慶大SFC(湘南藤沢キャンパス)総合政策学部の小熊英二教授。
かつて、講義に熱中するあまり、教壇から転がり落ちたこともある、異能の先生です。
2012年夏、脱原発と民主主義の再建を求めたデモの様子をカメラに収め、最近、ドキュメンタリー映画として完成させてしまいました。
タイトルは『首相官邸の前で』。
うーん、見てみたい。
「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。
小熊英二
『生きて帰ってきた男~ある日本兵の戦争と戦後』
岩波新書 1015円
今年90歳になるシベリア抑留体験者がいる。名前は小熊謙二。生まれは1925(大正14)年で、三島由紀夫と同じく、昭和時代には年号がそのまま年齢を表した。
数年前、謙二は研究者の「聞き取り」の対象となる。語ったのは子供時代、19歳での徴兵、満州の航空通信連隊、収容所生活、敗戦から3年後の復員、そして長い戦後の日々。聞き手は、気鋭の歴史社会学者である息子・英二だ。
謙二の話を軸に構成された本書だが、単なる回想録や戦争体験記ではない。戦前・戦後を縦断する生活史でもあるからだ。庶民にとって戦場が非日常的な場であるならば、戦争に行く前の家庭や仕事という日常はどんなものだったのか。また戦争から帰った後、どのように生きていったのか。本書では、それらを同時代の社会状況とリンクさせながら記述していく。著者が目指したのは「生きられた二〇世紀の歴史」である。
驚くのは、謙二の記憶の確かさと、その記憶を感傷や思い入れで修正したりしないことだ。だからこそ、当時の“普通の人々”の実感や本音を知ることができる。たとえば満州での所属部隊では塹壕を掘るなどの防衛準備も、ろくな訓練もなかった。謙二いわく、「軍隊は「お役所」なんだ。(中略)命令されなかったら何もやらない」。また、シベリアでソ連軍の冬季衣料を目にして日本軍の貧弱さを痛感。「あんな防寒装備でよくソ連軍と戦うつもりだったものだ」と振り返る。
生還した謙二だが、仕事も生活も安定しない。選挙では、アンチ保守政党で共産党や社会党に投票したが、「社会主義だの共産主義だのには、まったく夢は抱いていなかった」。同時に、「戦前日本の軍国主義はもっとまっぴらだった」。
人生の苦しい局面で最も大事なことは何かと問われた謙二は、こう答える。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」。
清泉 亮
『十字架を背負った尾根~日航機墜落現場の知られざる四季』
草思社 1944円
前作『吉原まんだら』で、知られざる“吉原の女帝”の軌跡に迫った著者。本書では、30年前の事故現場を守り続けてきた、名もなき人たちの無償の行為を描いている。そこに暮らす村人が受けとめた「唐突にして深く永劫に刻まれた縁」。もう一つの鎮魂の姿だ。
小路幸也 『怪獣の夏 はるかな星へ』
筑摩書房 1620円
著者初の怪獣小説は、往年のウルトラ少年たちへのお中元だ。1970年夏、小学生が汚れた川で見つけた怪獣の絵。それが事件の発端だった。奇妙な機械人間と巨大怪獣が町を襲い、4人の少年少女と謎の青年が立ち向かう。読後、空を見上げたくなること必至。
海老坂 武 『自由に老いる~おひとりさまのあした』
さくら舎 1512円
誰にとっても老いは未知なる体験だ。何が変わり、何が変わらないのか。準備できること、できないこと。ここは先達の“実感”から学ぶべきだろう。ベストセラー『シングル・ライフ』の著者も今年81歳。自分らしい老いのスタイルを探る参考書として最適だ。
(新潮書評 2015.09.03号)
<追記>
『生きて帰ってきた男~ある日本兵の戦争と戦後』が、「小林秀雄賞」を受賞したそうだ。
おめでとうございます!小熊先生。
選考委員の皆さんの慧眼に、拍手です。
ちなみに、「新潮ドキュメント賞」は、永栄潔さんの『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』(草思社)に決まったという。
こちらも、発売直後に一読し、当書評欄で取り上げさせていただいた本なので、書評子として嬉しく思います。