花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

「西洋絵画、どこから見るか?」展のジョット作品は貴重だ!

2024-12-01 21:51:13 | 展覧会

国立西洋美術館に置いてあった「西洋絵画、どこから見るか?」展のチラシ(コターンとカペ作品のみ)を見ると、あまり脚光を浴びていないようなので、老婆心ながらちょっと触れておきたい

私見ではあるが、この展覧会で多分一番貴重な作品は、ジョット《Polittico Baroncelli(バロンチェッリ多翼祭壇画)》の尖頭部分だと思う。だって、一部とはいえジョット(&工房(タッデオ・ガッディ))の祭壇画なのだよ~ 祭壇画本体はイタリアの国宝級なのだから(と勝手に思っている)。

ご参考:https://it.wikipedia.org/wiki/Polittico_Baroncelli

ジョット(&工房)《父なる神と天使(「バロンチェッリ多翼祭壇画」尖頭部分)》(1328-35年頃)サンディエゴ美術館

ジョット(&工房)《Polittico Baroncelli(バロンチェッリ多翼祭壇画)》(1328-35年)サンタ・クローチェ教会

※ご参考:(拙ブログ)ミラノ「ジョット展」サクッと感想

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/112107cc63b2fe56a8b2bdc05c285a3e

皆々様、来日展示の折は、(異論はあっても)ジョット様を粗末にしてはなりませぬよ



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18 コメント

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むろさんさん (花耀亭)
2025-01-20 02:29:05
むろさんさんがオルヴィエートにいらっしゃったのがボッティチェッリとサボナローラ関連だと知り、なるほど!でした(^^)。システィーナ礼拝堂では一緒に仕事してますが、それでも、やはり異なる志向が見えるのも興味深いですね。
私的に今までルカ・シニョレッリ作品はそれほど注目はしていなかったので(汗)、むろさんさんのコメントを拝読しながら改めて勉強させていただきました。ありがとうございました!!
実は、ロレートやコルトーナでも見ているのですが、しみじみ観ていなかったのが悔やまれます(^^;。今回、デジカメ画像やネット画像をチェックしてみて、その作風の変遷も興味深かったですし(ピエロの弟子だった!)、やはりボッティチェッリとの同時代感も大いに感じることができました。でも、ペルージャの祭壇画はヴェネツィア派の影響を感じ特に印象に残っています。
ちなみに、ラファエッロ作品の影響も受けているようですが、ペルージャのサン・セヴェロのフレスコ画、ラファエッロ筆の下部分(未完成部分)をペルジーノ(工房)が描いたことも初めて知りました(汗)。ラファエッロの天使ばかりに観ておりました(^^ゞ。ペルジーノの場合は大工房経営志向なので、画家としてのプライドよりも、きっと仕事と割り切っていたでしょうね。当時の画家たちには著作権(多分概念すら)も無く、それに注文制作の時代ですから、現代の常識では測れないこと多々だと思います。それでも、むろさんさんのおっしゃるように、三巨匠のプライド意識は強かったでしょうね~🌟。
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ルカ・シニョレッリのこと(続き) (むろさん)
2025-01-16 12:34:10
金彩の件については、レオナルドの手記に出ている「金やラピスラズリを使わないと良い絵が描けないと言う人に対する非難」のことを思い出します。ケネス・クラークはこの非難の対象をピントゥリッキオのことと判断していますが(レオナルド・ダ・ヴィンチ 絵画の書 岩波2014、ケネス・クラーク著レオナルド・ダ・ヴィンチ―芸術家としての発展の物語 原著1939 邦訳1974法政大学出版局)、オルヴィエートのフレスコ画が裸体表現でミケランジェロの先駆とされ、ルカ・シニョレッリの最高傑作と評価されている一方で、天上にいる天使の背景は一面の金地に金の半球盛り上げで埋め尽くされています。この部分だけ見るとピントゥリッキオのやっていることとあまり変わらない気がします。ついでながら、クリヴェッリも(今回出品されるような聖母子画ではあまり目立たないのですが)多翼祭壇画では金の盛り上げを多用していて、同時期では似たような傾向の画家と思います。

なお、上記コメントでも書いたように、私は高階先生のルネサンスの光と闇を読んで、ボッティチェリが(サヴォナローラを追想するような)現LNGの神秘の降誕を1501年にフィレンツェで描いていたのと同じ時期に、ルカ・シニョレッリはこれと反対にオルヴィエートのフレスコ画でサヴォナローラを暗示する偽キリストを描いた(A.シャステルの説)という話に特に関心を持ち、これがきっかけでオルヴィエートへ行ったのですが、最近ではシニョレッリの描いた偽キリストはサヴォナローラではないという説が有力となってきたようです。上記論文の著者森結氏が美術史189号2020で発表したサン・ブリツィオ礼拝堂装飾事業に関する論文で上記J.B.Riessの1995年の本(The Renaissance Antichrist)その他を引用してこの件も述べられています。また、中公美版ヴァザーリの列伝(ルカ・シニョレッリ伝の訳と解説は宮下先生)の解説には「反キリストの存在にはサヴォナローラが投影されていると指摘する者もいる」と、(シャステル、高階等の)従来の説よりもトーンダウンした表記になっています。森論文に取り上げられている諸説では当時のオルヴィエートはフィレンツェの政争・混乱とは無関係であり、偽キリストは異教徒全般を指すとのこと。

