11月16日
ベルカントレッスンと高校の古希同期会へ
10月12日に予定されていた10年ぶりの同期会は台風のため延期されて11月に開催されました。
そのため、出席者は当初160名程度の出席予定者から入れ替えがあって、149名となりました。
行ってみるともともと少ない比率ですが、ほとんど男性ばかり。
午前中はベルカントのレッスンで、午後3時から同期会で一度帰って和服に着替える時間がないので
朝から和服を着ることにしました。このような感じでレッスンに和服で行くのは2回目。発声練習の時に手が
上がりません。ソプラノの先生も私も和服で来ようかしらと話していました。蝶々夫人の時には着物に慣れるため
和服でいらしていた時もありました。
早起きして着付けましたが、以前より早くなっているような気がします。
選んだのは牛首紬(加藤 改石)と菊の花の帯(秀や)、道明(長尺にしたせいか色の出方が微妙です)帯揚げは自分で染めたからし色
午前中のベルカントレッスンは現在九段生涯学習館がしばらく使えないため、神田にある先生の音楽学校で行われます。
小川町から引っ越したばかりで出世不動尊の前のビルのなかに在ります。
日曜日が千代田区のコーラス・フェスティバルで日経ホールで晴れの舞台です。仕上げにかかったレッスンでしたが、
モーツァルトのシンプルで無駄のない音楽だからこその難しさに挑戦です。発声と言葉の発音も命ですが、純粋なキラキラ感を
どれだけ表現できるでしょうか・・ 上あごを舌がなめるような、声を後ろに放り投げて歌うとオペラらしくなります。
ひとつレベルアップしたことを感じました。このように歌うと自然に腹式呼吸ができています。
やっぱり目標を設定することは大事なことだと思いました。
明日と明後日当日の朝に練習があります。
そういえば、天皇即位の式典の中で、君が代がソプラノの歌手によって歌われましたが、君が代を海外のオケが
演奏するとどうなるかを聞かせてもらって、とても興味深かったです。何時も母音が強い日本語から子音の多い
外国語の違いを歌で感じているのですが、楽器でもその反対があって、外国人が日本の曲を演奏すると
どうなるかということでボストン交響楽団の君が代とカラヤン、ベルリンフィルのを聞いてみましたが、ボストンのは
まるでアメリカの国歌のように堂々として、カラヤンはさすが繊細で美しかったです。ドイツの文化は日本と
似ているということもあるかもと。余談ですが、日本の音楽教育はドイツから入ってきて、大学でもイタリア歌曲を
すると選曲だけでマイナス点が最近までついたという話でした。
レッスン後は近くの最近できた三井ガーデンホテルで軽い食事を仲間と取りました。この辺はビジネス街なので
ウィークエンドに開いている飲食店が少ないところです。
和服の写真を撮ってもらいました。
還暦の同期会は京王プラザホテルでしたが、今回はY'sと言うエステック情報ビル(工学院大学)の中のお店です。
延期で同じ会場が良く取れたと思いましたが1年も前から、万が一のことを思って2つ抑えていたとのことでした。
いつも同期会を企画してくれるフットワークの軽いI君です。
リタイアして今では大学の理事だけ残っているとのことでした。どこか悠々としたスケールの
大きさと気さくさがある人です。
出席された数少ない担任のうち私たちのクラス担任は加山雄三と同じ年で、一度大病はされましたが、も心身頭とも
とてもお元気で、70なんでまだまだと逆に励まされました。当時はすごく若かったはずですね。
途中、1年の時同じクラスだった人が集まる時間があり、こちらもおもしろかったです。みんな社会的地位もはずして
昔と同じように素の人間だけの付き合いに戻っています。
小、中も一緒で行方不明だった人も発掘しました。あの頃の写真がスライド・ショーで投影されていましたが、
若かったあのころ、青春の真っただ中で全然違うのですが、年をとってもみんな変わっていないのです。
