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ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

あたふたフランス旅行(10)

2011-02-10 06:00:00 | 旅日記
サン・ジャン大司教教会 CATHEDRALE SAINT-JEAN



フルヴィエールの丘の麓に12世紀から13世紀にかけて建てられたこの教会は、ロマネスクから
ゴシックへの移行期だったため2つの様式が入り混じっています。
 写真はソーヌ川に架かる橋の上から見たサン・ジャン大司教教会。丘の上のフルヴィエール
教会とともに二つの教会が見られるビュー・ポイントです。



有名な天文時計 L’horloge astronomique
14世紀に造られたフランスで最も古い天文時計だそうで、今でも毎日4回、美しい音色
とともに上の人形たちも動き出して時を告げています。



祭壇の左手奥にあるマリアの礼拝堂。ペテロとパウロの生涯を描いたステンドグラス。



そのステンドグラスの解説板です。



丸天井とステンドグラス



キリストの生涯を描いたステンドグラスの一部。近くにルイ9世が葬られています。



ソーヌ川を渡ってリヨンの繁華街へ向かいます。



ベルクール広場 PLASA BELLECOUR

17世紀に作られた広場に立つルイ14世の騎馬像と、新しい大きな観覧車が不思議な雰囲気を
醸し出しています。



しばらく辺りをぶらつくうちに、すっかり暗くなりました。



今日の夕食はポーク料理のレストランへ。





店中、ブタだらけでウェイターもジェスチャーたっぷりで面白い店でした。

あたふたフランス旅行(9)

2011-02-09 09:00:00 | 旅日記
リヨン

丘の上に立つフルヴィエール教会 BASILIQUE DE FOURVIEREに入ります。



正しくは「ノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂」という長い名前で、1872年
から1896年にかけて、街を見下ろす位置に建てられました。 
入口をくぐると…



ほの暗い内部を照らすキャンドルの揺らめきと





美しいステンドグラスの輝きに目を奪われます。



モザイク画も



装飾も、私たち門外漢から見ても優れた作品ばかりです。しかも誰でも自由に参観すること
ができます。



外に出て聖堂のファサード右側に見える建物との間を、奥に進みます。



こちら側からは黄金のマリア像のお顔が拝めます。



教会の東端から再び大展望を楽しんで、引き返しました。



教会横のお土産屋さんの店先。「星の王子さま」関連グッヅが多いのもその筈…



リオンは「夜間飛行」や「星の王子さま」で有名な飛行家・サン=テグジュペリ
の生地だったのです。
(彼の正しい名前は Antoine-Jean-Baptiste-Marie-Roger de Saint-Exupery、
それにしても長い名前ですね)
バスで町を下り、リオンの中心地へ向かいます。





フルヴィエールの丘の麓には中世の面影を残す古い街並みが残ります。
そこから見上げるフルヴィエールバジリカ聖堂です。





ここには初期キリスト教の聖堂の址に12世紀に建てられた、サン・ジャン大司教教会が
あります。
現在正面のファサードの辺りは修復中で(先の丘の上からの写真でも工事中の覆いがかけ
られているのが良く分かります)、横の小さな入口から入りました。<続く>

あたふたフランス旅行(8)

2011-02-08 06:00:00 | 旅日記
ポン・デュ・ガールで昼食を済ませて、バスで北へ380kmほど離れた次の目的地、リヨン
歴史地区へ移動します。



風が強いらしく風力発電のプロペラが並ぶ平野部ではいいお天気でしたが、プロヴァンス
地方への北側の入り口(私たちの行程では出口になりますが)にあたるモンテリマール近く
になると雪が舞いだしました。両側から山が迫りローヌ川谷が狭くなった横を走る頃には
激しい吹雪になり、リオンの観光も半ば諦めていました。



ところが幸運なことにリオンに着く頃には、雪から変わっていた雨も上がりフルヴィエ
ールの丘
へ登っていくうちに次第に青空が拡がってきました(16時00分)。
まずは丘の上からリオンの大パノラマをご覧ください。