私は常に空間的にも時間的にもボッティチェリを基準・中心軸としてルネサンス美術を考えてきました。そしてボッティチェリの晩年の実態(サヴォナローラとの関係や困窮の原因など)を理解するために、他の周辺画家の状況にも注意してきました。同じような作品ばかり描いて飽きられたためにフィレンツェから離れたペルジーノや注文者に合わせて様々な作品を描くことができる画家だったので、師のボッティチェリよりも売れっ子になったフィリッピーノ・リッピなどです。今回のことで今まであまり考えていなかったルカ・シニョレッリのケースをそういった周辺画家の一人として追加することができたと思います。また、シニョレッリとミケランジェロの借金騒動を前コメントで書きましたが、旧世代の画家たちと三巨匠の関係も興味深い話がいろいろありますので、こういったことも含め今後も調べていきます。

今回ルカ・シニョレッリのことを調べていて、(ラファエロの絵からの借用、ミケランジェロからの借金問題から)芸術家としてのプライドをどう考えるべきかということもいろいろ考えさせられました。
ラファエロとシニョレッリの関係から連想したのはペルージアのサン・セヴェロの絵です。ラファエロが未完成のまま残したキリストと天使の絵の下にペルジーノが聖人を描いて完成させていますが、「かつての弟子の絵の下に追加して完成させた時のペルジーノの心境はどうだったのか」という趣旨の文章を読んだことがあります(小宮豊隆著「イタリー日記」角川1979。原文は100年前に書かれたもので、矢代幸雄の英文著書ボッティチェリとほぼ同時期)。私がこの絵で思っているのは、ペルジーノは注文を受けたから描いただけであり、特に気にしていなかっただろう、ということです。依頼金額が低い場合はほとんど弟子まかせだったようですから、この絵も下絵だけペルジーノかもしれません。もしそうならば、なおさらラファエロのことなど気にしなかったでしょうね。ヤマザキマリがリ・アルティジャーニで書いているように、GLI ARTIGIANIというのはあくまで職人であり、最終話で「我々は時代を象った職人だった、それだけのことなのだよ ボッティチェリ」とレオナルドに語らせていたのが印象的です。

ルカ・シニョレッリのフィリッピーニ祭壇画に関しては、上記森論文でラファエロのコロンナの祭壇画の影響を受けた作品として、ペルージアにある別の作品(シニバルド・イビ作サンタゴスティーノ祭壇画、現ウンブリア国立美術館)が取り上げられ、当時ウンブリア周辺画家によってコロンナの祭壇画が模倣されていたことが述べられています。ルカ・シニョレッリも当時評判になっていた新進画家ラファエロの作品からモチーフを採用したのであり、自分よりはるかに若い画家の絵を真似するということにはあまり抵抗がなかったように思います。

この時代から100年後の1600年前後にカラヴァッジョはいくつかの作品の受け取り拒否に会い、描き直しをしていますが、石鍋氏は「収入が倍になって喜んだかもしれない」と書いています。また、リュート弾きのように評判が良くて別の注文者からの依頼があればもう1枚同じ絵を描くということもやっています。20世紀になってキリコが以前描いたものと同じ作風の絵(形而上絵画)を描いて評判が悪かったというのとルネサンス・バロックでは芸術家に対する考え・評価が違うということをいつも頭に入れておかないと、現代人の常識でルネサンス・バロック美術を解釈してはいけないということですね。(でも、三巨匠は現代人と同じようなプライド意識を持っているようにも感じますが。)
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ルカ・シニョレッリのこと (むろさん)
2025-01-16 12:32:32
ルカ・シニョレッリの聖母戴冠が出品される機会に、現在この画家について手持ち資料を確認しているところです(上記のカタログレゾネ、東京書籍の本、ヴァザーリの列伝、高階先生のルネサンスの光と闇、これ以外では昔買ったファブリやSadea/Sansoniの画集、オルヴィエート壁画の大判で薄い画集、同壁画の偽キリストに関する研究書―J.B.Riess著1995、日本語での論文コピー数件など)。この中に今回出品される聖母戴冠を取り扱った日本語論文がありました(コピーしたことを忘れていました)。

