 

 「世界文化遺産」への推薦遺跡に「名越切通」がありますが、そこを通ってみた

いと思ったのです。地図を持たずに出てきてしまったので、当てずっぽうで歩い

たのでそれらしい所を通ることなく鎌倉市内に入っていました。

 これも帰ってきて地図で確認すると、かなり近くを歩いていたようで、目的は決

まっていても手立てがシッカリしていないとダメ!の図でした。そして思い出した

のは15年ほど前にこの「名越切通」の範囲にある「まんだら堂やぐら群」を見に

行っていたことです。

 法性寺という寺の裏山という感じでそれはありました。やぐら群は見ることが出

来ませんでしたが、大切岸という石切り場跡の印象はいまでも鮮やかです。地図

ではそこらからは鎌倉地域へ抜ける道が見当たりません。近いうちにこんどは鎌

倉側から逗子方面に歩いてみましょう。以下はWikiの「名越切通し」からですが

下線の部分が気になりますが、行ってみれが分かることです。

“名越切通しは狭く通行しづらいが、鎌倉七口のなかでも、初期に近い姿をよく

保っているとも言われる。現在は(略)、一般に交通路としては利用されていな

。” 【「一般に」というのだから「特別に」には利用できる?】