ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

今日も矢田寺へ(2月17日)

2011-02-17 17:11:13 | 矢田だより


朝は曇っていた空が9時過ぎから晴れてきました。
今日も♀ペンのリハビリで矢田寺の石段登りに。まずは、いつものように大門坊の「一願地蔵」
さんにお参り。



千仏堂の縁から見下ろした庭園。小ぶりですが美しい石組もあります。紅白のウメが咲き始め
ています。



本堂下の味噌舐め地蔵さん。



帰りは駐車場の横から総合公園グランド経由で歩きました。
秋にはヒガンバナで彩られる棚田も今は春を待つばかりです。



一体はお気の毒に首をなくされたお地蔵様が見送ってくださる道を帰りました、

あたふたフランス日記(17)

2011-02-17 08:55:20 | 旅日記
フランス観光最終日の午後は、パリから南西に約20km離れたヴェルサイユ宮殿へ行きました。
再びエッフェル塔の下からセーヌ河沿いに走って、ブローニュの森の端をかすめて川を渡り



郊外のヴェルサイユの町に入りました。

ヴェルサイユ宮殿 Château de Versailles



駐車場から見た宮殿。南翼の一部が見えます。



現在、正面の鉄柵門付近が工事中で、ちょっと景観を損ねているのが残念です。



門をくぐったところで、入場口が広い内庭のはるか向こうに見えるのに、♀ペンは何時に
なく弱気で「バスで待ってる」と言いだしました。座っていたら楽だろうと思って、独り
で入場しました。



内庭とファサード

世界遺産・ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が建造したフランス絶対王政を象徴する建造物です。
1661年、パリから宮殿を移すために工事を始め、21年後に未完成のまま宮廷が移転、完成し
たのは1710年でほぼ半世紀を要しています。

団体の場合は15分ごとに厳格に入場時間が決められています。私たちのグループの入場時間
まで30分ほどありますので、それまで自由行動になりました。



いわゆる「噴水庭園」の方へ急いで向かいます。宮殿の西側の写真です。









水の前庭。池の四隅に王国の象徴とされる四つの河川を表すブロンズ像が配置されています。



「水の前庭」の西端から見る壮大な庭園。東西に一直線に伸びる軸に南北の軸が直角に
交わっています。手前の泉水が「ラトナの噴水」、その下の段にある「アポロンの噴水」
から長さ1,650mの大運河が西に伸びています。



ラトナの噴水。
テーマはギリシャ神話「アポロンの少年時代」のエピソードです。村人たちに馬鹿にされた
アポロンの復讐をするため、母親トーレーが夫(アポロンの父)ゼウスに頼み村人たちを蛙に
変えてしまう場面です。



まだまだ見所が多いのですが、もう自由時間がなくなりました。駆け足で集合場所に帰り
ます。(ヴェルサイユ宮殿の項、続きます)




残雪の矢田寺(2月16日)

2011-02-16 19:44:26 | 矢田だより


一昨日(14日)の雪は嘘のように…



今朝は素晴らしいお天気になりました。お昼前に家から歩いて矢田寺へ行きました。



ゆっくり30分ほど歩いて、「出迎え地蔵」の近くになると参道の勾配が強まります。



まもなく山門をくぐります。



250段の石段を登って両側に塔頭の塀が並ぶ境内に入ります。
まだ少し雪が残っています。右手に見える大門坊に入り…



一願地蔵さんにお参りして二人とも元気になったお礼を言いました。
山の雪解け水が滔々と流れ落ちています。暖かい日差しに汗ばんで少し乾いた喉に沁み渡る
美味しさでした。



本堂の屋根にも僅かに消え残った雪が見えます。



本堂横のお地蔵さんの前にも雪が残っていました。
もとの道をのんびり歩いて帰りました。♀ぺんのケイタイの歩数計では8,977歩・1時間強
の矢田歩きでした。

あたふたフランス旅行(16)

2011-02-16 09:00:00 | 花日記
パリ PARIS

2011年1月23日 最後の訪問地、花の都・パリです。しかし、この日は本当にあたふた続き
の一日になってしまいました。

モン・サン・ミシェルとパリは約370km離れています。昨夜は遅い夕食をレストランでとり、
ホテルへ着いたのは22時前でした。この日も♀ペンは吐き気がして、ほんの一口しか食事が
撮れないまま、熟睡できない夜が続きました。



