先日、「週刊現代」から取材を受け、<最近のドラマ>について解説
しました。
その一部は、発売中の最新号(8月18・25日号)、その特集記事で
読むことができます。
タイトルは、週現スペシャル『おごれるフジは久しからず。リスクをとったテレ朝が勝った。 テレビ視聴率「大逆転」の舞台裏』。
ただ、せっかくなので(笑)、取材時に行った”解説全体”を、記録として残しておきます。
最近のドラマをめぐって
この7月にスタートした連続ドラマは総じて低調。「ロンドン五輪には敵わないから、お休みモードか?」と思いたくなるぐらい。平均視聴率が20%どころか15%を超えたドラマは1本もありません。
多部未華子や榮倉奈々らが主演女優に起用されていますが、このクラスにゴールデンの連ドラを背負わせるのはまだ厳しい。芸能界全体の問題でもありますが、かつての鈴木保奈美や山口智子のように一枚看板でドラマを支えられる主演女優がいなくなってしまいました。
そうなるとストーリーを練りに練り、誰が主演しても面白いような物語をつくらなければいけませんが、どのドラマもそうなっていない。ドラマは脚本が何より大事なのに、近年のドラマ制作者は口うるさい大家や実力者の起用を避けています。
何でも言うことを聞く若い脚本家のほうが組んでいて楽だし、便利ですから。大家はセリフ1つ変えさせてもらうにも大変ですが、若手なら自由に直せる。大家と論争になると、ときには負けてしまいますからね。
若手は「直せというなら仕方ない」とすぐ直し、制作者にはありがたい存在ですが、そこに作り手同士のせめぎ合いは生まれません。脚本づくりやドラマ制作がファーストフード化してしまった気がします。ドラマの不調は便利な脚本家を使い続けたツケなのではないでしょうか。
当たるドラマがなかなかないですから、無難な刑事ドラマがずらり並んでしまうのですが、大人の視聴に耐え得る質が保たれているのはテレ朝の「遺留捜査」 (主演・上川隆也)ぐらい。あとは子供向けです。刑事ドラマはしっかり制作しないと単なるドタバタ劇になりがちで、子供向けになってしまうんですよ。
7月スタートのドラマは作り手には申し訳ないけれど、番宣資料を読んだだけで見た気分になってしまう。底が割れている。ドアを開けたら、すぐ出口があったような気分です。
今、連ドラの争いで注目されているのはフジとTBSがぶつかる月曜午後9時台ですが、両作品ともあまあまり評価できません。視聴率も振るいません。まず向井理が主演するTBSの「サマーレスキュー」。山の診療所を舞台にした物語で、制作者たちは医療ドラマの新機軸と意気込んでいるのでしょう。実際、北アルプスにはモデルになったような山岳診療所もありますから。
しかしドラマ化してみると、同じ山で毎週、病人やケガ人が出るのはおかしい。こんなことが制作する前から分からなかったのでしょうか。しかも向井は敏腕外科医の設定ですが、診療所にはなんの設備もないのですから、腕の振るいようがない。象徴的だったのは第1話。夕方、大ケガをした人が診療所に運ばたのですが、向井が何をしたかというと、手を握りながら一晩中、名前を呼んであげていただけなんですよ。
結局、夜明けと同時にケガ人はヘリで大病院に搬送されました。そうするしかないですから。これを見て「毎週これで大丈夫なのか」と気が重くなりました。第1話にして後の展開が見えてしまった。ケガ人の部分の描き方も弱いから、見る側は感情移入できない。何も出来ない医師と素性がよく分からないケガ人を見せられるのですから、これでは視聴者が付きません。
フジの「ビューティフルレイン」にも驚きました。医師が、芦田愛菜ちゃんの父親である豊川悦司に「あなたは若年性アルツハイマー症だ」と告げる。この病気には前期から後期まであり、最後は目の前にいる相手が誰だか分からなくなると説明します。さらに有効なクスリはないと伝える。豊川は絶望のどん底に叩き落とされるのですが、実際のアルツハイマー症の治療現場で、こんな救いのない言い方なんてしませんよ。
