今日(昨日?)NHK「日曜美術館」(バロック特集)を見ていて困ってしまった。ブログ用に書いていたものと何だか重なる部分があって…これは全くの偶然なので悪しからず。
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前回の(1)ではカラヴァッジョとベーコンに共通するリアリズムについて触れたが、付け加えると、そのプレゼンテーション手法がまったく違うのも面白かった。
カラヴァッジョは画面に観る者を引きずり込もうと画策する。設置される場所を想定し、描きだす劇的シーンの臨場感を高めようとする。スポットライトで浮かび上がる場面はまさに観者の目の前で起こっていることのようだ。短縮法の多様による画面からの突出感、呼び込む視線、観者を招く空椅子など…あの手この手で画面と観る者との垣根を取り払おうとする。
しかし、ベーコンは何と描かれた対象をフレームに閉じ込め、更には絵を覆うガラスで観者から遠ざけようとしているかのように見える。もしかして対象の客体化を狙っているのかもしれない。鏡としての肖像画を解体したのはピカソだと思うが、ピカソは計算しながら解体再構築したのに、ベーコンは解体剥き出しにしたまま画面に放置しているように見える。ガラスの奥のフレームの中で、もしかして見世物化しているんじゃないのか?
いずれにしても、二人とも描いている対象の存在を濃厚に描ききっているのに、それをどのように見せるかという段になるとベクトルの向きが正反対なのだ。それをバロックと現代の違いと言ったら、まぁそれまでなのだけどね。
と、言うことで、美術ド素人(更に現代美術苦手)がまた見当ハズレなことを言っていたらごめんなさい。なにしろフランシス・ベーコンについては殆ど知識が無いので、作品を観ての勝手な感想なのだから(^^;;;
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前回の(1)ではカラヴァッジョとベーコンに共通するリアリズムについて触れたが、付け加えると、そのプレゼンテーション手法がまったく違うのも面白かった。
カラヴァッジョは画面に観る者を引きずり込もうと画策する。設置される場所を想定し、描きだす劇的シーンの臨場感を高めようとする。スポットライトで浮かび上がる場面はまさに観者の目の前で起こっていることのようだ。短縮法の多様による画面からの突出感、呼び込む視線、観者を招く空椅子など…あの手この手で画面と観る者との垣根を取り払おうとする。
しかし、ベーコンは何と描かれた対象をフレームに閉じ込め、更には絵を覆うガラスで観者から遠ざけようとしているかのように見える。もしかして対象の客体化を狙っているのかもしれない。鏡としての肖像画を解体したのはピカソだと思うが、ピカソは計算しながら解体再構築したのに、ベーコンは解体剥き出しにしたまま画面に放置しているように見える。ガラスの奥のフレームの中で、もしかして見世物化しているんじゃないのか?
いずれにしても、二人とも描いている対象の存在を濃厚に描ききっているのに、それをどのように見せるかという段になるとベクトルの向きが正反対なのだ。それをバロックと現代の違いと言ったら、まぁそれまでなのだけどね。
と、言うことで、美術ド素人(更に現代美術苦手)がまた見当ハズレなことを言っていたらごめんなさい。なにしろフランシス・ベーコンについては殆ど知識が無いので、作品を観ての勝手な感想なのだから(^^;;;