kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

さびしくない旅。

2015-08-21 21:30:59 | kaeruの孫録

ここは孫連れの爺婆旅で泊まった花巻温泉郷のひとつ金矢温泉の宿の近くです。道路の左側の小高いところに特に道があるわけではないのですが、赤松の間に通るだけの空きがあり散策するにかなりの道のりを楽しめました。

歩きつつ白秋の詩「落葉松」が浮かんできます。

 

からまつの林を過ぎて

からまつをしみじみと見き

からまつはさびしかりけり

たびゆくはさびしかりけり

 

というのですが、ここでは「さびしかりけり」になりません。

もちろん落葉松と赤松の違いがあるし、白秋の詩的境地とはまったく違った境地にいるkaeruですからここではさびしくないと言っても、あぁそうですかと誰も耳を傾けてはくれないでしょう。

でも一言つけ加えると、今回の旅はひとり来たわけではないし、kaeru夫人の計画で私はついていればいいという至って楽な役どころで気楽なものだったからですし、敢えてさびしがる必要もありませんでした。

旅はよく人生に例えられ、旅のさびしさと人生のさびしさを重ねて述べられます。この赤松の道なき道を辿りながら、今回の旅はさびしさと無縁だなと実感したのはあるいは人生を通じてさびしさには縁の無い人生だったのではないかと気付いたのかも知れません。

来月のブログ仲間との木曽路の旅もそういう旅のひとつなのでしょう。


「てんがらもん179回」黒いダイヤ。

2015-08-20 23:49:13 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」8/20日 第179回

アメリカの推理作家エラリー・クイーンに『Yの悲劇』という作品がありますが今日の「てんがらもん」は向井明美さんの「わいの喜劇」から始まりました。

黒い服で身をかためての出席、レギラーの3人との笑いあっての話でしたので聞き取れない内容でしたがどうして黒服で来たかを話していました。夏風邪で寝正月ならぬ寝お盆を過ごしたばかりだったので何を話そうかなー、と決める前に何を着ていこうかなーの方が先だったようです。

目についたのが黒、平均年齢70台の先輩の明るい服装を引き立てようとのことのようです。そのことと鹿児島弁の「わいがおいを、なんとやら」というお馴染みの言葉がどうして結びついたのか四人が笑いあっての話でしたのでわからずでした。

しかし、向井さんの黒服と話の内容は一致していました。娘さんと行った世界遺産候補の三井三池炭鉱の万田坑と宮原坑は下のURLでみていただくとわかりますが、日本の経済を支えてきた石炭産業の産業遺産です。

黒いダイヤといわれた石炭と産業遺産に触れてきた感慨が着るものに映っていたのです。

三井三池炭鉱 万田坑

三井三池炭鉱 宮原坑

 

私にとって三井三池は60年安保闘争と一体になって頭に染みこんでいる名前です。日本のエネルギーが石炭から石油に移る過程での合理化と反合理化闘争でありエネルギー産業をめぐる闘いでもあり、今日の原発にも関係してくることです。

改めてゲスト的なレギラー的な向井さんの出席は聴き手の見聞を拡げてくれるものがあります。来年の「向井明美と行く鹿児島の旅」は近い将来には「九州ひとめぐり」にも発展しそうです。


続 この町の戦後

2015-08-19 20:28:01 | 葉山そして人

下の写真は2015-07-29に紹介したものです。

その下の写真にある地図は、米軍の日本占領に備えて日本軍が撤収した範囲を示しています。

三浦半島を中心に東側は房総半島の西半分、西側は伊豆半島の先端から東側、北は府中八王子辺までに至っています。

1945年8月30日、米軍による横須賀接収が始まりました。厚木とともに神奈川県内の日本軍基地から米軍による日本占領がはじまったのです。

当時の新聞によると神奈川県知事の名で“県民に告ぐ”との布告が出され「わが県民諸君の言動如何はわが国の安危にかかわる問題である」として「あくまでも冷静に連合国軍を受け入れられるように」と述べられています。

70年前全国で緊張のなかで8月後半の日々をむかえていたわけですが、なかでも私達の町をはじめ周辺各地の人々の送った日々に思いを巡らさなければと思います。


岩手の話、日本の話。

2015-08-18 12:29:14 | せいじの政治カフェ

 今朝の「しんぶん赤旗」で、これを見て10日前に写しておいた新聞の紙面をアップしました。

上が赤旗、下が岩手日報です。

 