それは九州芸術学会(九大に事務局)発行の「デアルテ」32号2016掲載の
森結「ルカ・シニョレッリの装飾的傾向に関する一試論―アルチェヴィア、サン・フランチェスコ教会の為の《フィリッピーニ祭壇画》を中心に―」
です。ネットでは公開されていませんが、著者がこの論文の少し前に発表した関連内容の要旨が2件あり、ネットで読めます(2番目は「若手の3」に記載)。
https://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~aesthe/gakkai/hokoku/h27.html
https://www.geidai.ac.jp/labs/aesthetics/bigaku64/abstracts.html

デアルテ論文では、前投稿で書いたブレラにある聖母子と4聖人の絵(フィリッピーニ祭壇画)とサンディエゴの聖母戴冠が本来一具であったことはほとんどの研究者に認められているとして、海外の研究者が示した復元図も掲載されていますが、写真では聖母戴冠の横幅と祭壇画中央パネルの横幅が同じサイズで示されていて、上記のカタログレゾネやZeriのカタログに出ている聖母戴冠127 × 223、中央パネル227 × 185cm(ともに縦×横)と合いません。この件は実物を見るまでの宿題としておきます。

論文の内容としては、オルヴィエートのフレスコ画以降のルカ・シニョレッリは装飾過多の時代遅れの画家であるとする従来の通説に対し、ラファエロのコロンナの祭壇画(現メトロポリタン美術館)の影響を受け、さらにそれを超える細部装飾を試みていることなどから、決して時代の潮流に取り残されているわけではないということが述べられています。また、アンコーナ県アルチェビアのサン・メダルド教会にある多翼祭壇画は金を多用した100年ぐらい時代が遡ったのではないかと思われるような絵ですが、これについても既に作られていた金地の枠に合わせたためであり、シニョレッリが描いた人物は時代相応のものになっていると評価しています。

聖母戴冠については、金彩を用いた表現方法が特筆すべきとしていて、「聖母の頭上に捧げられた冠は装飾が盛り上げられ、その上から箔を置く技法が用いられている。また、父なる神の外衣にも金彩が施され、そこに蔓草に絡むプットの文様があしらわれている。これらは祭壇画中央パネルとも共通する技法である」とのこと。聖母戴冠の金彩装飾については拡大鏡持参でしっかり観察しようと思います。

私はこの論文を読んで著者の論述の趣旨は了解できたのですが、それでもフィリッピーニ祭壇画とコロンナの祭壇画の比較では、やはりルカ・シニョレッリの置かれた時代的限界がはっきりしたという気もします。コロンナの祭壇画は1503~05年頃でラファエロ20歳~くらい、一方シニョレッリのフィリッピーニ祭壇画はその約5年後の1508年の作で、シニョレッリはペルージアでコロンナの祭壇画を見ていたはずであり、それは1502年にオルヴィエートのフレスコ画が完成した少し後です。ラファエロは1504~08年までフィレンツェで聖母子画の傑作を多数仕上げ、1508年末にはヴァチカンの壁画を描くためにローマへ移っています。1508年時点ではラファエロ25歳、ルカ・シニョレッリは58歳前後であり、フィリッピーニ祭壇画ではシニョレッリはコロンナの祭壇画の玉座や背後の栄誉の帳の形式を取り入れ、さらに細部において細かな変更や当時発見されて間もないドムス・アウレアのグロテスク模様なども取り入れていて、時代の流れにきちんと対応しているとのことです。しかし、次々と変化し、ヴァチカンに招かれ、最後はパンテオンに葬られるまでになったラファエロと比べるのは酷ですが、時代遅れとなったクワトロチェントの旧世代画家とチンクエチェントの三巨匠の差というものをあらためて実感してしまいます。

ラファエロ作コロンナの祭壇画の写真は下記
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Madonna_and_Child_Enthroned_with_Saints.jpg
ルカ・シニョレッリ作フィリッピーニ祭壇画の写真は下記ブレラ美術館のHP(前コメントで引用したZeriのカタログではモノクロでしたが、こちらはカラー写真)
https://pinacotecabrera.org/collezioni/collezione-on-line/madonna-in-trono-con-il-bambino-e-i-santi-giacomo-maggiore-simone-francesco-dassisi-e-bonaventura-pala-di-arcevia/

