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碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「女子アナ」と「女性アナウンサー」、そして「元・女子アナ」

2019年06月06日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

TBSの上村彩子アナウンサー

 

先日、TBSのスポーツ番組を見ていたら、大学の「教え子」が出ていました。上村彩子(かみむら さえこ)アナウンサーです。

上智大学文学部新聞学科の出身なのですが、在学中の2年生から4年生まで、ずっと私のゼミに在籍し、しっかり卒論も書き、2015年の春、卒業と同時にTBSに入りました。

元々スポーツが得意なこともあり、スポーツ系の番組はぴったりです。また、ゲストとのやりとりも、「親近感」と「節度」のバランスがよく、安心して見ていられました。

上村さんは現在26歳ですが、いわゆる「女子アナ29歳定年説」などに惑わされず、納得いくまでアナウンサーとして活躍してほしいと思っています。

というのは、最近、TBSを退社したアナウンサーが話題になることが多いですよね。それも、フリーランスの「アナウンサー」の仕事とは別の話題です。

ビューティ雑誌で「ハイレグ&胸元のザックリ開いた黄色の水着姿」を披露した(田中みな実アナ)とか、女性誌の表紙に「美尻を強調したタイトワンピース姿」で登場した(宇垣美里アナ)とか・・・。

もちろん、彼女たちはすでにタレントさんでもあるので、どんな「お仕事」をしても構わないわけですが、アナウンサーとしてやっていける力を持った人たちでもあり、その意味で「女子アナのセクシー対決」みたいな言われ方をされる露出の仕方は、「ちょっと、もったいないなあ」と思ったりします。

「女子アナ」は現代の花魁(おいらん)!?

いわゆる「女子アナ」をめぐって、思い出す本があります。元TBSアナウンサーで、現在はタレント、エッセイスト、ラジオパーソナリティなどとして活躍中の小島慶子さんが書いた、初の小説『わたしの神様』です。

お話の舞台はズバリ、民放キー局。主人公は「私には、ブスの気持ちがわからない」と豪語する、人気女子アナです。誰よりもスポットを浴びようと競い合い、同時に地位と権力を求めてうごめく男たちとも対峙する彼女たち。テレビドラマでは、そう簡単に描けない物語でした。

低迷しているニュース番組があります。キャスターを務めてきた佐野アリサが産休に入ることになり、抜擢されたのは人気ランキング1位の仁和まなみアナでした。育児に専念する先輩と、これを機にさらなる上を目指す後輩。フィクションであることは承知していても、彼女たちの言葉は、著者の経歴からくる“際どいリアル感”に満ちています。

例えば、ニュース番組担当の女性ディレクターは、女子アナを指して「ほんと、嫌になるわ。顔しか能のないバカ女たち」と手厳しい。

当のまなみは、心の中で言い返します。

「この世には二種類の人間しかいない。見た目で人を攻撃する人間と、愛玩する人間。どれだけ勉強したって、誰も見た目からは自由になれないのだ」。

さらに、「どんなに空っぽでも、欲しがられる限りは価値がある。(中略)他人が自分の中身まで見てくれると期待するなんて、そんなのブスの思い上がりだ。人は見たいものしか見ない」と容赦ありません。

また、この女性ディレクターが、アナウンサー試験に落ちた、自分の過去を踏まえて断言します。

「これは現代の花魁(おいらん)だと気付いた。知識と教養と美貌を兼ね備えていても、最終的には男に買われる女たちなのだ。(中略)自分で自分の値をつり上げて、男の欲望を最大限に引きつけるのだ。その才覚に長けた女が生き残る世界なのだと」

果たして、これらは極端に露悪的な表現なのでしょうか。いや、そうとは言い切れないのが、現在の女子アナの実態でしょう。小説ならではのデフォルメの中に、小説だからこそ書けた真実が垣間見えるのです。

「女性アナウンサー」と「女子アナ」

1980年代に、「楽しくなければテレビじゃない」をモットーにして、視聴率三冠王の地位に就いた当時のフジテレビが、女性アナウンサーをいわば「社内タレント」としてバラエティ番組に起用しました。