「赤旗」は20日の告示を前にしてのインタビューです、県知事選は無投票当選になるでしょう。その状況は「岩手日報」が詳しく報じています。それによると7月30日には1000人を集めての決起集会まで開いていた対立候補の平野氏の突然の出馬断念によります。

戦争法案への世論の批判が高まるなかで、自民党本部からの圧力によっての断念だそうです。

  

 

「赤旗」のインタビューで達増知事は「私と自民党支持候補の差が、48.6%対21.5%となりました。これだけ差がつくのは、野党結集の形がつくれただけでなく、安全保障法案に対する県民の反対があり、かつ全国的な運動と心通うところもあった」と述べています。

達増氏は1964年生まれ60年安保以降の人ですが、こうも述べています、「(安倍政権に)批判を強める国民的な運動は、歴史的な重要性では60年安保に匹敵すると思います。国民の力で国会中心に起きている異常なことを止められるかが問われます。60年安保のころになかったいろんな新しいやり方、新しい感覚の取り組みが広がっています。これは民意を明らかにしていくやり方として非常に興味深いし、いいと思います。


確かに携帯電話スマホはもちろんパソコンも無い60年安保、その時代からみるとこうしてスマホで新聞を写し発信できるのは「非常に興味深いし、いいと思います」!


八月の投句。

2015-08-16 21:21:14 | kaeruの五七五

 八月の句会はメール句会でした。投句した七句と主宰の寸評を記しておきます。

 

白と黄と夏の蝶舞ひ岩手山

 〔岩手山の景が浮かびます。 ただ、岩手山でなくても成立するところが惜しいです。〕

 

木漏れ日と風みちのくは秋の色

 〔木洩れ日も風もすでに秋を感じさせるみちのくだったのですね。

 わかる句ですが、全体が漠然としているところが弱いです。〕

 

夏の雲さらに高きは秋の雲

 〔夏の終りに見る空の様子。写生がしっかりできています。

 夏の雲さらに高きに秋の雲   でもいいでしょうか。〕

 

原爆忌神のつくれぬ雲の型

 〔たしかにあのきのこ雲は神が作り出したものではありません。

 ただ、雲の型 とおさめたところがいいのかどうか????〕

 

原爆展出る八月の街中へ

 〔八月の街中と原爆展との関連が近いのではないかと思います。

   原爆展出て炎天を忘れをり  というように作者のその時の心境をよんでは如何でしょうか。〕

 

孫と踏む小岩井農場夏の草

 〔元気に育ってゆくお孫さん、夏の草との取り合わせが効いています。〕

 

わが汗の一滴一瞬地に点ず

 〔情景はよくわかります。 汗に対して地に点ずが少々大げさすぎるような気がします。〕 

 

黙祷。

2015-08-15 22:31:41 | せいじの政治カフェ

安部首相の「戦後70年談話」を読み、昼のサイレンに応じて黙祷をしました。

義父がこの日この時間に黙祷をしているのを偶々見たことがあります。私の身内でただ一人兵隊にとられ、シベリア抑留を経験した父の思いを伺ったことはないのですが、今年を節目として受けとめ父の象(かたち)を受け継ぎたいと思いました。

安部首相の「談話」について別に触れたいと思います、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話と読み比べてみたいのです。

そして、戦後80年にいかなる内容の「談話」を世界に発信すべきか、どのような政権を展望すべきか、考えてみたいものです。

 


ハンナ・アーレント

2015-08-14 23:06:47 | 葉山そして人

暑さに負けないように、というわけではないの

ですがかなり難解だと思われる『存在と時間』

などという本を開いてみました。

 

ドイツの哲学者・ハイデッカーの著作ですが

昔々手に入れて読み出した覚えはあるのです

がどうにもこうにも分からないので、そのま

まにしておいたものです。

 

読み出してみてやはり難しい、敢えて読み通す

べきか? と思います。ただこの哲学者がナチス

との繋がりがあるとのことなのでその面は知り

たいと思うのです。岩波文庫の「解説」では触

れられていません。wikiで読んだので関心を持っ

たのです。


この本を開いたきっかけはタイトルにした「ハン

ナ・アーレント」にあります。この女性もドイツ

の哲学者で、ハイデッカーの教え子であり愛人で

もあった人です。まるで知らなかったこの名前と

ハイデッカーとの関係もwikiによります。

 