この2つの祭壇画から玉座の形や装飾模様などの類似点を比較してご覧ください。なお、中央パネルの上にルネッタが載る全体の形も2つの祭壇画はよく似ていると感じます。

グロテスク模様については、ローマに行く前のラファエロが採用していないのは当然として、シニョレッリは1502年頃のオルヴィエートのフレスコ画で既に採用しており、それはフィリッピーノ・リッピがサンタ・マリア・ノヴェッラのストロッツィ礼拝堂で採用したのと同様の早い例です(ドムス・アウレアにはフィリッピーノの落書き署名が残されているそうです)。しかし、いかに当時の流行だったとはいえ、その後のマニエリスム・バロックへとつながる歴史を考えてみると、グロテスク模様を採用すること自体三巨匠前後の「正統的な」美術の流れとは異なる「あだ花」だったという気がします。この15世紀末頃のフィリッピーノ・リッピ、ストロッツィ礼拝堂壁画に対する評価も「ルネサンスの理想からなんと遠くへ来てしまったことか」(NHK出版フィレンツェの美術4)とされているくらいです。ルカ・シニョレッリはオルヴィエートのフレスコ画でミケランジェロを先取りするような裸体像の肉体を表現する一方で、金の多用やグロテスク模様の採用を行っていて、先進性と古い世代の両方の特徴を持っている画家と感じます。(続く)
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むろさんさん (花耀亭)
2025-01-03 01:24:33
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
で、なるほど、ルネサンス期でも画風の流行(時代遅れ)と言うものがあったのでしょうね。ペルジーノは大工房経営していたのでマンネリズム化はわかるのですが、ボッティチェッリの場合...現代でも素敵なのに、晩年の貧困化はとても残念です(涙)。
ちなみに、私も1500年代(cinquecent)よりも1400年代(quatrocent)の画家たちの方が断然好きです(*^^*)。
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借金の問題 (むろさん)
2025-01-01 00:17:02
ルカ・シニョレッリ聖母戴冠ルネッタのwiki写真ご紹介ありがとうございます。こちらの方が画質が良いので早速保存しました。

さて、ルカ・シニョレッリの借金の件ですが、私はこれを読んですぐに、ボッティチェリの没後に負債が多額のため遺族が相続放棄したことを連想しました。また、晩年作が時代遅れとなったということからはペルジーノとも似ていると感じました。この3人にギルランダイオも加え、これら1400年代後半の人気画家は皆1480年頃のシスティーナ礼拝堂側壁の装飾に従事した画家です。ギルランダイオは1490年代前半にペストで亡くなっていますが、それ以外の3人は1510~20年代まで生きているので、3巨匠の活躍期に晩年を迎え、時代遅れになったり、同じ絵ばかり繰り返し描いていると批判されたり(ヴァザーリの列伝中のペルジーノ伝)しているので、彼らが経済的に困窮していたことは事実だと思います。ボッティチェリの場合は遺族が相続放棄しているので、工房(アカデミア・デル・ショペラーティ:怠け者のたまり場)に残された作品は債権者が差し押さえたと思われ、その一部は現存していることでしょう。ルカ・シニョレッリの場合はミケランジェロに金を借りたために、現代までそのことが伝わったわけですが、ボッティチェリの場合は最近になって文書が発見されるまでは多額の負債のことは知られなかったことです。ペルジーノに借金があったかどうかは分りませんが、「強欲画家ペルジーノ」などとも書かれている(芸術新潮2004年6月号ペルージャでのペルジーノ展紹介文)ぐらいですから、金銭的に批判されることがあったと想像できます(ヴァザーリの記述なのでどこまで真実かは問題ですが)。

私は3巨匠よりも1400年代後半の画家の方に親近感を持っていますが、1490年代後半以降の時代は彼らにとっては「時代遅れの画家の晩年」ということで、経済的にはかなり厳しいものだったと思っています。
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むろさんさん (花耀亭)
2024-12-30 23:52:50
はい、ルカ・シニョレッリ作品も貴重なのですね(^^)。展覧会では心して観たいと思います。
①Parshallの論文の続き、どうなっているのか私も興味深いです!!
②Maurizio Seracini氏はとして科学分析の専門家として有名なのですね。カラヴァッジョ展図録に登場されていたのは気が付きませんでした(^^ゞ
③むろさんさんがシニョレッリ好きで、わざわざオルヴィエートまでいらっしゃったとは少々驚きました。ミケランジェロへの影響は知っていましたが、借金問題まであったとは...(^^;。ミケランジェロとヴァザーリの人物評価の違いも興味深く、むろさんさんの更なるご研究&ご考察が楽しみです(^^ゞ
ちなみに聖母戴冠ルネッタは下↓画像が見易いかもしれません。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Coronation_of_the_Virgin,_by_Luca_Signorelli,_Cortona,_1508,_oil_and_tempera_on_panel_-_San_Diego_Museum_of_Art_-_DSC06643.JPG
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ルカ・シニョレッリ作品も貴重だ! (むろさん)
2024-12-30 00:21:46
同展出品作情報とコメント関連を3件まとめて書きます。

①Parshallの論文とフィリッポ・リッピ
上記コメントで書いたParshall (2007-8) に関して検索したところ、Peter Parshal著Fra Filippo Lippi and the Image of St. Lukeという論文(最初の1ページのみ)が出ていて、タルクィニアの聖母を扱っていました。ルーダのカタログレゾネも引用しているので、著者はドゥッチョ作 荘厳の聖母からの影響も踏まえた上で、これ以降のページにカンブレーの聖母との影響関係を述べているのではないかと思います。
https://www.jstor.org/stable/20355346