それがウケたこともあり、以後、歌って、踊って、カブリモノも辞さない「女子アナ」が、各局に続々と誕生していったのです。

小島さんは常々、TBSの局アナ時代を振り返り、「自分は局が望むような“かわいい女子アナ”にはなれなかったし、なりたいとも思わなかった」と語っています。できれば「女子アナ」ではなく、一人の「アナウンサー」として、仕事を全うしたかったと言うのです。しかし、それは許されなかった、と。

TBSを“定年退職”した、現フリーアナウンサーの吉川美代子さんは、小島さんの先輩にあたります。

吉川さんは、その著書『アナウンサーが教える 愛される話し方』の中で、「女子アナ」をアナウンサーの変種・別種と捉え、「社内タレント」としての功罪を指摘していました。アナウンサーは、文化や教養を伝える立場にあることを自覚せよ、と訴えたのです。

とはいえ、今後もテレビ局は、社内タレントとしての女子アナの採用を続けるでしょう。それは仕方がないとして、一方で真っ当な、もしくは本来のアナウンサーも採用・育成すべきだと思います。

実際、伝えることのプロとしてのアナウンサー、言葉の職人としてのアナウンサーは、目立たないけれども、各局に存在しています。その系譜を絶やしてはなりません! って、リキむこともないんですが(笑)。

というわけで、我が「教え子」にも、諸先輩の生き方をしっかり参照し、検討し、時には反面教師にもしながら、これからも頑張ってもらいたいと思う、今日このごろです。


デイリー新潮で、「復活ドラマ」について解説

2019年06月05日 | メディアでのコメント・論評

 

 

「半沢直樹」は7年で復活、

10年以上経って

続編が制作される連ドラといえば?

 

堺雅人(45)がようやく民放連ドラに帰ってくる。NHK大河「真田丸」(16年)で主演の真田幸村(信繁)を演じて以来、連ドラの仕事を受けなかったが、ついに決意を固めたのが「半沢直樹」(TBS系)の続編だ。“やられたらやり返す、倍返しだ!!”のキメ台詞が大人気となり、最高視聴率は最終回(13年9月22日)の42・2%(ビデオリサーチ調べ:関東地区、以下同じ)。第2シリーズは来年4月のスタートというから、実に7年ぶりの放送である。

だが、上には上がいるもので……今年はそれが多いのだ。

他局プロデューサーは言う。

「『半沢直樹』はその後、TBSの“日曜劇場”枠に続く『ルーズヴェルト・ゲーム』(14年4月期、主演:唐沢寿明)、『下町ロケット』(15年10月期、主演:阿部寛)、『陸王』(17年10月期、主演:役所広司)、『下町ロケット2』(18年10月期)、さらにこの夏の『ノーサイド・ゲーム』(19年7月期、主演:大泉洋)へと続く、池井戸潤・原作のシリーズ第1弾でした。TBSは長年、『半沢直樹』の続編を打診していると言われていましたが、事務所がなかなか首を縦に振らなかった。他局の我々も、もう無理じゃないの? と思っていましたが、TBSの粘り勝ちですね。それにしても、第1シリーズが終わってから、特番も映画も挟むことなく、7年を経て第2シリーズというのは、非常に珍しい」

確かに、連ドラの続編は、通常は1~3年以内に制作される。それ以上、空く場合は、映画や単発の特番が挟まれることが多い。もしくは、連ドラの後、特番で終わるパターンだ。

織田裕二の「踊る大捜査線」(フジテレビ系)は、第1シリーズ(97年1月期)から6年後に第2シリーズ(03年7月期)が制作されたが、その間に特番やら特別編だの、スピンオフといった数々の関連番組が制作され、さらに劇場版も公開された。第2シリーズ放送後も同様で、スピンオフの劇場版「交渉人 真下正義」(05年5月)、「容疑者 室井慎次」(05年8月)も公開された。本編の劇場版は実に4作……とは驚きである。