社会科の先生だったS君は今は家で保育をする奥さまの従業員だと話していました。バイオマスエネルギーの研究を
していたK君は今までの研究成果を後輩に託したと・・ それぞれの生き方があります。
楽しかったのは1年の時に同じクラスだったT君が挨拶に来てくれて、なんだかフォークダンスの時踊ってあげたらしいの。
男子校だったので、男が人数倍だったので、男同士が踊ることもあるわけで私がT君しか知っている人が
いなかったのでそういうことになったらしい・・ わざわざこんなこと言いに来てくれて笑っちゃう。
同期会の最後には山田耕作が作曲した校歌と応援歌を歌いました。
その後の二次会にも行くことになっているらしくて、行ってみたら、二次会から参加のI君と結構話して
彼もヨット部で今は川でカヌーを楽しんでいるとのことでした。前回のクラス会の続きでコーヒーの焙煎のことも
また聞いてしまいました。伴侶を亡くして落ち込んでいたE君も今は野菜つくりが中心の生活のようで、少し元気そうで
良かったです。T高校は本当に男子校のようでラクビー大会や水泳、剣道の大会もクラス対抗でありました。種目別の大会では
部活に入っている人は出れなかったということも初めて知ったりして。O君のタックルはすごかったねなんて話したり・・
剣道部だったH君は前回お会いした時に心の病のお兄さんの面倒をずっと見ていましたが、今回は自転車の事故でまだ入院中とか
で来ることができませんでした。心優しい武道家だったのね。
卒業してからますます面白い人たちだったことを認識する仲間たちです。小・中・高のクラスのカラーが全く違うのは
興味深いところです。出会った世代が違っただけではないと思うけど・・
珍しくみんなが焼酎を飲んでいるので、黒霧島なんていただいてしまいました。
最近あまり飲んでないので、家に帰ったらすぐ寝てしまいました。気持ちのよい酔いでした。
Nov.16 2019 Kanda & Shinjuku
ベルカントレッスンと高校の古希同期会へ
10月12日に予定されていた10年ぶりの同期会は台風のため延期されて11月に開催されました。
そのため、出席者は当初160名程度の出席予定者から入れ替えがあって、149名となりました。
行ってみるともともと少ない比率ですが、ほとんど男性ばかり。
午前中はベルカントのレッスンで、午後3時から同期会で一度帰って和服に着替える時間がないので
朝から和服を着ることにしました。このような感じでレッスンに和服で行くのは2回目。発声練習の時に手が
上がりません。ソプラノの先生も私も和服で来ようかしらと話していました。蝶々夫人の時には着物に慣れるため
和服でいらしていた時もありました。
早起きして着付けましたが、以前より早くなっているような気がします。
選んだのは牛首紬(加藤 改石)と菊の花の帯(秀や)、道明(長尺にしたせいか色の出方が微妙です)帯揚げは自分で染めたからし色
午前中のベルカントレッスンは現在九段生涯学習館がしばらく使えないため、神田にある先生の音楽学校で行われます。
小川町から引っ越したばかりで出世不動尊の前のビルのなかに在ります。
日曜日が千代田区のコーラス・フェスティバルで日経ホールで晴れの舞台です。仕上げにかかったレッスンでしたが、
モーツァルトのシンプルで無駄のない音楽だからこその難しさに挑戦です。発声と言葉の発音も命ですが、純粋なキラキラ感を
どれだけ表現できるでしょうか・・ 上あごを舌がなめるような、声を後ろに放り投げて歌うとオペラらしくなります。
ひとつレベルアップしたことを感じました。このように歌うと自然に腹式呼吸ができています。
やっぱり目標を設定することは大事なことだと思いました。
明日と明後日当日の朝に練習があります。
そういえば、天皇即位の式典の中で、君が代がソプラノの歌手によって歌われましたが、君が代を海外のオケが