②Maurizio Seracini
どこかで聞いたことのある名前なので確認したら、Murtola Medusaの科学的調査をして、研究書に分担執筆した人でした。2016年開催の西美カラヴァッジョ展図録P168の同作品解説にも出てきます。Zoffili編集の「The First Medusa/La Prima Medusa」では最も重要な部分である調査研究の部分を執筆し、様々な方法での撮影や顔料の分析(他のカラヴァッジョ作品との比較)、署名についての検討などを書いています。同書の著者紹介を見ると、「サンディエゴ大学の芸術、建築、考古学の学際科学センターの所長」とあり、サンディエゴ美術館所蔵作品の解説動画に出ているのも当然と思いました。

③ルカ・シニョレッリの聖母戴冠
同展に関するアート日経のページを見たら、ルカ・シニョレッリの聖母戴冠ルネッタの写真が出ていました。
https://art.nikkei.com/campaign/1954/

私はルカ・シニョレッリも好きなので、早速カタログレゾネ(Luca Signorelli The Complete Paintings, Tom Henry & Laurence B. Kanter著Thames & Hudson 2002)で調べました。この本には同作品のカラー写真は掲載されていなかったので、アート日経で色合いが分かり、すぐに画像を保存しました。下辺の長さが223cmとあり、かなり大きな作品です。この本ではブレラにある1508年銘の聖母子と4聖人の祭壇画との関連が述べられているのですが、この祭壇画のサイズは227×185cmとあり、この上にサンディエゴの聖母戴冠ルネッタを載せたのではルネッタの方が大きいので、両翼に聖人像など別の絵があったのかもしれません。聖母戴冠の制作年は1508年頃とあり、アート日経の写真にも1508年と書かれているので、ブレラの絵と関連があるのは確かだと思いますが、このへんについては展覧会の開催日までにしっかりと読んで確認しておきます。

Zeriの作品カタログではこの2作品は下記URL(jpをitに置き換えてください)。
https://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/scheda/opera/19752/Signorelli%20Luca%2C%20Incoronazione%20di%20Maria%20Vergine%20e%20angeli
https://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/scheda/opera/19745/Signorelli%20Luca%2C%20Madonna%20con%20Bambino%20in%20trono%20tra%20san%20Giacomo%20Maggiore%2C%20san%20Simone%2C%20san%20Francesco%20d%27Assisi%20e%20san%20Bonaventura

なお、ルカ・シニョレッリについては、ルネサンス美術に関心を持ち始めた頃に高階先生の「ルネサンスの光と闇」でオルヴィエートのフレスコ画のことを読んでから、是非一度見たいと思い1990年頃にオルヴィエートに行ったのですが、残念ながら修復中で見られず、それ以来再訪する機会がありません。これも将来の宿題の一つです。また、ヴァザーリは芸術家列伝でシニョレッリと親戚関係であることや幼い頃に優しくしてもらった記憶、ミケランジェロの先駆的画家であるとする意図的な主張などから、シニョレッリに対してはかなり好意的な記述をしていますが、今回いくつかの本を読んで負の側面(親子ほど年の若いミケランジェロから借金をして返済しなかったことにより訴えられた、コルトナなど地方に戻ってからの晩年の作品はあまり高く評価されていない等々)もあり、今回の出品を機会にルカ・シニョレッリのことを少し詳しく調べてみようと思っています。

借金については、「ミケランジェロの手紙」岩波1995の1518年5月の部分に、「画家ルカ・ダ・コルトナ親方」から2回に分けて借金を依頼され、その後行方をくらましたことや返済していないのに返したと言い張っていることなどが書かれています。2回目の借金依頼が現ルーブルの奴隷彫刻を作っている最中(1513~14)であり、SCARAの巨匠シリーズ(A.パオルッチ著 邦訳東京書籍1995)では「1513年にコルトナの軍事長官への告発やその後の係争」と書かれていて、この件は事実だと思われます。ヴァザーリの芸術家列伝の心温まる話とは正反対の内容に少し驚きました。
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むろさんさん (花耀亭)
2024-12-16 00:59:00
お調べいただき、ありがとうございました!! なるほど、リッピ研究(イタリア美術研究?)においては「カンブレーの聖母」はあまり注目されていないのかもしれませんね。確かに元々がイタリア由来ですし、美術ド素人(私)的にもビザンチン→ドゥッチョ→リッピの流れの方が受け入れやすいかなと思ったりします。しかしながらフィレンツェとフランドルでほぼ同時代的に広まったのが興味深いです。
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カンブレーの聖母とフィリッポ・リッピ (むろさん)
2024-12-14 21:13:08
カンブレーの聖母のご紹介ありがとうございます。この件は知らなかったのですが、リッピを経由してクリヴェッリまで繋がっているのなら、今回のクリヴェッリ出品作とも関係してくることなので、フィリッポ・リッピ関係の資料を確認してみました。