また、キムタクの「HERO」(フジテレビ系)は第1シリーズ(01年1月期)の放送から13年を経て、第2シリーズ(14年7月期)が放送された。もっとも、こちらも06年に特番が放送され、07年には劇場版が封切られた。さらに第2シリーズ終了後の翌15年にも劇場版第2弾が公開されている。映画公開前の大宣伝として連ドラの第2シリーズが作られたパターンだ。

連ドラ放送後に特番を続けたケースは、トレンディドラマを代表するW浅野(浅野温子&浅野ゆう子)主演の「抱きしめたい!」(フジテレビ系)だろう。最初に放送されたのは88年7月期だが、翌89年と90年に単発の特番を1本ずつ放送。9年後の99年に特番で復活し、さらに14年後の13年に特番となった時には14年ぶりの復活と話題になった。

珍しいところでは、97年10月期に放送された「ぼくらの勇気 未満都市」(日本テレビ系)で、KinKi Kidsの2人が主演し、嵐の松本潤と相葉雅紀が連ドラデビューした作品。最終回での台詞「20年後の今日、またこの場所に集まろう」に合わせて、本当に20年後の17年に特番で続編が放送された。20年という長期のスパンは非常に珍しい。

「『ぼくらの勇気』の出演者には、20年の間に芸能界を引退したジャニーズJr.もいましたからね。特番では一夜だけの復活として出演していましたが、ジャニーズ繋がりだからできたことで、通常ならあり得ない。それほど、期間を空けると続編は作りにくいのです。ましてや連ドラのシリーズものは、より作りにくいわけです」(同・他局プロデューサー)

新作で失敗するより復活で

だが、今年は「半沢直樹」よりも長いスパンを開けて復活するドラマが2本もあるのだ。

年内放送と発表されているのは、オダギリジョー(43)が主演の「時効警察」(テレビ朝日系)の第3シリーズだ。最初に放送されたのは06年1月期で、翌年4月期には「帰ってきた時効警察」として復活。時効が成立した未解決事件を“趣味で”捜査するコメディドラマだが、実社会では10年4月に殺人などの凶悪犯罪の公訴時効が廃止されたことで、新シリーズはないと思われた。しかし、それ以前に時効が成立した事件は残っている、と12年ぶりの復活が決定したのだ。

さらに10月期には阿部寛(54)が主演の「結婚できない男」(フジテレビ系)は、何と13年ぶりに復活する。第1シリーズ放送時(06年7月期)は、本当に独身だった阿部(当時42歳)も放送の翌年に結婚。「結婚できない男が結婚できることになりましたので……」と会見を開いた。結婚できたのに、「結婚できない男」を再び演じさせようとするのはなぜだろうか。

上智大学の碓井広義教授(メディア文化論)が解説する。

「視聴者のテレビ離れが進むいま、二桁の視聴率が取れるドラマは1クールに2~3本しかなく、7~8%も取れれば御の字です。そんな中、下手な新作ドラマで冒険して大失敗するよりも、テレビ局にはある種の保険があったほうがいいわけです。『結婚できない男』も『時効警察』も10年以上経っているので、当時とは視聴者層が違う。『小学校のころに聞いたことがあるような……』という世代にとっては“新製品”と思えるでしょうし、現在のメイン視聴者層である50代、60代にとっては懐かしく、ある程度の計算ができる。上手くいけば二桁も狙えるかもしれません。現在、テレ朝が日テレの三冠王を奪おうという位置になったのは、『相棒』や『科捜研の女』などの長期シリーズの成功があってこそ。それを羨む局は、今後、過去の人気作をどんどん復活させていくかもしれません。そういえば『ショムニ』(フジテレビ系)や『コード・ブルー』(同前)も長いスパンを空けて復活したように思います」

江角マキコの「ショムニ」は98年、00年、02年と第3シリーズまでテンポよく放送された。03年に特番が放送され、10年を経て13年に第4シリーズが放送されている。

