中野山田屋さんのシルクラブで開かれていた
帯匠 誉田屋源兵衛の世界 展に最終日に滑り込みました。
京都の誉田屋さんに行く機会があったのに、行かなかったこともあり、ちょっと見てみたい世界でした。
祇園祭の時に誘ってくれた着付けの仲間が誉田屋さんの見学も計画してくれて皆さんは行ったのですが、
せわしなかったので私とイタリア語の友人はゆっくりと祇園祭前夜の街を歩いて帰りました。
その時にネットで見た山口源兵衛氏がまるで歌舞伎役者のようで敷居が高い感じがして遠慮しました。
まぁ私の知識不足で、ホームページ 誉田屋源兵衛 | 京都 | 帯匠 をよく見れば
東京コレクションで内田裕也や田中泯を使い、田中泯さんの舞踊の衣装を担当していたということも書いてあり、
なかなか興味深い人です。
祇園祭の時に、その一つの行事であるお座敷を開放するというのに行かなかったことを
「奥座敷に鎮座する染織『秘中の秘』 ~ 誉田屋源兵衛の祇園祭 ~」という呉服屋さんのブログを見ても、惜しいことをしちゃったと残念に今思います。
NHKの番組は見ていなかったので、地下で流していたビデオを見ました。そのものつくりにかける思いがすごくて
圧倒されました。西陣に織れないものはないというプライドで、箔の専門家や、染は奄美大島でしか
色が出ないとそこまで行って染めてもらっていました。「那智の滝」の創作過程を追っていた番組でした。
チームで仕事をして、彼の注文は目に見えない世界と言う難しい問題でした。
創作過程を見てから、また作品を見るとすごさがよりわかります。
2階のお茶にひかれて、上がっていくと、西村はなこさんがいらして、こちらにどうぞとふかふかのソファーの方に
勧められてそちらでチーズケーキをいただきながら、お話に少し加えていただきました。
誉田屋源兵衛はそのルックスからちょっと遠のいてしまってと話したら、「ああ見えてもすごく謙虚な方ですよ」と
話されていました。私はドキュメンタリーの最後の方で生い立ちをやっていたところは時間がないので見ないで
出てしまったけれど、彼のお母様はシェイクスピアを原語で読むような人だったとか。インタヴューでは叔父さんは
ロートレアモンの研究者だったとかとても西陣と言うイメージとは離れています。
帯がいくつも掛けてありましたが、まるで絵画のようでした。若冲とか宋の絵画を帯にしていて、それはまるで
原画を超えているようでした。想像を超える仕事です。
西村さんも素敵な誉田屋さんの帯をされていました。私は美術館に来る感じで来ましたと話しました。
それでも今はもう買いませんが、がんばれば買えそうな値段のものもありました。西村さんは無地の銀箔の帯を
勧めましたが、鈍い光を放ってとても素敵でした。以前紀尾井アートギャラリーで買ったアンティークのような
パールグレーの帯を思い出しました。あの帯は螺鈿のような輝きがあったけど、手法を見るとそれもありだと
思いました。誉田屋さんではラピスラズリーを砕いて織ったものもありました。
今まで見た帯の中で一番大人を感じさせるものでした。
この日の今までにない覚醒状態はこのすごい作品たちを見たせいなのかしら?
アドレナリンがすごく分泌されて様な感じ。
Oct.30 2019 Nakano
余談:
私が就職してすぐの頃、職場には京大出身の人も何人かいましたが、人気者のKさんは家が西陣で織物をやって
いました。私の同期と結婚したので、京都での結婚式に参列しましたが、お父様は羽織袴で堂々として
貫禄のある方だったことを思い出しました。入社したオリエンテーションで技術的なことのレクチャーがあったのですが、
彼は何と京都の地図を白板一杯に書いて、楽しかったことを思い出します。彼もすでにあちらの世界の人です。
自分の会社に戻り、いつだったか東京でお会いした時に、話が尽きなくて、東京駅と大手町の職場の間を夜何往復も
歩いて話をしたことが思い出されます。
入社したての頃は皆で伊豆に旅行に行ったり、楽しいことが多かった職場でした。