まず、リッピの基本文献であるPittalugaの研究書1949年発行、J.Rudaのカタログレゾネ1981、カルメル会とリッピの関係についてのM.Holmesの著書(The Carmelite Painter, Yale大学出版1999)、日本語で読める本ではファブリ名画集67(解説久保1972)とSCALA東京書籍イタリア・ルネサンスの巨匠たち13(G.Fossi著 塚本訳 1994)、その他リッピの項目があるNHK出版フィレンツェ・ルネサンス3(解説森田1991)、世界美術大全集イタリア・ルネサンス1小学館1992といった本とリッピ関係の日本語論文数件(金原、剱持、渡辺他)を確認したところ、カンブレーの聖母という言葉は全く出ていなくて、それに近い内容が出ていたのが次の2件だけでした。ルーダのカタログレゾネのタルクィニアの聖母解説に「聖母子のポーズは13~14世紀のイタリア美術界によく知られていたビザンチン・ロマネスク様式のそれである」としてドウッチオ作のベルン美術館所蔵の聖母子が引用されていること、世界美術大全集のリッピの解説(佐々木英也)にタルクィニアの聖母について「伝統的なエレウーサ型聖母子(二人が頬ずりする形式)は未聞の溌溂たるイメージに達した」とありました。(上記グロリア・フォッシの本では「タルクィニアの聖母とフランドル美術の影響」の項がありますが、この聖母子の姿勢については触れられていません。)

なお、ご紹介のWikiカンブレーの聖母本文の10行目ぐらいに書かれているフィリッポ・リッピの玉座の聖母(ローマ・バルベリーニにあるタルクィニアの聖母)を1447年としているのは1437年の誤記です(銘記にMCCCCXXXvii)。

ベルン美術館のドゥッチョ作 荘厳の聖母は下記URL参照。
http://koarashi.my.coocan.jp/bird_view/Museum/Artworks/Europe/Swiss/Kunstmuseum%20Bern_Artworks_list.htm
Zeriの作品カタログでは下記URL(jpをitに置き換えてください)。
https://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/scheda/opera/6642/Duccio%20di%20Buoninsegna%2C%20Madonna%20con%20Bambino%20in%20trono%20e%20angeli
ルーダは上記の本でこの作品をドゥッチョの工房作としていますが、RizzoliのDuccioカタログ1972では真筆となっています。

エレウサ型聖母をWikiで調べると、ロシア正教会のイコンの一つでキリストがマリアに頬を寄せている姿と書かれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B5

現時点ではカンブレーの聖母、エレウサ型聖母、ドゥッチョの荘厳の聖母のどれがフィリッポ・リッピのタルクィニアの聖母の源泉なのかは判断できません。私が調べた資料はいずれも少し古いものなので、最近の研究ではカンブレーの聖母ということになってきたのでしょうか?(Wikiカンブレーの聖母の注2にはParshall (2007-8)とあり、最近の研究結果かもしれません。)

また、フィリッポ・リッピの現存作品でこのタイプの聖母子はもう1件がよく知られています。フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿の2階(ゴッツォーリのフレスコ画のある礼拝堂とは反対側)にある板絵で、タルクィニアの聖母よりも後の晩年に近い頃の作。表側の聖母子よりも裏面に描かれている聖人の頭部の素描の出来が素晴らしいので、聖母子もリッピ(本人?工房?)関連の作とされています。Zeriの作品カタログでは下記URL(jpをitに置き換えてください)。
https://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/scheda/opera/13123/Lippi%20Filippo%2C%20Madonna%20con%20Bambino

Zeriのカタログでフィリッポ・リッピを検索すると、工房作、追随者の作、疑わしい作品など、この聖母子が頬ずりするタイプの聖母子が何点も出ていますが、ルーダのカタログレゾネではこのタイプは上記の2件(タルクィニアとメディチ・リッカルディ)とスイスにある1件の合計3点が作品リストに取り上げられているだけです。
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山科さん (花耀亭)
2024-12-07 01:14:34
なるほど!Maurizio Seracini氏はあのヴァザーリの壁面の下のレオナルドを探していた人だったのですね!!
山科さんのおかげで、お名前&ご尊顔を初めて知りました(^^;。ありがとうございました!!
思わず関連動画までチェックしてしまいました(^^ゞ
https://www.youtube.com/watch?v=jT6BqMWPOqE&t=52s
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ヴァザーリの人 (山科)
2024-12-06 19:06:36
>花耀亭 さんへ
>山科さん... への返信
この動画ででてきたセラティーニ氏、あのヴァザーリの大壁画に穴あけて後ろにあるレオナルドの「アンギエリの戦い」を発見しようとしていた張本人だったんですよね。
 思わぬところでご尊顔を拝見しました。
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むろさんさん (花耀亭)
2024-12-06 00:56:44
今年のお誕生日は素敵なプレゼント付きで何よりでした(*^^*)。展覧会が今から楽しみですね!!
で、以前のコメントを再読させていただきました。やはりクリヴェッリはスポレートのリッピ作品を見ていたかもしれないなぁと私も改めて思いました。
で、リッピの聖母子像ですが、「カンブレーの聖母」の影響が言及されているのが私的に興味深いです。初期ネーデルラント(フィリップ・ル・ボン時代)でもこの聖母子像を(十字軍資金集め用に模写したりして)広めているのですよね(^^;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D
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クリヴェッリの件 続き (むろさん)
2024-12-04 22:24:39
山科さん、クリヴェッリの動画のご紹介ありがとうございます。これから展覧会までの間にじっくり拝見させていただきます。

