Reflections

時のかけらたち

私のファミリー・ヒストリー -3・・・・ my family history -3

2013-01-29 23:49:14 | old familiar faces
1月28日

年を取ると自分のルーツを知りたくなるのだろうか?
父の部屋からは家系図の写しや、図書館で借りた本のカードや
親戚から教えてもらったお手紙が出てきた。

Sも興味があるようだけど、職場でも家紋とかそういうことに
興味を持つ時期があるという話が出た。
なんとなく祖先がどの地方で暮らしていたのかと
思ったりもするけど・・・

Sがおばさんに尋ねたら、過去帳やお寺やお墓などたどって
いたけれど結局宝暦(1751~1764 江戸時代)までしか
たどれていないよう・・・
こちらは主人のほうのF家の話で、私自身はあまり興味は
ないのだが、娘は知りたいみたい。

だけどどこを見ても、途中で養子を迎えたりしているので
血縁的につながっているわけではない。
私のほうの家系も同じようで、親戚関係での
養子縁組がすごく多い。

私の方も主人の方もすごく似ているところがあって、
私の家系は小倉市で旅館をやっていて、市長にもなった人が明治の初期に
いて、政治のおかげで貧乏になったよう・・
結婚前の本籍は元旅館のあった場所で今では井筒屋というデパートの番地
だった。
主人のほうも同様で、今治で旅館をしていて同じく市長になったとのこと。
塩田を持っていて、土木工事などをして地元のために尽くしたようです。
F家の話は本当に面白いことがあって、今主人が話せたら(聞き伝えのものですが)
すごく面白かったと思う。
主人のほうの家系では昭和初期の風刺漫画化柳瀬正夢がいる。
普通の絵も描いていたのでいつだったかマリオンのギャラリーで回顧展が
行われていた。戦前のプロレタリア美術運動で特筆すべき画家であり漫画家でも
あったと書かれていた。主人の兄がデザイナーでアートディレクター。
主人もテキスタイルを学んでいた。




今さっきもう少しで捨てられそうになっていた俳句の短冊を見ていたら
これは私の父かたの祖父縷々の追悼句会等のもののようだが
虚子や秋桜子、久女の自筆の短冊が出てきた。後誓子のもたくさんあった。














祖父の日記や、この短冊を読むのが難しいのがつらい。
祖父の日記の中の作家たちの名前や、美術の切り抜きにレベルの高い
知性を感じた。実業家であり、俳人であり、手先も器用で彫刻等もしていて自分の
蔵書の刻印を彫っていた。まれに見るハンサムで、祖母は男が惚れる男だとよく
言っていた。父なんか及ばないと・・(子どもと比較してどうするの?)
縷々の兄弟には日立製作所の社長 倉田主税、三井鉱山の社長 倉田興人、画家の庫田綴
(倉田哲介)がいて実業家か芸術家の家系であった。縷々が36歳で結核で亡くなってしまったので
父は飛び級などして学校を出て大変苦労した。祖母は旅館のお嬢さんだったので
おおらかに貧困にもめげず暮して行けたらしい。
縷々の血をひいたのは二男のように見えるが、自由奔放に生きた人で、地方の国立大学を
主席でどうしたとかそんな話を聞いたこともあるけど、酒を愛し、バーテンダーとなり
お店を経営していた。祖母より早くなくなってしまったが、「さけ」という雑誌に
エッセイを書いていたこともあった。早く父親に先立たれた父は超真面目に
生き、長男らしかった。三男は母親の愛にも飢え、祖母の家分お酒を飲んだと
聞いた。結局どんな素晴らしい祖父でも、その家族の行く末は悲惨だった。





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8 コメント

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ご先祖様 (としちゃん)
2013-01-30 18:14:26
すごいお宝があるのね。
これをもとに小説を書いたらいかが?
明治、大正、昭和の時代が見えてくるようだわ。
返信する
としちゃんへ  (カンカン)
2013-01-30 23:22:02
よくよく見たら、高浜虚子や山口誓子、噂となった
杉田久女などの短冊があり、驚きました。

小説にでもなりそうなドラマがあちこちにあります。
としちゃんだってそうでしょう?
返信する
ドラマチックな人生 (トントン)
2013-01-31 22:39:54
縷々さんは実際にテレビドラマのモデルになっていますよね。偶然にも縷々さん役はT高校出身の松橋登さんでいたよね。

