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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

タイル屋さんのおかみさん教室と空の湯の下絵

2020-09-20 07:36:53 | モザイク作家

今日はタイル屋さんのおかみさん教室。新作のウチの犬って事なんだけれど、まだメインになるタイルが決まっていないのね。そんな中、初めて知ったんだけれど、この犬種のゴールデン・レトリバーってイギリスタイプとアメリカタイプって

あって、良く見るとイギリスの方は耳が小さく、アメリカの方は大きい。ってこんな事は下絵が決まっているのだから、その線通りに教えれば良いだけで、問題は無いのだけれど、色なのね問題は。イギリスは薄いのね。

こう言うの知らないと、とても大事な事でね、タイルの色はそれで無くても少ないのね。それなのに、この色ダメみたいな事が出てしまうと、かなり窮屈になるのね。その窮屈さを補う為のアドバイスになるのね・・・。

それが例えばアメリカタイプの濃い目だったら?そうね、きつね色とでも言うのかな?あの辺の色が3色あったりするのね。だからそこそこ困らないのね。じゃその場合はどんなアドバイスになるか?まずタイルの色は増えないでしょ?ここ確認ね。

じゃ何がどう変わる?・・・そうなのね、その人で変わるのね。仮に薄味なのが好きな人だとする。そうするとね、さっきのきつね色の一番濃いのを外す可能性があるのね。何せ薄味好きだから。数字にすると10点満点のきつね色を外すのね。

と言う事は、9点以下のきつね色が10点に格上げになった事になるのね。もっと言い方を変えれば、絶対エースや4番バッターが不在みたいになる。だって外す位、目立っていると判断するのだから・・・作り手が監督としたらね。

これが監督でチームカラーが変わる仕組みね。メンバーは同じでも、監督の考え方で大きく変わるってね。んで、話を戻して、濃い目が特徴のアメリカタイプなのに、薄味の監督となると、10点きつね色を外す・・・ってこんな感じ。

そうすると、メンバーが足りなくなるでしょ?これが逆に、濃い目が好きな監督なら、10点きつね色は外す所か、絶対なエースとして残っているはずなのね。もっと言えば一番使いたいってね。ほら大きく変わって来た。同じ色しか無いのに。

じゃそんな中、薄め好きな監督は、きつね色じゃ無いけど、薄ければ・・・って補強しようとすると、薄い好きだから、結構幅広く選べる事になるのね。逆に濃い目好きな監督は、全然似て無いじゃんきつね色に・・・となると、いらない

って事になりがち。この両者の違いは、その犬の特徴である色を自分の好みで使うか?落すか?になってしまうと、薄味の人は一番大事なエースを捨ててしまうし、逆に濃い目が好きな人は多く使えるのだから、似ている方向になる。

がしかし、その後の補強選手の時に、薄味ってだけで幅広く選べる事で、非常にバリエーションに富んだ補強が出来る。けれど、逆に濃い目好きな人は、エースに頼り切りになり、それを多用するが故に、似た色にはなるが、補強が無い分、

のっぺりした感じになってしまうのね。そこで、薄味な人には10点きつねを少しでも良いから使えないか?のアドバイスになり、濃い目の人には、薄いタイルを何色か使えないか?のアドバイスになる。ここが大きな違いなのね。

後はどの程度、受け入れられるか?なんで、そもそもが薄味好きは、ほっといても薄味補強はするし、濃い目の人も、ほっといても、10点エースはバリバリ使うのね。つまりお互いに好きじゃ無い側をどれだけ受け入れられるか?になるのね。

同じ色数しか無いのに、大きく変わるのはこんな理由からなのね。それと大きく言えば、絵画ならそっくり色を作る事が技術の1つになるが、モザイクはある中から選ぶ・・・になる。でも普段から色選びみたいに選ばないって教えている。

矛盾に聞こえるが、そっくり色は永遠に見つからないから。それが理由なのね。どうせ、あったり無かったりの繰返し。だから絵画と同じ考え方で作ろうとすると、つまづくのね。そっくり・・・この考え方は捨てた方が良いのね。

モザイクで作るのなら、絵画には出来ない・・・そんな考え方をした方が良いのね。そうね、例えがかなり変だけれど、野菜が高騰したりすると、休めな野菜に置き換えて作ったりするでしょ?ここまでの考え方は普通にある事なのね。

