10月30日
私は今置かれている状態とできるだけ生かして生きるのが
いいかといつも思っています。今は日本にいること、この地域に住んでいることを
最大限に利用して生きるのが無理がなく・・
結婚して南阿佐ヶ谷から始まった生活は、主人の病院の近く近くへと転居して
少しずつ都心に向かいました。私は住むなら郊外派ですが、仕事をして子育て、病院と
あればすべて近いほうが便利でした。主人も最初は新宿の医大病院でしたがその後お茶の水へと
病院を変えて行きました。難病だったので診れる病院がすごく限られていてあまり
ありませんが、替えたのは正解でした。新宿の病院は薬害エイズ問題とかあり、今では
不正入試とかいろいろ問題が起きていました。エレベーターの中で今は亡き加藤和彦と安井和美
に会ったのも主人が入院中。主人はしょっちゅう緊急入院で子供もいつも死と隣り合わせでした。
その後御茶ノ水の病院で定期治療をしていて、さらに思いがけず癌を発症してこれ以上病院での
治療は無理という時にその病院の若いソーシャル・ワーカーさんが介護、看護、治療、医学療法との
最強のチームを作って、病院と相談しながら医療体制を作っていきました。家の中が病室のように
プライバシーのない暮らしでしたが、本人はほっとしていたと思います。それでも看護士が常駐していないと
ダメなような状態になり、最後は入院先からホスピスのような施設へと移転しました。
そういう時代が長く続いて今ホッとする暮らしがあるけれど、この今もいつまで続くかわからない。
昨日新宿の紀伊国屋まで歩いて行ったら、なんだか疲れて、こんなに疲れるのは年のせいかなと
思ったけれど、体調も日によって違って、今日はたぶん4Km以上歩いたけれど疲れませんでした。
川沿いのウォーキングと街中の空気の悪い場所とでは違うのかしら?
iPhone の万歩計をオンにしたら6.6km 9127歩と記録が出ました。
今まで、万歩計を見たことはなかったのですが、見てみると今までの記録も残っていて
東御苑や、染の小道を歩いた時は1万歩を超えていて、10Km近くになっている日もありました。
キロ数についてはどれだけ正確かはわかりませんが。高低差も出ます。何階分登ったかの。
スマホ使いこなしていませんね。これから歩くのが楽しみです。クラス会でも1時間くらい歩いている人は
結構います。定年退職後の健康管理として。
歩く道はあらかじめgoogle mapで調べておきます。
手塚治虫のプロダクションはこんなところに在ったのね。
偶然みつけることができました。
前回の染の小道で通った神田川沿いの道の先の方です。
反対側から向かうと迷って道を聞いた地点がすぐやってきました。
目的地は佐伯祐三アトリエ記念館。
佐伯祐三展を見たのは高校生の頃かもう50年近く前のことになります。
あの展覧会の図録を捨ててしまったことをとても残念に思っています。
実家が引っ越す時に整理しました。
あの情熱に圧倒されて、ユトリロとは違って見ていて、その追求する姿勢に苦しくなりますが、
とても魅かれる絵でした。後から同じくパリの街を書いた増田誠や荻須を見ましたが、
佐伯の絵に一番ひかれます。
落合にあったアトリエを再建して公開するようになりました。
いつか行ってみたいと思っていたのですが、染の小道が引き金となりました。
ブラマンク風に描けそうなアトリエ風景です。
30代で亡くなったと記憶してましが、30歳ちょうどで亡くなったのですね。燃え尽きてしまったように。
絵を追求して駆け抜けた人生だったのですね。
アトリエに置いてある絵はみんなレプリカでした。
佐伯祐三が大工さんから道具を借りて自分で増築した部分です。
昭和47年までここで絵を描いていた婦人の作品が置いてありました。
静かにフォーレのエレジーがかかっていました。久しぶりに聞く曲です。何かピッタリな感じがしました。
30歳の夫とそれに次いで娘を失った夫人はパリから一人東京のこのアトリエに戻り、ずっとここで
暮らされていたのですね。絵はやさしい絵でした。
聖母病院
Oct.30 2018 Ochiai
私は今置かれている状態とできるだけ生かして生きるのが
いいかといつも思っています。今は日本にいること、この地域に住んでいることを
最大限に利用して生きるのが無理がなく・・
結婚して南阿佐ヶ谷から始まった生活は、主人の病院の近く近くへと転居して
少しずつ都心に向かいました。私は住むなら郊外派ですが、仕事をして子育て、病院と
あればすべて近いほうが便利でした。主人も最初は新宿の医大病院でしたがその後お茶の水へと
病院を変えて行きました。難病だったので診れる病院がすごく限られていてあまり
ありませんが、替えたのは正解でした。新宿の病院は薬害エイズ問題とかあり、今では
不正入試とかいろいろ問題が起きていました。エレベーターの中で今は亡き加藤和彦と安井和美
に会ったのも主人が入院中。主人はしょっちゅう緊急入院で子供もいつも死と隣り合わせでした。
その後御茶ノ水の病院で定期治療をしていて、さらに思いがけず癌を発症してこれ以上病院での
治療は無理という時にその病院の若いソーシャル・ワーカーさんが介護、看護、治療、医学療法との
最強のチームを作って、病院と相談しながら医療体制を作っていきました。家の中が病室のように
プライバシーのない暮らしでしたが、本人はほっとしていたと思います。それでも看護士が常駐していないと
ダメなような状態になり、最後は入院先からホスピスのような施設へと移転しました。
そういう時代が長く続いて今ホッとする暮らしがあるけれど、この今もいつまで続くかわからない。
昨日新宿の紀伊国屋まで歩いて行ったら、なんだか疲れて、こんなに疲れるのは年のせいかなと
思ったけれど、体調も日によって違って、今日はたぶん4Km以上歩いたけれど疲れませんでした。
川沿いのウォーキングと街中の空気の悪い場所とでは違うのかしら?
