花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ティッセン=ボルネミッサ美術館「カラヴァッジョと北方の画家たち展」感想(4)

2016-09-26 22:43:25 | 展覧会

2)最初の賞賛者:アダム・エルスハイマーとピーテル・パウル・ルーベンス(その1)

エルスハイマー(Adam Elsheimer, 1578年- 1610年)は1600年にローマに来ている。ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577 - 1640年)はマントヴァ公の推薦を得て1601年にローマにやって来た。そして、カラヴァッジョの活躍するローマで二人は知り合い、カラヴァッジョの革新的画風に接することにより、「最初の賞賛者」となる。

ちなみに、この展覧会は「カラヴァッジョと北方の画家たち」なので、イタリア人のカラヴァッジェスキは基本的に含まれていない(ナポリと南イタリアは別章で扱われている)。故に「最初の賞賛者」としてエルスハイマーとルーベンスが登場するのだろうなぁ、と思った。

さて、エルスハイマーは「レンブラントへの影響」についてで言及されやすいが、こうしてカラヴァッジョの影響を受けた面が強調されると私的にやはり嬉しい(^^ゞ。だが、今回のエルスハイマーとルーベンスを並べて観ると、美術ド素人眼にもエルスハイマーがルーベンスに与えた影響にも気付かざるを得ない。 

会場ではまず、カラヴァッジョ《フォロフェルネスの首を斬るユディット》の参考写真が展示されていた。

※参考画像:カラヴァッジョ《フォロフェルネスの首を斬るユディット》(1599年)パラッツォ・バルベリーニ

・エルスハイマー《ホロフェルネスの首を斬るユディット》(1601-03年)ウェリントン美術館(ロンドン)

この作品は銅板に油彩で描かれており、サイズも小さいが、カラヴァッジョの明暗法の影響が色濃く見える。画面を子細に観るとホロフェルネスの首は既に殆ど斬られた状態であり、首断面と口内から迸る出血描写が見られる。だとしたら、ユディットの振り上げる刃は最後に斬り落とすためか?背後の戸口カーテンの奥には侍女の姿が仄かに人影として浮かび上がる。 

エルスハイマーと言えばミュンヘンのアルテ・ピナコテークで観た《エジプト逃避途中の休息》の夜景表現が記憶に浮かぶが、この作品では光源の多様さに目を惹かれる。特に、事件場面を照らす蝋燭の炎だけでなく、背後の戸口からの薄明かりは効果的だ。また、この作品には右テーブル上の静物画描写の上手さも際立ち、その緻密さはドイツ風というより、寧ろネーデルラント風であり、何故かヘラルト・ダウを想起してしまったほどだ。(水の入ったガラス瓶の描写はカラヴァッジョを意識したような気もするけどね(^^ゞ)

エルスハイマーの光源の多様性は、多分レンブラントに影響を与えてはいるのだろうが、今回ルーベンスとの交友関係を知るにつけ、カラヴァッジョとともにルーベンスへの影響も見逃せなく、美術ド素人の暴走かもしれないが、ナショナル・ギャラリー《サムソンとデリラ》を想起してしまった。 

※私的参考作品:ルーベンス《サムソンとデリラ》(1608年)ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

暴走かもしれないけど、ねっ、光源の取り方がなにやら似ているでしょ?(^^ゞ ちなみに、映画「ナショナル・ギャラリー」では、この光源が飾ってあった館(暖炉上)の光源に一致していることが紹介されていた。(LNGのサイト参照)

ということで、続く…。