8時、ホテルを出たバスはパリの曇り空の下を走ります。
パリの建物は屋根がグレーで高さもほぼ同じように統一されています。また個人の住宅は
ごく稀で、殆どがアパートのような高層住宅です。広告なども見られず、とても整然とした
感じのの町並みです。



マドレーヌ寺院の横を通りました。
聖女マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会で、コリント式の高さ30mの柱が
52本並ぶ古代ギリシア・ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式の教会です。



マロニエの並木が続くシャンゼリゼ大通りを通り、西端にある凱旋門に向かいます。



エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l'Etoile

凱旋門という戦勝を記念する門はパリだけでも他に幾つかありますが、単に凱旋門といえば
ド・ゴール広場にあるこの門を指すほど有名な観光名所です。
 広場をを中心にして12本の通りが放射状に延びていて、地図で見ると星(フランス語で
エトワール)のように見えるため、かってここがエトワール広場と呼ばれていた頃からの
名称です。



凱旋門からセーヌ河畔のエッフェル塔に向かう途中、こんな銅像の横を通りました。
添乗員さんから名前を聞いたのですが、誰の銅像だったか…。ご存知の方、お教え下さい。



エッフェル塔 La tour Eiffel



ご存知のように、この塔はフランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた
第4回万国博覧会のために建造されたものです。現在の高さは324m(あとから電波塔が
追加されたため建造時より12mほど高くなっている)。

Wikipediaによると、大阪の初代通天閣はこのエッフェル塔がモデル(基部は凱旋門)で、
また展望台の周囲が簡単な柵か金網なので今でも飛び下り自殺の名所になっている、など
いろいろなエピソードが残されています。



次はルーブル美術館です。前に来た時(1979年)には出来ていなかった地下の駐車場から
入場します。ここは「逆さのピラミッド」と呼ばれる地下のホールです。
 ここから両側にスーヴェニアショップやカフェなどの並ぶ通路を過ぎて、受付を済ませ
ました。♀ペンの具合が良くないので団体チケットを受け取ったあと、館内見学ツァーと
離れて集合時間まで二人で見て歩くことにします。二階にある有名な「モナリザ」や
「サモトラケのニケ」、無理なら1階の「ミロのヴィーナス」(これは♀ペンも日本に来た
展覧会で見ています)だけでも…と階段を登りだすと半地階までも無理な様子です。
 ♀ペンは「一人で見てきて…」と言いますが、とても放ってはおけず一緒に駐車場の方
に引き返しました。腰をかける場所を探して、1時間半を過ごし館内見学を終えたグループ
と合流してバスに帰りました。

昼食場所はオペラ座の近くでしたが、♀ペンは食べ物を見てもむかつくので水だけ飲んで
じっと「我慢の子」です。午後は自由行動なので、タクシーで「連泊中のホテルに帰ろうか」
と聞きましたが、「大分落ち着いたのでオプションに参加したい」というので、バスに乗り
ました。



オペラ座 l'Opéra 正式にはガルニエ宮(Palais Garnier)

1875年に完成したパリ国立オペラの公演会場の一つで、外観、内部とも美しい装飾をこらし
、当時最大規模の劇場でした。現在では新しいオペラ劇場が誕生しています。



コンコルド広場 Place de la Concorde

もとルイ15世の騎馬像があったのでルイ15世広場と呼ばれましたが、フランス革命には
ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われて革命広場と言われました。1830年
に正式にコンコルド広場という名称になりました。
 右に見えるオベリスク(クレオパトラの針)はもとエジプトのルクソール神殿にあった
もので、1833年にエジプトから贈られたものです。ただし、エジプトでは「奪われた」と
聞きました。
 大観覧車は前に来た時にはなかったものです。パリの中心部にあるだけに、さぞかし
素晴らしい展望だろうと想像すると一度乗ってみたいものだと思いました。



これは地下鉄の駅への降り口。古い形のものだそうです。



バスはエッフエル塔に見送られてセーヌ河畔を離れ、郊外のヴェルサイユへ向かいます。

あたふたフランス旅行(15)

2011-02-15 09:00:00 | 旅日記
モン・サン・ミッシェル(続き)



最上層の聖堂からは下り一方で、♀ペンもそれほど辛くなさそうで一安心です。
中層は13世紀前半に建築された修道士たちの居住空間で、ラ・メルヴェイユ(驚嘆)と
呼ばれています。これは庭園を囲む回廊です。