下に見える川はソーヌ川で、その手前(西側)が古い時代の建物が今も残る旧市街、
川向こうがベルクール広場(観覧車が見えるでしょうか)を中心とした繁華街です。



ズームで撮った写真です。橋の手前に見える教会はサン・ジャン大司教教会です。
後ほど内部をご紹介します。

下の写真は、南から順に並べてあります。










最後の写真右側に写っている建物は、丘の上に立つこの町のシンボル、ルヴィエール
教会です。



フルヴィエール教会 BASILIQUE DE FOURVIERE



1872年にリヨン市民の寄付で立てられた教会です。右の塔の上には黄金のマリア像が夕陽に
輝いていますが、こちら側には背中を向けています。
では、教会の中に入ってみます。(続く)

あたふたフランス旅行(7)

2011-02-07 06:00:30 | 旅日記
ポン・デュ・ガール Pont du Gard



アヴィニョンから西へ23km、ガルドン川にかかる水道橋はローマ時代の遺跡として、世界
遺産に指定されています。



三層の巨大な水道橋は、アビニョンの東にある水源地ユゼスから50㎞はなれたネマウスス
(現在のニーム)まで水を通す途中でガルドン川を渡るために、紀元前19年頃に架けられ
ました。
アーケードは上に行くほど幅が狭くなっています。導水路のある上層は長さ275m、幅3m、
高さ7mで35のアーチ、中層は長さ242m、幅4m、高さ20mで11のアーチ、下層は長さ142m、
幅6m、高さ22mで6つのアーチからできています。全体の高さは最低水位から49mです。
(Wikipediaによる)



橋の上に人影が見えたので、下層のアーケードを対岸へ渡ってみました。三層が重なって
いるのでなく、下層は少し手前に張り出して人が渡れるようになっています。



中層の橋桁。工事の跡を物語っています。19世紀にもナポレオン3世の命令で改築されて
います。



柔らかい石材なのか、欄干にはこのような落書きがたくさん彫られていました。



対岸に着いて斜面を少し登ってみました。途中まで登ると橋の入り口には鎖が張られて
いました。先ほどの人影は強行突破したようですが、指示通り無理をせず引き返します。



川原に下りてみました。下から見上げると改めてその威容に圧倒されます。





昼食は橋の近くのレストランで食べました。
プロヴァンス地方の名物料理、ラタトゥイユ(野菜の煮込み)と肉料理です。
食後、232km離れたリヨン歴史地区へ移動します。

あたふたフランス旅行(6)

2011-02-06 16:37:00 | 旅日記
アヴィニョン AVIGNON (続き)
法王庁は中に入れずドン公園に登りましたが、実はその前にしばらくアヴィニョンの町
を歩きました。



ここは町の中心・時計台広場。少し北に行くと法王庁、両側にプラタナスの並木が続く
レピブリック通りがまっすぐ南のアヴィニョン駅に通じています。
市役所の上に時計台の上部が顔を出しています。その右は劇場。



別の角度から見た広場。
メリーゴーランドは、どの町でもよく見かけました。



市庁舎。なかなか立派な建物です。



劇場



これも立派な建物で、入口両側に美しい人物像の彫刻があります。



レピブリック通りには、このような立派なホテルやレストランなどの建物が並んでいます。
しばらく駅の方に行ってスーパーマーケットで酒の肴など買って、広場に帰りました。



ドン公園から法王庁に下ると、先の「ゾウさんのモニュメントのある公園」にでます。
法王庁の向かいにあるモネー館は、かって造幣局の建物でしたが現在は音楽院になって
います。この建物の彫刻もなかなか見応えがあります。



坂道の小路をバスの駐車場に下ります。



途中でサントン人形の置いてあるお店がありましたが、残念ながら閉まっていました。



バスは再び、サン・ベネゼ橋を見ながら、次の目的地、ポン・デュ・ガール(水道橋)
に向かいます。

あたふたフランス旅行(5)

2011-02-04 16:11:40 | 旅日記
1月20日(木)フランスでの二日目は、世界遺産の町・アヴィニョンから始まります。

アヴィニョン AVIGNON の町の歴史は紀元前6世紀ごろ、ギリシャ人がこの町を交易の
拠点としたことに始まります。14世紀に法王庁がここに移転し、グレゴリウス11世がローマ
に戻るまで1世紀にわたってローマ法王領として栄えました。



