kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「てんがらもん145回」 「てんがらもん」の魅力。

2014-12-12 22:18:48 | 「てんがらもんラジオ」

 ゲストの方のお名前、水流をなんと読むのだろう、みずながれ? 苗字

としてはおかしいと思いつつ、番組を聞いて 「つる」 と知りました。これは

鹿児島に多いのだろと調べたらやはり薩摩時代の水流村に起源を持って

いました、地元の人という思いを強めました。

 この名前に注目したのは、「てんがらもん」 が地域のラジオ番組として

魅力を発揮しているからです。 コメントにも「以前より番組が身近になった」

とか、「ゲストの方と会ってみたい」との声が寄せらていました。

 

 「認知症の人と家族の会鹿児島支部」代表 水流涼子さんのお話には

色々な感想があるでしょう、一つひとつが人生そのものを思い、自分を振り

返る場でもあります。 視聴してみて下さい。

 http://www.ustream.tv/recorded/56323104

 

 私は地域で、特に町会自治会、隣近所での付き合いの密度を強める

必要を強調されたことが大切だと思います。 それは認知症になった人

のためでもあるが、より以上にそれを介護する人を支えるためです。

さらに、行政等を認知症介護・対策と予防をすすめるための有効な機

構に発展させるためでもあります。

 水流さんが相談を受けている中で勤めている人が、役所が5時まで

しか受け付けてくれない、なんとかならないものかと泣いて訴えられた

という話がありましたが、そういう問題を解決する力も地域での相談し

合うなかから生まれて来るでしょう。

 放送中も、水流さんとレギラーとの会話のなかで、地域で出来る方法

を見つけるために、声をあげていく必要があります、との声に応えて、

大いに手をあげましょう!と呼応する声も聞えました。

 

 紹介されていたひげ爺さんのコメントが適切に述べていたように、地域

密着型の情報番組で、地域の情報を受信し発信し、併せて地域の課題

を解決したい、という思いがこの番組の魅力です。

 その思いは最近のゲストの話と視聴者、特に地元の方々の反応から、

確実に地域に広がって来ていると感じました。そういう地域での動きが

放送で紹介されるなかで、番組の魅力が一層強まることを期待します。


「てんがらもん145回」短信。

2014-12-11 21:42:33 | 「てんがらもんラジオ」

    今日の「てんがらもん」を未だ視聴していませんので短評も出来ません。ただ「認知症の人と家族の会」の活動をされている方との紹介に、是非じっくりと視聴したいという思いを強くしてます。明日のパソコンの調子がよいことを願ってます。

    昼間、黒田康子(しずこ)さんの「白寿を祝う会」に参加してきました。この人を見ていると認知症とはまったく関係のない頭脳なのか、と思わされます。同時に可愛いという感じがするのです。今日の会の中心になったのは、長年の教師生活からの教え子だろうと思いますが、教師として愛情いっぱいに接して来た人々から、いま溢れるばかりの愛情を受けていると感じました。

  夜、近所の人の通夜に行って来ました。亡くなったご主人も奥さんも土地の人でしたので列席された親族が大変多かったことが印象深く、日常の近所付き合いでは分からなかったことでした。その人の日常ではかなり多くの人の行き来があったろう、と思うのです。

   高齢者にとって、どういう人間関係のなかにあることによって、心身の維持にどういう影響があるのか、認知症も視野に入れて考えてみなければと思います。


こん度は 「しんぶん赤旗」 号外です。

2014-12-10 23:29:48 | せいじの政治カフェ

「しんぶん赤旗」号外、民報号外の配布

選挙に直接ふれていない「しんぶん赤旗」号外、民報号外を全戸に配布したり、

駅頭や商店街、工場門前などで配布することは自由です。

 ということで地元の町会議員のお手伝いをしてきました。

 自宅周辺の団地に250枚、2時間強で14600歩でした。


 この団地は町で一番古い団地で、急な坂がありお年寄りが自宅まで休み休み登っていく姿

が時々見られます。  同じ道路でも山側は石段、それもところによっては二十数段も。

  上がりきってポストを見ると一杯詰まっています、廃屋ですということもあり、なかなか大変

でした。

 全国で空き家が問題になっていますが、この町でもかなり目につきます。 高齢者が多くなった

表われでしょう。

 いずれにしても、地域の隅々に問題が山積しています。 これらの問題を解決していくために、

行政の積極的な取り組みが必要で、国にも県市町村にもその役割を果さなければなりませ

ん。そういう問題意識も総選挙では持ちたいと思います。

 

   来年は一斉地方選挙で葉山町では14の議席中2名の日本共産党議員がいます。

来年第10期目を目指すひとりは現在議会副議長をつとめています。 それだけこの町に

おける責任も重いわけで頑張らなければなりません。

 

 せっかくポストイングしてきた物です、写真では分かりづらいかもしれませんが、

ここ紹介しておきます。

 