またヤマピーの「コード・ブルー―ドクターヘリ救急救命―」は08年に第1シリーズ、翌年に特番を挟んで、10年に第2シリーズ、7年をおいて17年に第3シリーズが放送された。

「フジはヒット作が多かったから、いい資産運用ができるかもしれません。とは言っても、挑戦ではなく、後ろ向きな話ですけど……」(同・碓井教授)

TBSにしてみれば、7年経っても「半沢直樹」は色褪せない自信作なのだろう。【週刊新潮WEB取材班】

(デイリー新潮 2019年6月4日)


【気まぐれ写真館】 週末の京都で、マツコデラックスさんと・・・

2019年06月04日 | 気まぐれ写真館


【気まぐれ写真館】 週末の京都で、鷲田清一先生と・・・

2019年06月04日 | 気まぐれ写真館

 

 

尊敬できる人間を持ってる人間が光るんです。

尊敬される人間は別に光らない。

                        倉本聰

    ◇

 

「高倉健さんの映画は必ず上に人がいることで成立している」と、

脚本家は言う。

権力者も反逆児も「上に立つ人」がいないお山の大将。

そこがだめなんだと。

自分の不完全を知り、自分に優(まさ)る者のほうから自分を量る。

その人が後生大事にしているものは命を張ってでも護(まも)る。

そういう「重し」が人には要ると。

元TVプロデューサー、碓井広義との共著『ドラマへの遺言』から。

 

鷲田清一 「折々のことば」

(朝日新聞 2019.04.16)


【気まぐれ写真館】 週末の京都で・・・

2019年06月04日 | 気まぐれ写真館


書評した本: 中村淳彦 『東京貧困女子。』

2019年06月03日 | 書評した本たち

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

風俗界に蔓延るリアルな「貧困」

中村淳彦

『東京貧困女子。彼女たちはなぜ躓いたのか』

東洋経済新報社 1620円

今年1月期の深夜ドラマに「フルーツ宅配便」(テレビ東京系)があった。舞台はデリバリーヘルスで、在籍する女性たちにはフルーツの名前が付いている。詐欺に引っかかり借金を背負ったのはモモ。客に本番をさせて後から金をゆする困ったタイプがサクランボだ。それぞれが抱える事情やトラブルの中に、今の社会や人間の姿が映し出されていた。

このドラマは漫画を原作としたフィクションだったが、本書を読むと現実はもっと根深いことが分かる。若い女性たちのリアルな「貧困」がそこにあるからだ。

たとえば国立大学医学部の現役女子大生が登場する。ネットの掲示板を使った、いわゆる「パパ活」で中年男性と交際している。もちろん恋愛ではない。月に1度、1万円から3万円を受け取る割り切った売春行為だ。

父親は数年前にリストラされ、母親が非正規で働いている。日本学生支援機構の奨学金は学費に消え、普通のバイトだけでは学生生活が成立しない。この医学生は歌舞伎町の風俗店にも月に2度ほど出勤する。パパ活と合わせて約5万円を手にするが、その金額では見合わないと思えるほど罪悪感にさいなまれている。

また都内の家電量販店で働く30歳の女性は、地方の大学を卒業後ずっと派遣社員だ。単身で暮らす彼女の年収は300万円。女性の平均年収には達しているが、少しだけ生活を豊かにしようとすると月に数万円足りない。そこで風俗へと向かう。著者によれば、風俗嬢の8~9割は正業をもったダブルワーク女性で、その多くが平均的な単身世帯の非正規労働者だ。すでに10年ほど前から、風俗界は「一般女性であふれ返っている」という。

貧困の理由や背景は人によって異なる。本書に並ぶのも個別の事情が生んだ個別のケースかもしれない。しかし個々の生活を見つめなければ、現象の奥にある真実は浮かび上がってこない。著者が挑んだのは見えない現実の可視化だ。

(週刊新潮 2019.05.23号) 

 

 