ホテルをでて、まずローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋 PONT ST BENEZETを車窓から
見学します。
「アヴィニョンの橋の上で」の童謡で知られる橋は、12世紀に「羊飼いのベネゼ」が神の
お告げによって造り始めたと伝えられ、最初は木の橋でした。1226年に石の橋に架け替え
られた当時は、全長920メートル、幅4mの22のアーチを持つ大きな橋でしたが、17世紀の
大洪水で殆どのアーチが流され、今は4つのアーチを残すだけの川の途中で途切れたまま
の姿になっています。
 幅4mの橋の上で「輪になって踊ろう」というのは、どう考えても無理な話で、実際には
橋の下の中州で踊ったということでした。



これはアヴィニョンの町角で撮した案内図の一部です。(サン・ベネゼ橋が途切れている
のが良く分かります)
バスは左端に見える橋を手前に渡って右へ進み…、



この城壁の下をくぐったところにある駐車場(地図のPの記号)で下車します。



法王庁の裏(北側)にあるこの城壁は、自然の岩壁を利用した要塞の役割を果たしていま
した。中世のキリスト教団は封建領主と同じように、敵からわが身を守るために私兵を持
つなどして領地・財産を守りました。法王といえども例外ではなく、町(領地)全体が城
壁で囲まれて今に残っています。

この城壁の上はドン岩壁公園(ロシェ・デ・ドン ROCHER DES DOMS)で、美しい庭園が
あり、またローヌ川や対岸の町などの絶好の展望台になっています。ここへは後ほど訪れる
ことにして、まずは町の中心地へ。



ここは時計台広場。(地図の下部中央、青い○で囲まれたところ)
左に見える建物はノートルダム・デ・ドン大聖堂、右が法王庁です。
前に見える黒いオブジェは、最近造られた「ゾウが鼻で逆立ちしている」形のもので、
歴史の古いアヴィニョンの建築物の中では、ちょっと不似合いな感じがします。



ノートルダム・デ・ドン大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame des Doms)

12世紀半ば建造されたロマネスク様式の教会堂ですが、その後何度となく改修されてい
ます。鐘楼の上の聖母像は19世紀半ばのもので、最近、新しく金箔が張られたそうです。





法王庁(LE PALAIS DES PAPES 教皇宮殿)

ヨーロッパ中世の代表的なゴジック様式をもつこの宮殿は、教皇(法王)のアヴィニョン
捕囚時代<バビロンの幽閉(1309年~1377年)>に教皇の住居だったところです。完成
までに30年を要したという、この要塞のような建物は新旧ふたつの区画に分れています。
1433年、ローマ教皇庁の所有財産になりましたが、1789年のフランス革命時に殆ど破壊
されてしまいます。その後、牢獄や兵舎として利用され、現在は修復されて国営の博物館
として公開されています。



法王庁横の坂道を登って、ドン岩壁公園へ。



広大な公園の上から市街を見下ろしました。反対側からはローヌ川を挟んで対岸の景色が
見えましたが、残念ながらピンボケで見るに堪えない写真でした。ともかく時間がなくて、
途中で待たせている♀ペンを気遣いながら殆ど駆け足での往復です。庭園は広大で帽子が
飛びそうになるほどの強風の中を、城壁の端まで往復するだけで精いっぱいでした。

*次回は時間的には逆になりますが、時計台広場周辺とそこから南に走るビュブリック通り
の写真を見て頂きます*

春立つ日の民俗公園(2月4日)

2011-02-04 15:58:29 | 矢田だより
「あたふたフランス旅行」は1回お休みさせて頂いて、近況のご報告です。



ここ二、三日、急に暖かくなりました。今日は立春。買い物以外は家に籠っていた♀ペン
もようやく外へ出歩く気分になりました。



我が家のロウバイは留守の間に終わりましたが、民俗公園ではこれからが盛りです。







紅梅も白梅もチラホラ咲き始めました。
「梅一輪ほど」どころか、一か月先まで季節が進んだような暖かさです。



いつもの倍近い時間をかけて、ゆっくりと公園を一周して、ベンチでティータイム。
のどかな春の朝でした。

あたふたフランス旅行(4)

2011-02-04 06:00:00 | 旅日記
アルル ARLES(続き)



街角に立つこの銅像の人は誰でしょう? いいえゴッホではありません。
GOOGLE MAPとWikipediaで調べてみますと、フレデリック・ミストラル(Frederic Mistral)
というプロヴァンス地方のマイヤーヌ生まれの詩人で、代表作『ミレイオ』で1905年、
ノーベル文学賞を受賞しています。その賞金でアルルにアルラタン博物館を創設しました。