花耀亭さん
<お誕生日おめでとうございました!!
私が今回のクリヴェッリ作品出品の情報に驚き、どれほど喜んだかは最初の投稿で感じていただけたと思いますが、これが何よりの誕生日プレゼントとなりました。
過去数年のクリヴェッリ作品来日実績を見ると、2020年のLNG受胎告知、2022年のメトロポリタン美術館展の聖母子、そして今回のサンディエゴの聖母子と、2年毎に傾向の違うクリヴェッリの傑作が来ていることを嬉しく思っています(過去にはあまり興味のわかないような聖人像の一部が来ていたこともありましたので)。

特に今回のサンディエゴ作品は、クリヴェッリの絵としてはちょっと異色作品と感じています。前投稿で書いたように、一見するとフィリッポ・リッピのヴィチェンツァの聖母子と似ているようにも感じますが、リッピ作品が純粋に聖母子の無垢な美しさを描いているのに対し、クリヴェッリ作品の聖母子それぞれの表情(特に眼の描き方)には、もっと深い何か(悲しみ?将来の悲劇への予感?あるいはヴェネツィアを追放された画家自身の思い?)があるように感じられ、私にはこれがたまらない魅力と映っています。これ以降の作品とは違う、この絵独特の魅力です。よくぞこの作品を選んでくれたと感謝の気持ちで一杯です。

なお、前コメントでクリヴェッリがフィリッポ・リッピから影響を受けたことやライトボーン著のクリヴェッリ研究書がなぜカタログレゾネを含んでいないのかについて少し書きましたが、これらは2020年の国立新美術館「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」会期決定と2022年のMet展へのコメントでいろいろと書いております(下記URL)。同じことをまた書いても仕方がないので、これらについては頭の中を整理した上で、追加することがあれば書きます。
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/37cde18959a2ae3bd6aa03a0685056e1#comment-list
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/8d86594e87f74497fbcb912cb5904437#comment-list
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山科さん (花耀亭)
2024-12-03 23:26:01
Youtube動画のご紹介、ありがとうございました!!
現代の科学調査によって色々なことがわかるようになっているのですねぇ。例えば下絵のハッチングなどはっきりと確認でき、クリヴェッリの制作時の臨場感まで感じられるようでした。精緻な拡大画面を見ていたら、ますます展覧会が楽しみになってきましたよ~(^^)
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むろさんさん (花耀亭)
2024-12-03 23:16:34
お誕生日おめでとうございました!!(*^^*)
で、サンディエゴの聖母子の制作年の幅を詳しく知ることができました。ありがとうございました!!
それに、ヴィチェンツァのリッピ聖母子に似ているとのご指摘、なるほど!です。その影響?についてのむろさんさんのご考察を期待しております(^^)/
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クリヴェッリ 動画 (山科)
2024-12-03 06:01:13
>むろさん さんへ
>クリヴェッリの件... への返信

資料 ありがとうございました。
このクリヴェッリ作品については、幸い、なかなか良いYoutube動画がありました。
Shedding New Light on a Renaissance Master - Carlo Crivelli, San Diego Museum of Art
  youtu.be/I6z7LlOrlO0

 わりとわかりやすい英語だと思います。米国の場合ひどい方言がありますから。
これでみると、下書きの線はペンで入念に書いているようで、ヒエロニムス・ボス「快楽の園」のような筆でざっと書いているものとは違い、むしろハンス・メムリンクの「最後の審判」(グダニスク)の下書きに近いようです。
 油絵の具は、透明性を利用して極一部に使用しているようですね。
 聖母の衣のリペイントが言及されてますが、聖母の青い衣は変色したり剥落したりしているケースがかなり多いようなので、やむを得ないところがあるかもしれません。
 ひどい損傷の多いクリヴェッリの作品の中では、保存の良いほうではないか、と思います。
でも、虫食い穴については、やはりあったんだなあ、と感じるところです。
ボッテチェルリ「春」の古いカラー写真に虫食い穴をみたときのことを思い出しました。
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クリヴェッリの件 (むろさん)
2024-12-02 23:37:25
昨日クリヴェッリの聖母子が来日する件を投稿しましたが、その前の日に別項目のコメント投稿で山科さんとこの件についてやり取りをされていたのですね。実は30日が私の誕生日であり、いろいろ忙しかったためにこのコメントは読んでいなくて、自分の投稿を出した後にこのやり取りを拝見しました。

