kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「鎌倉」を考えはじめる。

2013-05-02 23:57:09 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 鎌倉をすこし歩いてきました。

 まず、「世界遺産」のこと。「鎌倉世界遺産登録推進協議会」の「めざせ!

世界文化遺産MAP」のなかに「日本政府からユネスコに、鎌倉の世界文

化遺産に向けて推薦書が提出されており平成25年には登録の予定です」

とあります。 去年・2012年12月の作成です。

 ほとんどの関係者が「登録」を疑わなかったのではないでしょうか。

 私も当然のこととして「登録」を考えていました。

 

 歩きながら立ち寄った本屋で『平泉から鎌倉へ』(2012年2月・公人の友社)

なる一冊を手にしました。 副題が「鎌倉は世界遺産になれるか?!」というの

です。 立ち読みだけでは「?!」の内容が分からないので買ってきましたが、

これから読み進めていけばいろいろ分かってくるだろう、と期待しています。

 例えば、いたって初歩的ですが「武家の古都・鎌倉」の英文は「“Kamakura,

Home of the SAMURAI” だと(私は知りませんでした、あなたは?)。

 なぜ、City としなかったのか、と。 この本のなかでも、かなりやり取りがされて

いますが、ヨーロッパを中心とした「都市=城壁によって区切られた街(がい)」

のありようからみた都市と鎌倉の違い。

 その違いから鎌倉の世界遺産推薦にあたって「都市論」から離れた一因に

なっているということも指摘されています。もちろんそれが今回の「不記載」

につながっているというわけではありません。

 いずれにしても今回の問題は、観光地・鎌倉的見方から世界遺産的見方

へと理解を進化深化させる絶好の機会であり、この機会を逃すことはない

と思います、kaeruのこの面でのつぶやきに耳を傾けていただければとお願

いしまして、今夜はお休みなさい。


もういちど日本、もういちど鎌倉。

2013-05-01 23:18:23 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 富士山の世界遺産への登録が確実視されるなか、鎌倉のそれはこの

ままでは「絶望」に近い結果がでてしまいました。今後のことは6月のユ

ネコス世界遺産委員会に向けての動きを見ていかなければ分かりませ

んが、この時点であらためて「古都鎌倉」とはどういう街(がい)なのか、考

えてみなければと思います。

 

 司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ「42」は『三浦半島記』で、

それは次のような文章からはじまります。

 「相模の国(神奈川県)の三浦半島は、まことに小さい。

 (略) 

 ところが、この半島から、十二世紀末、それまでの日本史を、鉄の槌

とたがねでもって叩き割ったような鎌倉幕府が出現するのである。

 なぜそうなったのか。そんな疑問を主題にして、この半島を歩こうとし

ている。  まず、武士の発生のことである。」と続くのです。

 

 鎌倉を世界遺産に推薦する文章(文化庁・2001年月)にも、鎌倉が

どういう観点から普遍的価値を有しているかを次のように述べています。

「戦士階級に属していた武家が、12世紀末の日本において古代社会の

貴族支配から中世・近世へと続く武家支配への移行という大変革をもた

らした政権を樹立し、~武家文化を生みだしたことを示す物証である。

そして、「山稜部と一体となった稀に見る政権所在地の類型を形成した。」

 

 しかし、イコモスは普遍的価値として評価しえるかの水準でみると

「物的証拠が少ないか、限定的なものか、証拠がない」とし、また、「資産

の周辺が都市化されていることの影響は無視できない。」と記しています。

 そして、「結論 完全性の観点、及び比較検討の観点から、顕著な普遍

的価値を証明できていない。」とされたのです。

 

 「もういちど日本」というのはNHKのTV画面にでてくる「言葉」ですが、

あらてめて「鎌倉世界遺産登録」という問題をつうじて、私たちの歴史

感覚・歴史認識というこを考えてみなければと思います。

 明日、そんなことを思いながら鎌倉を歩いてみます。