博物館前のこの銅像は、その功績を称えて建てられたもののようです。



夕暮れ迫る町を急ぎ足で歩きます。ゴッホの「夜のカフェテラス」のモデルとなったカフェ
です。



今は Cafe Van Gogh と呼ばれています。ゴッホの絵には前に置かれた模写のように、
美しい星空の下のこのカフェが描かれています。



坂道の小路を抜けて…



明るさの残る高台に来ました。風が強く、夕方から凄く冷え込んできました。予想外に暖かい
南フランスでしたが、始めて寒さを感じました。
左側の建物は ARENES。1世紀に造られた巨大円形劇場です。



中世には要塞として利用され、19世紀に闘技場として再建。現在は夏から秋にかけて、ここで
闘牛が行われています。



今は中に入れませんが、ちょっと覗いてみましょう。



観覧席の一部が見えるだけでした。



ゴッホは、ここでも熱狂する観衆を描いた絵「アルルの闘牛場」を残しています。



闘技場前から見下ろした町なみ。確か、この辺りにゴッホの愛した娼婦が住んでいた…と
聞いた気がします。



もう町は日暮れて、移動遊園地のメリーゴーランドに灯が灯りました。



フランスで初めての夕食。前菜のパイに包んだ野菜料理。



メインディッシュは魚料理。タラのフライ・ソースかけ。



ワインは白にしました。明日はアヴィニョンに向かいます。

あたふたフランス旅行(3)

2011-02-03 10:53:16 | 旅日記
アルル Arles

「アルル」といえば、まず浮かぶのがビゼーの組曲「アルルの女」。
しかし、この町に縁の深いフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh:フランス語
ではヴァンサン・ヴァン・ゴーグ)にも同じ題名の有名な絵画があります。
 ゴッホは1853年生まれのオランダ人ですが、画家を志してデッサンの勉強を始め(1880年)、
パリへの移住(1886年)の後、陽光にあこがれて南フランスのここアルルでポール・ゴーギャン
と共同生活を始めます。
 1888年2月から翌年5月までの間に200点以上も制作した絵画の風景は、今もアルル周辺
にその面影を残しています。



1月19日 16時前、郊外の「アルルの跳ね橋」(ラングロワ橋)に着きました。
町の中心部から約3キロほど南西に離れた運河に架かっています。ゴッホの代表作の一つに
描かれた橋ですが、現在のものは観光用に復元されたものでゴッホが実際に見た光景とは
かなり違うということです。



手前にある橋を渡って対岸へ行ってみました。
次は市の中心部へ移動します。



エスバス・ヴァン・ゴッグ。(ゴッグ、ゴーグは「ゴッホ」のフランス読み)
ゴーギャンとの仲がうまくいかなくなったゴッホは精神を病み、自分の耳を切って女友達に
送るなどさまざまな奇行を始めます。
ここは1889年にゴッホが療養生活を送った病院。現在は市の総合文化センターとして内部に
図書室や資料室などが設けられています。



ゴッホが描いた「アルル療養所の庭」



その中庭も、ゴッホの絵の通りに復元されたものです。



エスバス・ヴァン・ゴッグ前の通り



パン屋さんの店先に、美味しそうなパンやケーキが並んでいます。
ここからレビュリック広場へ



レピュブリック広場(同じ名前の広場はパリにもあります)。
エジプトから運ばれたオベリスクが建っています。左側の国旗の立つているところが市庁舎、
右の建物はサン・トロフィーム教会です。





上部だけ夕陽を浴びる市庁舎(16時40分)。



サン・トロフィーム教会。少しの時間ですが、中に入り拝観しました。



美しいステンドグラス。



そして馬小屋でのイエス様生誕の模型。サントン人形の大型版ですね。
外に出ると17時近く。まだ円形競技場などアルルの観光が残っています。

*アルルとゴッホの足跡について関心をお持ちの方は、ぜひciao66さん
の「ペンギンの足跡」-「フランス紀行2010」をご覧ください。
同じペンギンを名乗る縁でBLOGを通じて知り合った友人ですが、彼の旅のスタイルは私たちの
ようなお仕着せのパックツァーとは大違い。移動手段から宿の手配まですべて自ら計画し、
地図を片手に歩きまわる手作りの旅だけに、隅々にまで行き届いたた細やかな観察眼で、
鮮やかな写真とともに旅の雰囲気を余すところなく伝えてくれます。彼はまた美術や文学にも
造詣が深いので、充実した記録になっています。*