中庭にある井戸。



大車輪。荷物の上げ下ろしに使われた中世のリフトです。



今あるものは復元されたものですが、昔は車輪の中に人が入って動かしていたそうです。



ちょっと下を覗いてみました。目がくらむような高さです。





石の螺旋階段をくだり、聖堂の下にある地下礼拝堂に来ました。



聖ミカエル像。尖塔の上のもののミニチュアでしょうか。



これで修道院内部の見学を終わって外に出ます。



階段を下りて城壁の北塔に出ます。





望遠鏡が据えてあるのでお分かりのように、ここからの展望も見事でした。



城壁の道を歩いて帰ります。



振り返って見上げる修道院



こんな素敵なレストランもありました。



名残りを惜しみながら、モン・サン・ミッシェルをあとにしました。



お土産に買った「プーラールおばさん」の店のガレット(ビスケット)。



同じくシードル(リンゴから作った発泡酒)

動画はバスの窓から見た遠ざかるモンサンミッシェルです。

あたふたフランス旅行(14)

2011-02-14 06:00:00 | 旅日記
モン・サン・ミッシェル(続き)
ここから「あたふた」することが多くなりました。



王の門をくぐり大賑わいのグランド・リュー通りに入ります。



「プーローラーおばさん」の店先です。有名なビスケットやワイン、カルパトス(リンゴ酒
シードルを蒸留したブランデー)などが並んでいます。



通りにはこんなお土産屋さんもありました。ゴーガイル(怪物を象った雨樋)のミニチュア
が並んでいます。



島の中央にあるベネディクト修道院が近くなりました。
修道院の歴史は966年にまで遡りますが、何度も崩壊の危機に見舞われ修復が繰り返されて
きました。



ここからは急角度の石段が続きます。



急に♀ペンがしゃがみ込みました。この時点では、フランスに着いてから食欲を失くして
殆ど食事を摂っていないので、力が入らないのかと思っていました。



しばらく休んでふらつく足を励まし、グループから少し遅れながらも最上層の西テラスに
立ちました。三方が開け、素晴らしい展望が得られます。



聖堂と尖塔を背に。



モン・サン・ミッシェルは708年、大司教オベールの夢に大天使ミカエルが現れ、「この岩山
に聖堂を建てよ」と命じられて礼拝堂を作ったことに始まるとされています。
尖塔の上には、長い剣を振りかざす黄金のミカエル像が燦然と輝いています。



テラスから見下ろす島への堤防の道。おびただしい数の車が列をなしています。








修道院の内部へ入ります。最上層の聖堂です。(この項、続きます)

あたふたフランス旅行(13)

2011-02-13 06:00:00 | 旅日記
2011年1月22日(土)いよいよ待ちに待っていた日が来ました。
午前8時、ロワールの地方都市・トゥールを発ち、266km離れたモン・サン・ミッシェル
へ向かいます。



今日も良いお天気に恵まれました。モン・サン・ミッシェルに近付くにつれて、緑の牧場
に草をはむ牛や羊の姿が次第に多く見られるようになりました。この辺りの土は上質の
ミネラルを多量に含んでいて、羊などの飼育に向いているそうです。



遠くに見えていたモン・サン・ミッシェルの姿が次第に大きくなってきました。





島に渡る手前のレストランでまず腹拵え。



料理は、もちろん名物の「ふわふわオムレツ」です。



モン・サン・ミッシェル Mont Saint-Michel
フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた古い歴史をもつ修道院です。
カトリック教徒の重要な巡礼地のひとつで、1979年に世界遺産に登録されています。また、
その優美な姿から世界的に人気の高い観光地にもなっています。



かっては満潮には島に渡る道が消えてしまい、命を失った巡礼者も多かったといいますが、
今は堤防で結ばれて車で安全に渡ることができます。

駐車場でバスを降りました。こちらの動画をご覧ください
(ご覧頂いた後、このページへはブラウザの←でお帰り下さい)



海水に濡れた駐車場から島に上陸。入口の前哨門をくぐります。



続いて「王の門」を通ります。
左側にオムレツで有名な「プーランおばさんのレストラン」
が見えます。



お土産屋やレストランの並ぶグランド・リュー通りに入りました。(この項続きます)

あたふたフランス日記(12)