最初から言いますと、山田さんという葉山町の議

員さんのfecebookにハンナ・アーレントが出てき

たのでwikiしたのがきっかけなのです。

ものごとの思考について考えを言われたときに出

た名前なのでwikiしてみました。

するとハイデッカーとの不倫関係が書かれていた

ので、本棚に目が移った次第です。まことに底の

浅い『存在と時間』なのです。しかし、それを知

ってページをめくると難しげな言葉も柔らかみを

帯びてくるから面白いものです。

関心のある方は「ハンナ・アーレント」で検索し

てみてください。

 


故郷離れ。

2015-08-13 21:04:09 | 葉山そして人

お盆、長男一家と義姉家族に義妹達で迎え火そしてお寺さんを迎えてお経をあげてもらいました。

昨日の上田は私の方の親族、今日は妻の方の甥や姪と久しぶりの懇談。終わって墓参りへ、私達夫婦は16日にお寺へ法要で行くので長男に託して皆と行ってもらいました。

ひとりで二階で横になると、窓からの風が涼しく心地好いのです。今日のブログのタイトルが「故郷の風に吹かれて」と浮かんできました。その時この故郷は上田ではない、ここ葉山だという思いになっていたのです。

一年前のブログがとどいたのですが、一年前の13日にも上田から帰宅しての感想的なことをつぶやいていますが、その時の故郷は上田を指しています。しかし、今日心に自然と浮かんできた故郷は上田から離れていました。

故郷とは生まれ故郷といえば文字通り、育った地域を指せば育ち故郷とでも言えるでしょう。私にとって7歳からの12年間ですからまさに「育ち故郷」です。それならば葉山を故郷と受けとめる気持ちはなんなんでしょう。


私達夫婦が残り、長男に託して墓参りに行かせたことと繋がっているのか。

兄宅では兄嫁はしっかりしているが中心は長男夫婦です。妻もそれを目にして来たので長男に行かせたのでしょう。明らかにkaeru家の世代交代がすすみつつあります。

すると故郷とはこれまでの人生のなかにあるのではなく、これからの人生のなかにあるということなのでしょうか。終焉の地と言われる場所こそ帰るべき故郷だということのようです。

「てんがらもん178回」を視聴しつつ浮かんできた思いもそこにありました。人生の最期の時期に己が土になるべき地域へのこだわりをどう深めるか。乳離れとか親離れとか肉体的精神的自立の各段階が呼ばれるように過ぎた日の故郷から終焉の地としての故郷へ移る故郷離れの作業すすめる時期になったようです。来年の「つぶやき」にどう書かれるのか、これからの一年の課題です。


今朝の話。

2015-08-12 08:54:23 | 信州、なかでも上田。

上田の夏の朝です、とは言え秋桜です。

そして実りの秋に向けての成長です。

昨夜一雨あり、朝から蒸し暑さが感じられます。

上田の夏の夜はこの道での花火が定例なのですが、昨夜は回転寿司屋で遅くなり、

それに雨で取りやめ、また来年に。

 

今朝の内に伝えたかったことは、これです。

第三試合ですから帰路の途中での試合となるでしょう、さて結果は?


昨日の今日の途中まで。

2015-08-11 23:56:07 | 信州、なかでも上田。

塩田平の兄宅にて一泊、今日は父母の墓参りのあと祢津へ向かう予定。

兄宅の玄関のカエル君は我が家のカエル君の兄にあたるのです。

玄関に居座って無事帰って来ると「おカエリ」と鳴くそうです、嘘です。

 

我が兄宅の墓がある周りはこんな風景で、昔の室賀一族の居城があったとか。

墓参りすませ一路東御市祢津へ、車での移動で去年までと違うのは、息子だけでなく

運転を交替でできるようになったこと、運転しているのが孫で隣が息子です。

 

祢津はまずここ、

この神社は、拡大して見ますと「禰津健事神社」と読めます。右上は邪魔な指、

失礼しました。

この神社には、現存し使用されている歌舞伎舞台としては全国で最古のものです。

文化十三年(1816)に造られました。

この建物が開かれて舞台になります。

詳しくはここで、 禰津健事神社 

ここには、ブランコなどもあり、孫も兄の長男の娘さんと。

足がつったようです、痛みに耐えている?

 

禰津の家は私たち三人の男兄弟にとって妹のような存在の従兄妹の居宅。

そこに呼ばれてのひとときでした。そこにも従兄妹夫婦と娘夫婦に子が

二人、子供同士でにぎやかなゲーム。大人もはじめての顔もありますが

これまた賑やかな会話となりました。

 

さて、祢津からもどり夕方は温泉へ、「室賀温泉 ささらの湯」は町営の温泉です。

さて、2015年8月11日も終りですので、また明日。