演奏するとどうなるかを聞かせてもらって、とても興味深かったです。何時も母音が強い日本語から子音の多い
外国語の違いを歌で感じているのですが、楽器でもその反対があって、外国人が日本の曲を演奏すると
どうなるかということでボストン交響楽団の君が代とカラヤン、ベルリンフィルのを聞いてみましたが、ボストンのは
まるでアメリカの国歌のように堂々として、カラヤンはさすが繊細で美しかったです。ドイツの文化は日本と
似ているということもあるかもと。余談ですが、日本の音楽教育はドイツから入ってきて、大学でもイタリア歌曲を
すると選曲だけでマイナス点が最近までついたという話でした。
レッスン後は近くの最近できた三井ガーデンホテルで軽い食事を仲間と取りました。この辺はビジネス街なので
ウィークエンドに開いている飲食店が少ないところです。
和服の写真を撮ってもらいました。
還暦の同期会は京王プラザホテルでしたが、今回はY'sと言うエステック情報ビル(工学院大学)の中のお店です。
延期で同じ会場が良く取れたと思いましたが1年も前から、万が一のことを思って2つ抑えていたとのことでした。
いつも同期会を企画してくれるフットワークの軽いI君です。
リタイアして今では大学の理事だけ残っているとのことでした。どこか悠々としたスケールの
大きさと気さくさがある人です。
出席された数少ない担任のうち私たちのクラス担任は加山雄三と同じ年で、一度大病はされましたが、も心身頭とも
とてもお元気で、70なんでまだまだと逆に励まされました。当時はすごく若かったはずですね。
途中、1年の時同じクラスだった人が集まる時間があり、こちらもおもしろかったです。みんな社会的地位もはずして
昔と同じように素の人間だけの付き合いに戻っています。
小、中も一緒で行方不明だった人も発掘しました。あの頃の写真がスライド・ショーで投影されていましたが、
若かったあのころ、青春の真っただ中で全然違うのですが、年をとってもみんな変わっていないのです。
社会科の先生だったS君は今は家で保育をする奥さまの従業員だと話していました。バイオマスエネルギーの研究を
していたK君は今までの研究成果を後輩に託したと・・ それぞれの生き方があります。
楽しかったのは1年の時に同じクラスだったT君が挨拶に来てくれて、なんだかフォークダンスの時踊ってあげたらしいの。
男子校だったので、男が人数倍だったので、男同士が踊ることもあるわけで私がT君しか知っている人が
いなかったのでそういうことになったらしい・・ わざわざこんなこと言いに来てくれて笑っちゃう。
同期会の最後には山田耕作が作曲した校歌と応援歌を歌いました。
その後の二次会にも行くことになっているらしくて、行ってみたら、二次会から参加のI君と結構話して
彼もヨット部で今は川でカヌーを楽しんでいるとのことでした。前回のクラス会の続きでコーヒーの焙煎のことも
また聞いてしまいました。伴侶を亡くして落ち込んでいたE君も今は野菜つくりが中心の生活のようで、少し元気そうで
良かったです。T高校は本当に男子校のようでラクビー大会や水泳、剣道の大会もクラス対抗でありました。種目別の大会では
部活に入っている人は出れなかったということも初めて知ったりして。O君のタックルはすごかったねなんて話したり・・
剣道部だったH君は前回お会いした時に心の病のお兄さんの面倒をずっと見ていましたが、今回は自転車の事故でまだ入院中とか
で来ることができませんでした。心優しい武道家だったのね。
卒業してからますます面白い人たちだったことを認識する仲間たちです。小・中・高のクラスのカラーが全く違うのは
興味深いところです。出会った世代が違っただけではないと思うけど・・
珍しくみんなが焼酎を飲んでいるので、黒霧島なんていただいてしまいました。
最近あまり飲んでないので、家に帰ったらすぐ寝てしまいました。気持ちのよい酔いでした。
Nov.16 2019 Kanda & Shinjuku