東京貧困女子。: 彼女たちはなぜ躓いたのか
中村 淳彦
東洋経済新報社

産経新聞で、容疑者作品「自粛」について解説

2019年06月02日 | メディアでのコメント・論評

 

【日本の議論】

容疑者作品「自粛」の是非 

肥留間正明氏、碓井広義氏

 

芸能人が関与する事件が相次いでいる。その出演作品は「公開を自粛するべきだ」として放送や販売、配信停止になるものがある一方で、「作品に罪はない」と公開されたケースも。容疑者となった芸能人と作品の関係について、どのように考えるべきなのか。芸能文化評論家の肥留間正明氏と、上智大教授の碓井広義氏に聞いた。

 □芸能文化評論家・肥留間正明氏

 ■一定期間やむを得ない

 --容疑者が出演する作品の扱いについて、この機に考えようという動きがある

「現在放送されているもの、事件発覚後に放送、公開されるものは自粛せざるを得ない。当該芸能人の活躍の場がテレビなのか舞台なのか、立場は主役なのか脇役なのかによっても対応は異なるが、特にテレビ番組はコマーシャル(CM)と放送法で成り立っている世界。CMスポンサー企業に対する配慮は欠かせない」

 --自粛は過剰反応との声も

「芸能人の収入は近年、CM収入の占める割合が大きくなっている。このギャランティー(出演料)の仕組みが変わらない限り自粛はやむを得ず、こうした対応は続くだろう。30年ほど前、ギャラにおけるCM収入はそれほど重要ではなかった。それぞれのフィールドで、芝居や歌といった芸を磨いて収入を得ていた。娯楽の変化によって活動の中心がテレビに移り、俳優でも歌手でも、タレントと大差ない活動をするようになった結果、CM収入が占める割合が大きくなった」

 --企業は、不祥事を起こした芸能人を起用し続けた場合の批判を気にしている

「広告塔になっている芸能人のイメージやモラルが重視されるのは当然のこと。国を挙げて根絶に乗り出している犯罪である違法薬物が、真っ当なルートで手に入るはずもなく、反社会勢力と交際している可能性もある。ギャラが反社会勢力に流れる可能性があるというだけでも企業の信用に関わる。一方で、芸能人たちは世間の見方が近年厳しくなっていることに気付けていない。法律を甘く見ているふしがあり、いつまでたっても芸能界から薬物が排除されない」

--被害者のいる性犯罪などと、薬物事犯は対応を変えるべきだとする意見もある

「薬物事犯に被害者がいないと考えるのは愚かだ。チケットを購入して作品を見る、またCDを聴いて応援しようとしたファンの思いが収入につながっているわけで、その金で違法薬物を手に入れるのはファンの心情を踏みにじる行為ではないか」

 --罪を償って活動を再開させている芸能人もいる

「そうした事実が、最初から自粛は必要ないという論調につながっているのだろうが、何をして仕事を失ったのか反省しなければ過ちを繰り返す。ただし、どんな作品も、世に出るまでさまざまな人が携わっている。存在しなかったものにしてしまっては、その人たちが報われない。時間をおいて、視聴者が作品を味わえるようにすることは必要だ」(石井那納子)

【プロフィル】肥留間正明氏 ひるま・まさあき 昭和24年、埼玉県生まれ。芸能文化評論家、作家、ジャーナリスト。日本大学法学部卒業後、週刊誌記者を経て「FLASH」(光文社)創刊などに携わる。著書に「龍馬と海」(音羽出版)など。

 □上智大教授・碓井広義氏

 ■安易な決定は思考停止

 --芸能人が事件を起こすと、出演作品の配信停止や出荷停止などが慣例化している

「不祥事の発覚後に出演や活動を控えるのは当然だと思う。しかし、過去の出演作品までさかのぼって安易に自粛するのは思考停止に他ならず、反対だ。また、NHKなどは過去の出演作品の配信を停止した際、『総合的に判断した結果』とするだけで、具体的に理由を説明することはなかった。経過を見ると議論が尽くされていなかったように感じる」