iPhone の万歩計をオンにしたら6.6km 9127歩と記録が出ました。
今まで、万歩計を見たことはなかったのですが、見てみると今までの記録も残っていて
東御苑や、染の小道を歩いた時は1万歩を超えていて、10Km近くになっている日もありました。
キロ数についてはどれだけ正確かはわかりませんが。高低差も出ます。何階分登ったかの。
スマホ使いこなしていませんね。これから歩くのが楽しみです。クラス会でも1時間くらい歩いている人は
結構います。定年退職後の健康管理として。
歩く道はあらかじめgoogle mapで調べておきます。
手塚治虫のプロダクションはこんなところに在ったのね。
偶然みつけることができました。
前回の染の小道で通った神田川沿いの道の先の方です。
反対側から向かうと迷って道を聞いた地点がすぐやってきました。
目的地は佐伯祐三アトリエ記念館。
佐伯祐三展を見たのは高校生の頃かもう50年近く前のことになります。
あの展覧会の図録を捨ててしまったことをとても残念に思っています。
実家が引っ越す時に整理しました。
あの情熱に圧倒されて、ユトリロとは違って見ていて、その追求する姿勢に苦しくなりますが、
とても魅かれる絵でした。後から同じくパリの街を書いた増田誠や荻須を見ましたが、
佐伯の絵に一番ひかれます。
落合にあったアトリエを再建して公開するようになりました。
いつか行ってみたいと思っていたのですが、染の小道が引き金となりました。
ブラマンク風に描けそうなアトリエ風景です。
30代で亡くなったと記憶してましが、30歳ちょうどで亡くなったのですね。燃え尽きてしまったように。
絵を追求して駆け抜けた人生だったのですね。
アトリエに置いてある絵はみんなレプリカでした。
佐伯祐三が大工さんから道具を借りて自分で増築した部分です。
昭和47年までここで絵を描いていた婦人の作品が置いてありました。
静かにフォーレのエレジーがかかっていました。久しぶりに聞く曲です。何かピッタリな感じがしました。
30歳の夫とそれに次いで娘を失った夫人はパリから一人東京のこのアトリエに戻り、ずっとここで
暮らされていたのですね。絵はやさしい絵でした。
聖母病院
Oct.30 2018 Ochiai
佐伯アトリエにはきもの友達と行きました。この辺りはいいところです。目黒の聖母病院は友達が入院していたのでこちらもよく行きました。長い距離をよく歩きましたね。私も歩いてみたいです。ご主人大変なんですね。そんな話はまったくなさらず、いま知りました。前向きな姿勢は見習いたいです。懐かしいような風景写真ありがとうございました。
とても感銘を受けましたので、またお邪魔(^^♪
自分が置かれている状況で出来るだけ生きる、まさに至言だと思います。
そして落合散歩!
俄然、自分の足で歩いてみたくなりました~。まだ自由になる時間が少なく今置かれている状態ではむずかしいことも多いけど、いつか実現すると思いながら生きていこうと思います。そう思うと楽しいことばかり(^^♪
佐伯祐三さんのことを初めて知り、少し調べていくと、ああこの絵の作者だったのかということもあり、またお兄さんが僧侶で素晴らしい人物だったこともわかりました。
知ることが楽しいと気付かせてくれるカンカンさまの文章がステキ♡
ホトトギス、聖母病院、寒天屋さん(^^♪
私は札幌在住ですが、新井薬師に親戚がいて、昔付き合っていた人が落合に住んでいたことなどもあって、私には懐かしさと親近感のある場所それが落合なのでした。
コメントありがとうございました。
新宿区でこの地区を丁寧に保存しているのが
嬉しいですね。とても好きなエリアになりました。
これから川沿いの散歩が増えそうです。
主人は亡くなってもう5年になります。あっという間に時間が経ってしまいました。
再びのコメントありがとうございます。
昔落合近くに住んでいて、今はちょっと郊外に住んでいらっしゃる方かと思っていました。散歩に来るには遠いですね。
思い出の地なのですね。いつの日かぜひいらしてください。
佐伯祐三の実家がお寺であることを今回のアトリエ訪問で初めて知りました。
すべてのものにはすべき時があるという旧約聖書の伝道の書が好きです。人間は今やるべきことを選択しながら生きて行ってるのでしょうね。その時々に最善を尽くして。そして思っていればいつかは実現できることを願って。心に楽しみを持つのっていいですね。私もうれしくなりました。