縷々さんのお子さんたち、悲惨ではなく、自由奔放、ドラマチックな人生を送ったような気もします。
周りはちょっと大変な方がいたかもしれないけど・・・
面白そうな話が聞けそう。
返信する
そうそう・・ (カンカン)
2013-01-31 22:58:52
杉田久女をドラマ化したのが
TVであって、松橋登でかなりイメージ似ていると思いました。
久女に一方的に思われてしまったようですが、
彼女に狂気的なところがあって、尋常でない手紙が
来ていたらしく、祖母は久女の名誉のためその手紙を
公表せず、久女の娘さんに返したとのことです。
母が遺した手紙の束に娘さんからの手紙もありました。
松本清張が祖母にいろいろ聞きたがっていたとのこと。そういえば松本清張も小倉の人々とか久女の伝記も
書いていたのですね。

祖母は度胸のいい人というか、あっけらかんとしていて
周りが全部結核で亡くなっても生き延びた人で
30代で未亡人になっても働かないで生きてきて
水道とか止められても平気だったそうです。
おおらかという形容詞が似合っていた感じ。
返信する
Unknown (yo-ko.kiyo)
2019-08-14 10:57:05
はじめまして。
突然のコメント失礼します。
福岡在住の清永と申します。
何年も前の記事に…とは思いましたが、コメントせずにはいられませんでした。

神崎縷々さんを検索していてこちらに辿り着きました。
というのも、私は神崎縷々さんの叔父にあたる人物の孫なのです。
私の母方の祖父は倉田壽といいます。
祖父は学校の先生で、戦時中は韓国で日本語学校の校長をしておりました。
終戦を迎え命からがら家族で博多に引き上げてきて、その時に住む家を提供してくれたのが甥の倉田主税さん(日立の社長された人ですね)。
なので、うちの親戚で話が出るのは主税さんのことばかりでした。
縷々さんのことは主税さんのウィキペディアを見て今回初めて知ったんです。

福岡に引き上げて日本で生まれた母は8人兄弟の末っ子で、親戚はみな高齢になり、寂しいことですが次々と鬼籍に入っていきます。
そんな折に遠縁にあたる方のブログを見つけて、なんだかとても嬉しく思い、思い切ってコメントさせていただきました。
暑い日が続いておりますが、どうかご自愛ください♪
では。
返信する
繋がり (カンカン)
2019-08-14 21:53:19
清永さま、コメントありがとうございます。
とても驚き、嬉しく思っています。
このお盆の時、私が存在するのも私の前に連なっている人たちのおかげだと思っているちょうどその時に、私とつながっている方がブログを発見してくれて嬉しく思いました。
私は東京にずっと在住でしたので、子どもの頃、東田町(今だと杉並区の成田東)の倉田主税さんの家にはお正月とか挨拶に行ったことがありますが、幼なかった私にも威厳のあるすごい人だということだけはわかりました。その弟の興人さんは同じく三井鉱山の社長をした人でしたが、阿佐ヶ谷に住んでいて、どこか温かみのある人でした。私が生まれたときに大牟田市で父のおじさんにあたる興人さんの家に間借りしていたのでした。1歳になる前に東京に父が転勤したので、九州は離れましたが、小さい私を家族ですごくかわいがってもらいました。
縷々(主計)は30代でなくなったので、父は親戚間の付き合いもつらかったようでした。その弟の画家の庫田 叕には個展に行ったりしてよくお会いしました。
お話を聞いて、父が遺した倉田家を調べたものや写真を探してみましたが、遠い歴史はわかっても直近のがなかったので、おじい様のお名前をみつけることができませんでした。その時代の家系図がわかったら教えて差し上げようと思っていたのですが。
古い写真の方は名前とか説明がないので、どなたかわかりません。私も父方の親戚はほとんどなくなり、聞く人がいません。父方の血縁ではいとこが一人いるだけです。
繋がっている人がみつかってとてもうれしいです。
縷々が亡くなった時に句集が出て、父が復刻したものが数冊あるので、できたらお送りしたいけれど、連絡先を教えてもらう手だてがありません。
このコメント欄は非公開がないので書くと公開されてしまいます。入手したらすぐ削除しますので、それで良ければお知らせください。
このお盆の時にこんなことが起こるなんて!
強い台風が来そうですので、気を付けてください。
これからもよろしくお願いします。
返信する
Unknown (yo-ko.kiyo)
2019-08-15 01:14:29
住所だけ削除して編集させていただきました。(カンカン)