 --NHKは「番組は受信料で作られており、反社会的行為を容認できない」としている

「これから受信料を使って撮影するものならともかく、過去の作品はすでに受信料で作られたもので、視聴者全員の共有財産でもある。過去作品の配信停止はむしろ、視聴者にとっての損害ではないか」

 --過去作品の配信停止にはどんなデメリットがあるか

「映像も音楽も、作品は非常に多くの人の手がかかって完成するもの。たくさんのファンが支持した作品を封印するのは、事件を起こした俳優一人の問題ではない。関わった全ての作り手やファンも不利益を被るということだ。また、作品を封印して存在自体を抹消するのは、文化に対する冒涜(ぼうとく)だろう」

 --かつては事件後も自粛せず、社会的に何となく許された俳優がいた

「芸能人が世間の一般常識とは少し違う世界で生きていると思われていた時代には、世論もさほど自粛を求めることがなかった。しかしその後、企業などのコンプライアンス(法令順守)意識が向上し、世間の目も厳しくなった。企業はインターネット上で批判される『炎上』を恐れるようになり、臭いものに蓋をするように、保身のために自粛の判断をするケースも増えた」

 --麻薬取締法違反の罪で起訴されたピエール瀧被告の事件では、出演映画が公開され、一部の生中継サイトも所属バンドの楽曲を配信した

「いずれも作品をどうしたら救えるのか、という検討の結果だ。批判覚悟で公開に踏み切るという姿勢は判断の一つ。思考停止しておらず、評価できる。また生中継サイトの行動は挑発的ではあるが、問題に対する若者の社会的関心を高める意味でも有効であり、面白いやり方だったと思う」

 --今後の自粛のあり方は

「『文化を生かす』という観点から、作品に関わった度合いや時期、罪の軽重や情状酌量の余地によって、もっと個別具体的な判断が求められていくだろう」(三宅令)

【プロフィル】碓井広義氏 うすい・ひろよし 昭和30年、長野県生まれ。慶応大学法学部卒。56年に番組制作会社「テレビマンユニオン」に参加、プロデューサーとして活躍。上智大学教授(メディア文化論)。

 ■記者の目 自粛判断、見えない議論

会員制交流サイト(SNS)などで手軽に意見を表明できるような環境が整ったことで、不祥事を起こした芸能人の作品の放送・公開に関する議論は、以前よりも熱を帯びている。

そもそも、日本の映画業界には、出演俳優が不祥事を起こした映画の公開中止や延期を決定するような「ガイドライン」は存在しない。だからこそ、それぞれの事案の軽重に合わせて判断を柔軟に議論できるはずだ。しかし、実態は一律に自粛するだけという対応が多く、十分な議論が尽くされたのか、外部からはほとんど見えない。

こんな対応が繰り返される中で、芸能人の薬物事件は一向になくならない。芸能界は、以前よりはるかに社会的責任が問われる存在となっていることを自覚し、むしろ率先して薬物汚染に立ち向かう姿勢を示すべきだ。(石井那納子)

(産経新聞 2019.6.1)

 


エコノミストonlineに、女優・美村里江(元 ミムラ)さんによる『ドラマへの遺言』の書評

2019年06月01日 | 本・新聞・雑誌・活字

 

エコノミストonlineに、

女優・美村里江(元 ミムラ)さんによる

『ドラマへの遺言』の書評

 

×月×日

『ドラマへの遺言』(倉本聰、碓井広義著、新潮新書、820円)。なんともドッキリするタイトル。ドラマ出演している身からすると、これは読まねばとすぐにレジへ運んだ。

倉本作品の逸話については、撮影現場で耳に入ることがある。しかし、本人とその愛弟子による述懐はさすがに知られざる話が山盛りだ。

有名な話では、大河ドラマの脚本を降りた件。その前後の細かな出来事が興味深かった。

自分が重要と考えているキャストが、局側から「連絡がつかないので無理」と却下された。「ならば自分が口説いてくる」と請けあい、人のつてを使い、情報を使い、自ら足を運び、文字通り土下座して口説き落としたそうだ。その後生じた主演の交代劇でも、同じように動いた。

