国立新美術館「メトロポリタン美術館展」を観た。詳細は後日として、取りあえずサクッと私的感想を書きたい。
コロナ禍に突入した2020年1月末以来の東京での展覧会鑑賞である。コロナ怖さに泣く泣く諦めたLNG展だったが、今回はワクチン3回目も接種したし、何と言ってもカラヴァッジョ&ラ・トゥール作品を見逃すことは私にはできない。(コロナ発症したら救われないが)
今回の展示作品はルネサンスから後期印象派まで、それも北方ルネサンスの板絵も来日という、私的に嬉し過ぎる内容であり、海外美術館に行けない現状においては慈雨のような展覧会だった。「○○美術館展」と称する展覧会は大抵具も少なく味も薄いスープを飲んでいるような気がするものだが、さすがMetだから(それにブリスベン経由だし)作品選択とソツのない構成は手慣れたものがある。「Europian Masterpieces」のテーマに沿ったMet常設展とは異なる展示は、まるで小ぶりの美術館を訪れたような不思議な満足感を感じた。もちろん、今回の目玉作品であるカラヴァッジョ&ラ・トゥールの横並び展示の眼福効果が影響大なのだが(笑)。
ということで、超私的感想(意味不明は悪しからず)をサクッと飛ばそうと思う。
まずは、フラ・アンジェリコから始まったイタリア・ルネサンス。
カルロ・クリヴェッリ《聖母子》(1480年頃)メトロポリタン美術館
クリヴェッリ《聖母子像》背景のヴェネツィア派的風景に北方的なものを感じたら、図録にも書いてあった。が、画家の描く蠅が「罪の象徴」と書かれていて、ペトルス・クリストゥスなどと同じ画家の技術誇示じゃないの??と驚いた。それから、モワレ布を吊るす赤い紐と輪金具って、芸が細か過ぎません?(笑)。
隣の展示室には眼に嬉しや北方ルネサンス絵画!!
ディレク・バウツ《聖母子》(1455-60年頃)メトロポリタン美術館
ディーリック・バウツ《聖母子》が素晴らしかった!!聖母にはモデルがいたのだろうと思えるリアルな写実と皮膚の質感。ペトルス・クリストゥス《キリストの哀悼》ではニコデモの釘金槌に画家の描写力を見た。ハンス・ホルバイン(子)《ベネディクト・ヘルテンシュタイン》の室内装飾にマンテーニャ《カエサルの凱旋》フリースが描かれており、おおっ!と驚いた。ルーカス・クラーナハ(父)《パリスの審判》は数ある同主題作品の中でも質的に優品だと思う。ドナウ派らしい風景と噎せ返るような濃緑も良し。北方作品のキモは光と細部描写に在り。
さて、今回のハイライトはなんてったってバロック!! 左にカラヴァッジョ、右にラ・トゥールが並ぶ様は眼福であった。この2作品とも、2016年のマドリード「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」と「カラヴァッジョと北方の画家展」以来のほぼ6年ぶりの再会である(遠い目)。
カラヴァッジョ《音楽家たち》(1597年)メトロポリタン美術館
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《女占い師》(1630年代)メトロポリタン美術館
でもね、この2作品が並ぶと、カラヴァッジョ偏愛の私が言うのも変だけど、ラ・トゥール《女占い師》の方が華やかオーラが凄くて、カラヴァッジョ作品の中でも小品的な《音楽家たち》は正直不利だと思った。正面リュートを惹く少年の潤んだ眼や半開きの唇と舌の色っぽさでも太刀打ちできないんだわ。Met常設ではこの2作品並びは無いので良いのだけどね。
で、単眼鏡で舐めるように観た《女占い師》に、ふと、ヤン・ファン・エイク由来の北方的(ネーデルラント的)光と質感描写の伝統を感じた。昼の絵にテル・ブリュッヘン、夜の絵にホントホルストの影響が感じられるし、美術ド素人眼だけれど、やはりラ・トゥールはネーデルラント(ユトレヒトあたり)に修行に出かけたのではないだろうか??
ということで、飛ばし過ぎの息切れがするので、続く