11月にロンドン・ナショナル・ギャラリーで「コートールドの印象派展(Courtauld Impressionists:From Manet to Cézanne)」を観た。多分、今年日本で開催される展覧会はその移動展のように思われる。
コートールド美術館は以前訪れたことがあり、主目的は古典絵画の方だったが、やはりマネ《フォリー=ベルジェールのバー》にはひと際眼を惹かれた。
サマセット・ハウス「コートールド美術館(Courtauld Institute of Art Gallery)」入口
今回の旅行にあたってサイトを確認したら休館とのことでガッカリしていた(なにしろホテルからも近い)。それでも、LNGのサイトで「コートールドの印象派展」があることを知り、「マンテーニャとベッリーニ展」と一緒にチケット購入したのだった。
コートールドの印象派コレクションは質が高くて見応えがある。マネ作品や、今回のポスターにもなっているルノワール作品など、画家の傑作ともいえる作品が並ぶ。もちろん、ドガの踊り子もあるし、後期印象派のゴッホやゴーギャンもある。今回の展覧会場でも画家別の作品展示になっていて、コレクターであったコートールドの印象派画家への傾倒と審美眼が偲ばれる展覧会だった。
で、やはり今回の展覧会でも《フォリー=ベルジェールのバー》の前で見入ってしまった
エドゥアール・マネ《フォリー=ベルジェールのバー》(1881-2年)コートールド美術館
バーカウンターに両腕を置く三角構図の物憂げなバーメイドの、そのどっしりとした存在感(&白黒衣装+胸元ブーケもパリジェンヌっぽい♪)が観る者を魅了する。私的には特にカウンター上の酒や花瓶、果物と言ったマネの静物画描写の上手さに感嘆してしまう。
バーの後ろには鏡があり、店(サーカスも上演する劇場のようだ)の様子が映り込んでいる。興味深いのは、右部分にバーメイドの後ろ姿と対応している男性客がも映っていることだ。私見を言えば不合理とも思える構図であり、マネが意図してズラしたか、それとも「あの客は嫌なヤツだったなぁ」とバーメイドが回想している時間のズレを描いたものなのか、なにやら謎だった。で、ネット(Wiki)で調べたら、遠近法的に男性客はマネ(視点)の視界の外の左側に居てバーメイドを見ていないそうだ。へぇ~
ちなみに、1997-98年に開催された「コートールド・コレクション展」の解説では...
http://www.nikkei.co.jp/topic7/court/gallery3-6.html
さて、図書館から借りて、三浦篤・著「エドゥアール・マネ」(角川選書)を読んだ。
三浦先生のマネ愛が頁を開くと溢れ出す
で、非常に興味深かったのは、マネ《フォリー=ベルジェールのバー》がベラスケス《ラス・メニーナス》への時代を超えた、ある意味で返歌のような作品であることだった。マネがベラスケスに心酔していたことは有名である。
「彼女に関する別個の場面が人為的に並置されたのだと考えてみた場合、遠近法のゆがみに時間の複数性が重なることによって、古典的な現実表象が根本から崩壊しつつある絵画と捉えることができよう。ここには、統一的な時空間における完璧な現実表彰を実現した《ラス・メニーナス》とは異質の絵画世界が出現している。...すなわち、《ラス・メニーナス》に代表される絵画史を終わらせるために《フォリー=ベルジェールのバー》を描いたのである。...それは、伝統の継承と断絶を同時に具現するマネが、充実した「白鳥の歌」を完成させ、尊敬する巨匠に捧げた最後の目配せだったのではなかろうか。」(「エドゥアール・マネ」p78)
私的には三浦先生の説に、なにやら納得したのであった