あたふたフランス旅行(2)

2011-02-02 17:09:10 | 旅日記
陽光あふれる…いや今日は曇り空のニースからプロヴァンス地方の小都市、エクス・アン・
プロヴァンス(Aix-en-Provence)へ177kmをバスで移動します。



途中、ハイウェイはこのような形の岩山の横を通っていきます。
 プロヴァンス地方の歴史は古くギリシャ時代に始まり、とくにローマの植民都市だった
ローマ時代に栄えました。紀元前2世紀にフランスで初めてのローマ属州となり、
プロヴァンスの名前も「プロヴィンキア・ロマーナ(ラテン語)」つまり「「ローマ属州」
からきています。
 その後は各国から繰り返し侵略され、15世紀後半になってフランスに併合されました。
このような歴史を持つ地方のため、言葉にも強い訛りがあり、独自の文化が形成されている
ようです。



そのプロヴァンスの観光の拠点となっているのが、
エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)
<フランス語はアンシェヌマン(前の子音と跡の母音をつないで発音)するので
フランス人には「エクサンプロヴァン」です>

1時間ほど市内を散策しました。
この町の名前のエクスはラテン語の「アクア(水)」が転訛したもので、市内には100を超す
数の大小の噴水があり「水の都」といわれてます。

私たちの町歩きのスタートも、ミラボー通りにある「トロンド噴水」のあるドゴール将軍広場
から始まりました。



ミラボー通りはエクスを南北に分けるメインストリートで、プラタナスの並木道が続き、
両側の建物は17~18世紀の貴族の邸宅が多く、優雅な雰囲気の中を若々しい学生たちが
闊歩しています。

ミラボー通りの北側が旧市街で、この辺りを中心とした区域が世界遺産に指定されています。



旧市街に入りました。写真はジューススタンド。他にも小さなレストラン、革製品の店、
靴屋、小物を売る店などが並んでいます。
石畳みの舗道、古い煉瓦造りの建物、ギターを弾きながら物乞いをする老女…確かに長い
歴史の重みを感じます。ただ、残念なのはゴミやタバコの吸い殻が散乱し、それが空っ風
に舞って情緒を台無しにしていたことでした。



土産物屋さんのショーウィンドウです。並んでいるのは郷土人形の「サントン」
クリスマスに各家庭でキリスト生誕の様子などを表す人形を飾る習慣があり、先祖代々
受け継がれてきたものが多いようです。(日本の雛飾りに似ていますね)、

「Santoun」はプロヴァンスの言葉で、フランス語ではPetit Saint=小さな聖人の意味
だそうです。この地方特産の石灰分を含んだ粘土で作られています。人形たちの纏って
いるのは18世紀頃のプロヴァンス地方の民俗衣裳です。よく見ると、色んな職業の人達
が並んでいます。



市庁舎前の広場です。ここにも噴水があります(二人が腰かけている後ろ)。
お昼休みにカフェの前でくつろぐ人々が、暖かい日差しを浴びて談笑しています。



上の写真の左側に続きます。左端の背中を見せている茶色のジャンバー姿の人は、
アコーディオンを弾く辻音楽師(つまり「流し」)です。



更に左にカメラを振ります。左側、旗の立っているところが市庁舎。
時計の付いている塔の下をくぐって進みます。





サン・ソーヴール大聖堂
5世紀から17世紀までの様々な建築様式が見られる有名な大聖堂です。残念ながら、
ここも時間がなく入場できませんでした。
ここが旧市街のおよそ北の端で、元の道を集合場所に引き返しました。



セザンヌの通っていた大学です。エクスは「近代絵画の父」といわれるポール・セザンヌの
生まれた町で、彼のアトリエはじめ様々な所縁の場所が残っています。



ドゴール将軍広場に帰りました。その近くにあったセザンヌさんと一緒に…。

<次回はゴッホゆかりの町、アルルへ参ります>