花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

デヴィッド・ボウイの訃報に接し...

2016-01-11 21:13:04 | NEWS

ブリティッシュ・ロックの殿堂、デヴィッド・ボウイ(David Bowie:本名David Robert Hayward-Jones, 1947年1月8日 - 2016年1月10日)が亡くなった。ジギー・スターダストは夜空に輝く星になってしまった。ロック・ファンとして、心からご冥福をお祈りしたい。(合掌)

 

 

私がライヴで観ることができたのは2回だけ、1990年の東京ドームと1992年の仙台サンプラザだ。だが、東京ドーム公演はチケットぴあで奇跡的に前から4列目(だったと思う)が取れ、肉眼で往年のヒット曲シリーズを歌うボウイを見ることができた。やはり美しかった!!

仙台サンプラザはロック・バンド「ティン・マシーン」としてのライヴであり、地元の利で前から2列目のかぶりつきで見ることができた。かつての華やかなグラムとは違い、シンプルなバンド編成ではあったものの、彼自身のそのカリスマ性は失われてはいなかった。 

そして帰宅後、興奮まだ覚めやらずの私は、一緒に行った仕事仲間のT君から電話を受けた。「デヴィッド・ボウイの車を追いかけたら○○(和食レストラン)に入ったので、出待ちしているんだけど…」。 

今も昔も変わらないミーハーは、もちろん現場にすっ飛んだ。店のあるビルの前でT君と落合い、二人で出待ちすることに。ほどなく、迎えのワゴン車が店の前で止まり、店からはメンバーが、そしてデヴィッド・ボウイが…。 

愛すべきミーハー仲間のT君がすかさずボウイに握手を求め、私もそれに続いた。目の前に、あのデヴィッド・ボウイがいるのだ! 背はそれほど高くなく、ほっそりと華奢で、握手した指も細くて軽く、私の方がギュッと握ってしまったくらい(汗)。緊張して「サンキュー!」としか言えなかったのが悔やまれる。ただただ、夢見心地にワゴン車を見送ったことを覚えてる。

それにしても、T君にも大感謝の夜だった。今日の訃報に、きっとT君も、あの夜のデヴィッド・ボウイを思い出しているだろうなぁ。


マルケの旅(3)リミニ③

2016-01-04 00:30:12 | 海外旅行

さて、なにから書こうか悩んだのですが、リミニの旅の続きから始めます。 

ということで、扉の開く時間を待ち、テンピオ・マラテスティアーノ(Tempio Malatestiano)を再訪しました。

このテンピオはシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ(通称:リミニの狼)(Sigismondo Pandolfo Malatesta , detto il lupo di Rimini, 1417 –1468)がレオン・バティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti, 1404 – 1472)に設計を依頼したものです。(でも、未完なのですよ)

この写真からわかるように、古典様式がゴシック教会を覆っています。観ながら、平泉の金色堂を覆うコンクリート建物と同じね、と思ってしまいました(めちゃ卑近な例でスミマセン(^^ゞ)。

テンピオ内の正面、中央祭壇が見えます。

中央祭壇には、ジョット《リミニの十字架(Crocifisso di Rimini)》(1301-02年)があります。

テンピオの入口方向を見たところです。左にある洗礼盤の後ろに見えるのがシジスモンドのお墓です。意外にも質素なんです。というのも、入口を入って最初の左側にシジスモンドを顕彰する素晴らしくも豪奢でモニュメンタルな礼拝堂(?)があり、それも棺っぽい箱が掲げられていたので、私はてっきりシジスモンドの眠る棺だと思ったくらいです(大汗)。

浮彫でも相変わらず怖い目つきのシジスモンドなのです(^^;。獲物を狙う狼の目付き?