お返事ありがとうございます♪
句集、是非拝見したいです!
一度メールアドレスを記載して投稿したら認証されなかったので、直接住所を載せますね。
お手数ですが、後で削除お願いします。

お時間ある時で構いませんので着払いでお送りください。
どうぞよろしくお願いいたしますm(._.)m

私の知ってる倉田家のことを少し。
主計(縷々)さんの叔父にあたる私の祖父が、戦後主税さんから提供してもらった家は、元々はどうやら主税さん、縷々さんたち兄弟の生家だったのではないかな、と思われます。
私の母はその家で生まれ育ったわけですが、現在の福津市、昔の宗像郡福間町神興村の、津丸という集落です。
主税さんや縷々さんを検索して調べてみると、津丸出身と出てきますね。
母から聞いた話では、その津丸では、倉田という名字だらけだったらしく、母は「酒屋」や「酒屋の倉田」などと呼ばれていたらしいです。
というのも、その主税さんから提供された家というのが、元々は酒屋だったとか。
使わなくなり空き家だった生家を、引き上げてきて困ってる祖父たちに主税さんが貸してくれたみたいです。
実は私自身も小学校2年生までは東福間で育ちました。
元々母たちが住んでいた津丸からは少し離れた場所でしたが、小学校は母と同じ「神興小学校」。
(詳しく言うと、母が通っていた神興小学校は今の神興東小学校にあたります。生徒数が増えて2つに別れたみたいです)
その神興小学校の校歌の作詞をした人物も倉田姓で、遠い親戚にあたる人らしいです。
私の祖父の親戚関係は、教育関係の人が多いような印象です。
小さい頃は祖母と津丸のお墓詣りにも行きました。
母が小さい頃には、主税さんも津丸のお墓にお参りに来てたらしいので、同じお墓だったのかもしれません。
(母が小さい頃、お墓参りの時期になると黒塗りの高級車が何台も連なってやって来たそうです)
現在は津丸の集落自体がなくなってしまっています。
福間町も合併して福津市に。
倉田家のお墓は、今は福間駅の近くの正蓮寺というお寺に移っています(ここも檀家は倉田姓が多数)

あと、私が知ってるのは…パスタ屋さんのピエトロの創業者の方も遠い親戚にあたるみたいです。
こちらははっきりとはわからないんですが、祖父の兄弟の娘婿?だったかな?
ピエトロがこんなに有名になる前からうちにはドレッシングがあったんですよね…貰い物だったのかも。

長々とすみません。
また何かわかったことがあったらお伝えしますね。
母は8人兄弟の末っ子ですが、今は4人になってしまいました。
叔父、叔母が元気なうちに、昔のことを色々聞いて書き留めておきたいなと思っているところです。
母は末っ子ということもあり、祖父母の親戚関係のことはそこまで詳しくなく、私が尋ねても「わからんけんおいちゃん(上の方の兄)に聞きなさい」と言うばかり(笑)

これからもどうぞよろしくお願いいたします♪
返信する
お墓 (カンカン)
2019-08-15 01:37:34
ご連絡ありがとうございます。できるだけ早くお送りできればと思います。古切手がたくさんありますので、ご心配なく。

縷々は倉田家を出ているので、私は倉田家のお墓については良くわかりませんが、家のお墓は小倉に在りましたが、父が生きている時にいとこと一緒に東京の小田急線沿線のお墓に移しています。うちは女の子だけなのでいとこに託したようです。そこに祖父母は眠り、両親は新たに多磨に墓地を作りました。
小田急沿線の春秋苑には2回くらいお参りに行きましたが、もうだいぶたつことを思い出しました。
父が亡くなった後頼りにしていた父のいとこも亡くなりました。

主人のルーツは愛媛で、娘を連れて行ったことがありますが、九州は仕事をしていた時、出張で少し行っただけで最近は訪れたこともありませんでした。

思わぬつながりがあるもので、おもしろいですね。
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