「プロデューサーは管理職で、現場はみんな組合員なんですよね。組合員と外部の倉本聰、どっちを大事にするんだって、プロデューサーが詰め寄られちゃった」ということで、脚本家がキャスティングのために奔走したことが「出過ぎだ」と反発され、降りることになったという。  実際のことはわからないが、作品を面白くするために行動した人が報われないのは、少し悲しい。

倉本氏は、チャップリンの「人生はクローズアップで見ると悲劇だけど、ロングで見ると喜劇だ」という言葉を座右の銘とし、それが一番高級なドラマではないかという。

本書を読んでいると、確かに引いてみれば人生は楽しいものと思える。(美村里江、女優・エッセイスト)

 ■人物略歴

みむら・りえ

1984年埼玉県生まれ。2003年にドラマ「ビギナー」で主演デビュー。出演する映画『パラレルワールド・ラブストーリー』が5月31日より公開中。

(エコノミストonline 2019.05.31)

 

 

 

ドラマへの遺言 (新潮新書)
倉本聰、碓井広義
新潮社

 

 


同性愛者のドラマ同時多発

2019年06月01日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

同性愛者のドラマ同時多発

 

刑事ドラマや医療ドラマなど、同じジャンルの作品が同時多発することはよくある。今期、目立つのは男性同性愛者が登場するドラマだ。きっかけは、男性同士の恋愛を正面から扱ったコメディーとして話題となった、昨年の「おっさんずラブ」(テレビ朝日-HTB)だろう。各局が後を追った結果、ようやく今期、横並びで登場することになった。

1本目は「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。」(NHK)。主人公は高校3年生の安藤純(金子大地)だ。年上の恋人・佐々木誠(谷原章介)をもつゲイだったが、同級生の三浦紗枝(藤野涼子)とつき合うことになる。

紗枝はBL(ボーイズラブ)小説や漫画を愛好する「腐女子」。しかし、当初は純がゲイであることを知らなかった。純の中にある「好きなものは仕方ない」という諦念。「なぜ生まれてきたのか」という自問。そして「居場所が欲しい」という渇望。自分がゲイであることに困惑しながら生きる少年の揺れる気持ちを丁寧に描いている。

次の「俺のスカート、どこ行った?」(日本テレビ-STV)は、新米高校教師の原田のぶお(古田新太)が主人公だ。原色系のブラウスとスカート、足元はハイヒール。「ヤバいおじさん」と揶揄(やゆ)する生徒たちを、「俺は、ヤバいおじさんじゃない。かなりヤバいおじさんだ!」と一喝する。

さらにトランスジェンダーは「社会が割り当てた性別とは別の性別で生きる人」だと説明し、「わたしはゲイ、そして女装もしている」と続ける。既成概念で他者を決めつけるべきではないことを伝えていた。一見破天荒だが、「生きづらさ」という経験に裏打ちされた道理と知恵が隠されており、曇りのない目で人間の本質を見抜く力が抜群だ。

そして、「きのう何食べた?」(テレビ東京-TVH)では、弁護士の筧史朗(西島秀俊)と美容師の矢吹賢二(内野聖陽)が同居生活を送っている。史朗は料理好きで、「サケとごぼうの炊き込みご飯」など実においしそう。堂々の「食ドラマ」でもあるのだ。

互いの心の領域に、どこまで踏み込んでいいのかを繊細な神経で気づかいながら、「シロさん」「ケンジ」と呼び合い、同じ食卓で、同じものを食べ、話したり、笑い合ったりする40代半ばの男たち。静かな大人の日常が心地よい。

ダイバーシティ(多様性)などと言わずとも、見ているうちに「こういう生き方もあるんだ」と自然に思えてくる。まさにドラマの同時代性である。

(北海道新聞 2019.06.01)