元自衛官の声。

2014-12-10 17:11:21 | せいじの政治カフェ

  今日、「秘密保護法」が施行されました。この法律の危険性を訴え、共産党への支持の思いを述べた元

自衛官の声が「しんぶん赤旗」に出ていましたので紹介します。

 

 昨日の「しんぶん赤旗」には、今回の総選挙の日本共産党の候補者になった元自衛官の演説内容が出て

いました、 あわせてご覧下さい。


「生き抜く」が目に止りました、猫の話。

2014-12-09 13:42:14 | どこまで続くかこのブログ

 昨日広げた 「しんぶん赤旗」で目にとまりファイルとしてここに。

 読んでいて気持良くなったのは、「チビタのおむつ替えを見て、おばあちゃんがこれで自分が寝込んでもこんな

ふうに扱ってもらえる」 というところです。 もちろん最後の四行も同感です。


夕陽が沈みきる前に。

2014-12-09 12:11:06 | 葉山そして人

 昨日のブログをこんな風に記しておきたかったのです。

 

 曲がる奴でなければ役に立たない、真っ直ぐな奴はダメ。

 キャベツに網を掛ける前の作業は下の写真のように、竹で支えを設けることです。

 半円にしますから曲がらない棒では役に立ちません。

 人間の組織もおなじこと、真っ直ぐな者と、色々な曲がり方が出来る者との組み合

わせで割合うまくいくのだろう、などと思いつつの 「野良仕事」 でした。

 

 よく見ると葉が欠けているものがあります、虫の餌になった部分です。

 そろそろ虫がいなくなると鳥が狙う大きさになっています。

 そこでこのように細いビニール紐で編んだ網をかけるのですが、これがなかなかの難題でとても一人では

掛けられません。 三人でやっと終えたのが下の写真です。 とはいえ小母さんは畑には出てこなかったそう

ですから、今までは小父さん一人やっていたそうです、 体が自由に動いていればこそだったでしょう。

 

 畑のまわりは竹林で、冬の入り日が見事な輝きを見せてくれます。

 もっと、撮る腕がよく、カメラがよければその見事さをよりよくお見せできるのですが、

両方無いのが残念です。

 畑も竹林もひと昔前の葉山町の光景で、今は思わぬ所にわずかに残っています。

 その周辺には住宅が……。

 

 息子さんの住む東北で奥さんの四十九日を済ませて、「まだ片付けごとがあるからと」 自宅にもどっての、

そのひとつがこの野良仕事でしょう。 


「てんがらもん144回」、「未だ79歳」からの挑戦

2014-12-06 21:59:58 | 「てんがらもんラジオ」

    どうしたのか?

    文章が無くなった!

    今夜は「随筆かごしま」の写真だけ。

お話しでは195号まで出されたそうですが、写真は

第170号です。

文章は明日にします、朝が早いので休みます。

 

   ここから以下は6日記入分です。

昨日の「随筆かごしま」の写真は、Googleで「随筆かごしま」を

検索しダンロードしたもので、URLは、

 http://blog.livedoor.jp/nposatsuma/archives/50671547.html  です。

    先程、Googleで「随筆かごしま」を検索しましたら、昨日の「kaeru

のつぶやき」が出てきました。「明日にします」と言った責任を果たさ

なければ、と思いました。

 

    実は昨日はタイトルを【「未だ79歳」からの人生】として公開した

のです。しかし、このタイトルでは上薗さんの気迫を受け止めてもらう

には一般的すぎる、と感じました。そこでタイトルを書き直したら、本

文が全部無くなったのです。多分余計な所に指が触れたのでしょう。

   

    【「未だ79歳」からの人生】も「79歳ですがこれからの人生も張り

切って生きます」という意味は十分に通じます。だが、上薗さんの経てき

た人生とその人柄と出版に対する思いを受け止めれば、そんな一般的な意

味としては聞き手は満足しません。「未だ79歳」の「未だ」にはやらな

ければならないものへの強い思いが込められていると受け止めました。

 

   椋鳩十さんとの出会いが結婚の契機になり、その夫との「壮絶」な生活の

なかで小さい出版社の経営に全力をあげ、「随筆かごしま」を守り育て宝物

という存在にしてきました。話のなかで強く印象に残ったのは上薗さんの出

版に対する熱情を支えた椋鳩十さんの文学と人柄への信頼です。

   それは椋文学を支えた鹿児島の風土でもあるのか、そして多分「随筆かご

しま」に寄稿された随筆等にもあふれていたものだったろう、と思います。

    その「随筆かごしま」も第195号までで休刊になっていますが、200

号までは自分の手で出したいといわれていました。

    

    こういう人生には80歳を前にして「これからは静かに余生を」などという

気配は微塵もありません。中野医師の話以来、私の関心のなかに大きな位置を

占めるのが、人生を生き抜くという姿勢です。上薗さんの姿勢にその典型を見

た思いがします。

    それは寝たきりにはなりたくないと、毎日3~4キロを歩き体力を維持し

つつ出版社関係の方々との交流も続けておられます。次へのステップを見据

えての体力気力十分と感じました。