2011-02-12 07:00:00 | 旅日記
ブールジュから更に125kmのバスでの移動。ロワール地方はロワール河流域の280km、面積
800平方mが世界遺産に登録されています。体調の悪い♀ペンはバスで座っていると幾分か
楽なようです。




ロワール地方には古城が点在し、その数は100を超えるといわれています。その中でも
「ロワール渓谷の宝石」といわれる最大の城がシャンポール城 Chateau de Chambord
です。



この城はフランス王フランソワ1世のために1519年に建てられたものですが、王の居城
ではなく、はじめはブローニュの森で狩りをするための小屋が始まりといわれています。
その後、歴代のフランス王などが増改築を加えて現在のような華麗な姿になりました。



正面から見たところです。古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を
取り入れたフレンチ・ルネサンス様式という、左右対称の構造になっています。



林立する小塔は殆どが暖炉の煙突で、寒冷な地方らしい眺めです。
城にはレオナルド・ダヴィンチが設計したという有名な二重らせん階段を始め、数々の
見所があるのですが残念ながら時間がなく、外部からの見学に終わりました。



次はアンボワーズ城へ向かいます。途中、今夜泊まるホテルがあるトゥールの町を
通過します。ここにも城館が見えます。



川沿いには沼地が続き、ところどころにこの様な鄙びた民家が建っています。



日暮れと競争するようにアンボワーズに着きました。



ここでもロワール川の手前から城館を見るだけです。ところで、この背中を見せて城館を
見つめる人は…



左手に抱えているのはメドゥーサの首…そうです怪物を退治したペルセウスの銅像ですが、
この顔はレオナルド・ダ・ヴィンチがモデルではないかと言われています。
ダ・ヴィンチは1515年冬、フランソワ1世の客人として招かれて城近くのクロ・リュッセ
(フランソワ1世が幼年期をすごしたクロー館)に住居を与えられました。



ロワールの川面に優雅な影を落とすアンボワーズ城。
この城はもと中世の城砦でしたが、15~16世紀にシャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、
フランソワ1世らの国王たちの居城として最盛期を迎えました。とくにフランソワ1世の
時代にはダ・ヴインチが設計に関わって、イタリア・ルネッサンスの建築様式が採用され
ています。



次第に暮れなずむアンボワーズ城をあとに、来た道をトゥールまで引き返します。



ロワール川を染めて夕陽が沈み、やがて驚くほど大きなまん丸に近いお月さまが銀色に
輝きだしました。町の灯が明るさを増す頃、トゥールに着きました。
明日は、いよいよ私たち二人が一番楽しみにしているモン・サン・ミッセルの観光です。


あたふたフランス旅行(11)

2011-02-11 06:00:00 | 旅日記


1月21日(金)
今日は長距離の移動日です。7時半、リヨンのホテルを出てブールジュへ向かいます。
広大な農耕地や牧畜地を見ながら382kmを走って…



昼頃、ブールジュに着きました。



近世の面影を残す古い民家の町並みが続きます。昼食を済ませてブールジュ大聖堂へ。



ブールジュ大聖堂 Cathedrale de Bourges
正しくはサン・テティエンヌ大聖堂。12世紀末から13世紀末にかけて造られた主教座聖堂
(カトリック教会の各教区の中心となる教会)です。

ゴジック様式のこの美しい聖堂は、1992年に世界遺産に登録されています。前の庭園から
その全景を見たところです。



庭園の美しい彫刻



西正面のファサードには5つの扉があります。



一番大きい中央の扉口は「最後の審判の扉口」と呼ばれています。



タンバン(扉口の上部のアーチに囲まれた半円形部分)とアーキヴォルト(タンバンの
周りの飾りアーチ部分)を拡大してみました。
タンバンの一番上層で両手を拡げているのは最後の審判におけるキリストです。
中層で秤を手にしているのは大天使ミカエル、魂の重さを量っています。その左側が選ば
れた者達の天国、右側が地獄に堕ちる者達です。右端には地獄の釜があります。
タンバンの下層には甦る死者たちが描かれています。下の人物像は「美しき神」。
見れば見るほど精緻で美しい彫刻です。



中央扉から教会内部に入りました。窓が大きくとられているので他の教会に比べて、
とても明るく感じました。大きなシャンデリアが下がっています。



ここにも天文時計がありました。









美しいステンドグラスの数々です。最後のものの最下部には寄進者の職業が描かれています。
このステンドグラスは印刷業者の寄進によるもののようです。

次は古城の散在するロワール地方へ参ります。