というわけで、山科さんがご紹介された2冊の本(RizzoliとLightbown)のことも含めて追加投稿をします。
手持ちのクリヴェッリ関係の本(コピーも含め)を確認したところ、次の4冊にこの絵の解説が出ていました。古い順に Rizzoliカタログ,AnnaBovero著1975、Zampetti著カタログレゾネ1988、R. Lightbown著研究書2004、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館特別展Ornament & Illusion展図録2015

Ornament & Illusion展は同館所蔵の聖ゲオルギウス修復記念の展覧会で、今回西美に来るサンディエゴの聖母子も出品されています。

山科さんとのコメントやり取りでは、この絵について制作年代の議論をされているようですが、上記の4冊では(上の本の記載順に)1460年頃、1460年頃、1470年代(モンテフィオーレ祭壇画と同じ頃)、1468年頃 となっています。

60年代の制作か70年代の制作かは、ヴィヴァリーニかスキアヴォーネの工房と関係を持っていたかどうかに関係する問題なので、今後これらの本の内容はじっくり検討しようと思っています。なお、この件に関し、早稲田大学の美術史研究第15冊(1978)に掲載された「カルロ・クリヴェッリの署名―最晩年の作品の制作年推定」(篠塚二三男)に時期による署名の書き方の変化を研究した論考が出ていて、この中でサンディエゴの聖母子は制作年の書かれていない「署名のみの作品」として分類されB-4という番号が付けられていますが、同氏は署名の形式から「1472~3年頃と思われる」としています。

日本語で書かれたクリヴェッリの本は3冊ありますが、トレヴィㇽ画集(吉澤京子著)1995ではサンディエゴの聖母子は記載なし(ヴェローナの受難の聖母子が最も古い作品とする)、石井曉子の講談社 マルケに埋もれた祭壇画の詩人 では、受難の聖母子とともに1460年の制作年・署名入りの作品にしていますが、実際には両者とも署名のみで制作年は書かれていないため著者の誤認です(石井氏のもう一冊の本「カルロ・クリヴェッリの祭壇画」2013でも作品年表で1460年としています)。

今回私がこのサンディエゴの聖母子の写真を見ていて思ったのは、ボッティチェリやフィリッポ・リッピの絵で感じている「初期の頃はふくよかで童顔だった女性像が年がたつに連れて細おもてに変化してくる」という感覚がクリヴェッリでも同様なのか、と思ったことです。そして以前のコメントで書いたクリヴェッリがフィリッポ・リッピの影響を受けた可能性(下記URL)を思い出し、リッピの絵でこれと似たようなもの(例えば2016年の都美ボッティチェリ展に出品されたヴィチェンツァ市民銀行の聖母子、以前はプラートにあったもの 下記URL;jpをitに置き換えてください)をクリヴェッリが見て影響を受けたのではないか、ということです。このことも今後考えていこうと思っています。
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/2217c61de12f5861e6310f2d54a32f02#comment-list
https://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/scheda/opera/13639/Lippi%20Filippo%2C%20bottega%2C%20Madonna%20con%20Bambino

上記4冊のサンディエゴの聖母子解説は近いうちに(2つはイタリア語なので)インターネット翻訳をしようと思っています。その時にはあらためて投稿します。また、ライトボーンの著書について、なぜボッティチェリではカタログレゾネを書いたのに、クリヴェッリでは(研究書のみでカタログレゾネを)書かなかったのかなど、思っていることもいろいろありますが、長くなったのでこの辺は次にします。
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クリヴェッリの聖母子も来日! (むろさん)
2024-12-01 23:52:53
情報ありがとうございます。
どんな展覧会なのかと思い、西美のHP中の同展予告に出ていた公式サイト(下記URL)へ飛んだら、なんとクリヴェッリの聖母子の写真が! この作品はZampettiのカタログレゾネでクリヴェッリのごく初期の作品として紹介されている絵であり、当然真筆です。
https://art.nikkei.com/dokomiru/highlight/

Zeriの作品カタログでは下記URL(jpをitに置き換えてください)。
https://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/scheda/opera/22310/Crivelli%20Carlo%2C%20Madonna%20con%20Bambino

最近西洋美術関係では見たい展覧会がなくて、ほとんど美術館へは行っていない日々でしたが、これで一気にやる気が出てきました。

ついでながら、ジヨットの絵のチマーザについては、これからRizzoli(私のは米国Abrams版)の本など手持ち資料で調べてみます。
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