ドラマの都合だけで、豊川親子は第1話から、これ以上ないような不幸を背負わされたのですが、実際の患者は60万人から70万人もいて、その数倍の家族がいる。表現や作り方が無神経すぎます。ドラマはフィクションとはいえ、何をやってもいいはずはありません。
「サマーレスキュー」にもつながる話ですが、制作者が鈍感になっています。「細部に神は宿る」ではありませんが、ドラマで大きな嘘をつく場合、細部はリアリズムを真剣に追い求めなくてはなりません。
「ビューティフルレイン」の場合、そもそも愛菜ちゃんには母親がいなくて、豊川も零細企業の工員で経済的に恵まれていない。最初から、かわいそうなんです。そんな親子が、これから回を追うごとに不幸になっていく。それを視聴者に見せていく神経が理解できません。ただ、やはり視聴者も共感しないようで、視聴率は平均で10%前後。視聴者が制作者の傲慢さを見抜いているんだと思います。
ドラマの制作者には志が要ります。動機付けなく、「視聴率を獲ろう」「話題作にしよう」ではうまくいく筈がありません。「ここで視聴者を泣かせよう」なんて不遜なことを考えないほうがいい。
大多亮氏はあれだけ場数を踏み、ヒット作を生んだのですから、ヒットの方程式のようなものを体得しているのかも知れません。ただ、後に続く若い人たちが安直に方程式だけ真似ようとするのは、視聴者を冒涜する行為で、共感は得られないでしょう。大多氏にも悩みや葛藤はあったはずです。それなのに後進が「この筋書きにこういう展開を組み込めば当たる」などと安易に考えるべきではありません。
ではドラマは今後どうするべきなのか。関西テレビが10月からの連ドラの演出に映画監督の是枝裕和氏を起用しますが、これも1つの方向でしょう。これまでは原則的に局内の人間が演出に当たりましたが、これからは違う血を入れれば刺激になると思います。
もう1つ。昨年テレビ東京で放送された連ドラ「鈴木先生」(主演長谷川博己)のような製作委員会方式の導入。連ドラではまだ少ない試みでした。映画のように出資者を集めて、製作委員会を立ち上げる。テレビ放送からDVD化、オンデマンドなど、2次利用、3次利用までを含むトータルで利益が出ることを目指す。それなら重いテーマやとんがった作品、なにより制作者が本当につくりたい連ドラがやれる可能性が広がります。収益は出資者で分ければよく、スポンサーの顔色をうかがう必要もない。小手先の視聴率にも走らずに済みます。
最近のテレビマンは、「もう昔のような視聴率は獲れない。ネットとゲームがあるんだから」と口にしますが、それは白旗を揚げる行為と同じで、それを言っては本当におしまいなんです。ネットの理由にするのは言い訳に過ぎません。「家政婦のミタ」が驚異的視聴率をマークした説明がつかない。まだテレビはお化け番組を生む余地があるんです。まだ可能性のすべてを展開しているとは思えません。
民放は約60年間、スポンサーからお金をいただき、タダで視聴者に番組を見てもらっていましたが、今の若い人はタダでもつまらない番組は見ません。ネットなどがあるんですから。逆に面白いコンテンツなら少しぐらいお金を払ってでも見てくれるんです。これが以前との大きな違いです。番組のオンデマンドも広がっていくでしょう。それを意識した番組づくりも必要になります。
「家政婦のミタ」は欠点もあるドラマでしたが、うまいアイディア商品でした。あれほどまでに当たったのは、ツイッターやフェイスブックなどSNSの影響があったからだと思います。「あれ見た?ちょっと面白いよ」という声がSNSで一気に広がっていった。最後のころには学生たちがSNSで「今夜はミタだから飲み会中止」などとやり取りしていた。あのドラマを見ることがイベント化していました。
次の展開が分からないゲームのようなドラマに、ゲーム慣れている若者がすんなり視聴者として参加した。最近の大学生は普段、連ドラなんて見ないんですよ。ただ「ミタ」の場合は次の展開を自分で予想し、その上でドラマを見ていた。参加型だったんです。