でも見た目の色は合ってても、必ずしも触感や味となると、安定した値段になったら元に戻す時点で、単なる臨時起用みたいな感覚でしょ?それが、サッカーやってた人が、ボールを持って走った・・・って事がきっかけでラクビーになった。

この場合、元に戻す所か、もう1つの競技として成立している。こんな考え方なら、いっそその野菜にあった具に全部切り替える・・・なんて事が出来たのなら、そのレシピは永遠となるんだろうね・・・臨時では無くてね。

元に戻って、つまり似たのがあった色はたまたまであって、全部では無い。なのにいつも高騰野菜の代わりみたいな選び方をしていては、限界がある。そうでは無くて、輪郭としての形はそっくりであっても、塗り絵のように自由って感覚。

そして仮に似ているって言うものが作りたかったら、風味とか、もどきとかを目指すと良いのね。そんな感覚で。そこで提案したのは1cmタイルでは珍しい窯変って言う、モヤモヤとした単色では無いタイルがあって、割と似ている感じ。

当然厳密にウチの犬って作りたい人には向かないが、雰囲気はとても良くなるし、絵画には無い仕上りになるだろうね・・きっと。一応保留して今日は眼の続き。何か雰囲気出て来たのね。そんな後は、空の湯の下絵の追加。

この鳥の後ろに何か?・・・って言うのと、

この模様の上に何か?を探しているのね・・・未だ見つからず・・・未だの未が未確認の未だから、UFOかぁって言いたい位、思い付かない・・・。


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空の湯の銘木引き取りと下絵の直し

2020-09-19 07:31:25 | 打ち合わせ

今日はいよいよ空の湯の下絵をお見せして、下地になる銘木の引き取りで成田へ・・・。まぁ2時間見れば間違いないだろうと出発するも、いきなり渋滞で、まさか・・・と思ったけれど、最初だけで後はすんなり。逆に時間が余り過ぎて、

朝ご飯も食べられたのね。そんなこんなで下絵をお見せすると、ジェットエンジン部分と後ろのハネの形の是正はあったものの、カメ飛行機の方はすんなり通ったのね。ただ鶴の飛行機の方に違和感を感じたらしく・・・。

そもそもカメ飛行機は実際にハワイに飛んでいる事もあり、条件が揃っていて描きやすかったが、鶴の方は最初、カメがハワイから帰って来て、鶴は日本から飛び立つって感じに1つの絵に2機飛んでいたのね。ただ実際に向い合せにすると、

ガメラ対ギャオスみたいになっちゃって、その時に女湯と男湯を別々にすれば・・・とかぐやの提案でハワイに飛んで行くカメ飛行機は割とスマートに決まったんだけれど、じゃ鶴は何処へ飛んで行く?となった時、色んな所にしようと、

最初は世界の名所なんてシンプルに思ったが、誰でもそう思うだろうな・・・と普通な事を消したのね。更に国旗、模様と色々やったけれど、結局主要な誰でも知っている国って順番に選ぶと、G7かっ・・・みたいになって、また普通・・・

もっとそう言うくくりじゃ無くて、何これ?って感じが欲しかったのね・・・俺が選ばなくても判ってしまう世界感じゃ無くて、何くくりこれ?みたいな・・・そこで出て来たのが古代の・・・って言うマークや形。これなら何処の国みたいな

くくりが判りづらいし、奇妙な感じも出るので、何これ?って事にも繋がるだろう・・・ってね。ここで何で、何これ?にこだわったか?って言うと、最初の先方から送られて来たのが、こけし飛行機だったのね・・・とても斬新。

そもそも社長さんって偉い人が、こけし飛行機を例として送るって、かなり攻めた提案が欲しいんだろうなと伺えた。だからハワイのカメ飛行機は普通に送りバント的にやったが、鶴はもっと大胆に攻めようと思ったのね・・・。

なるべく普通にならないようにね。所が社長さんは見るなり、鶴いらなくない?・・・って。えっ?でも鶴亀って揃えるのは先日の決まりだったし・・・と思ったら、ナスカの地上絵の鳥見て、これ鶴に見えない?って・・・。

鶴にするには首を長くしないと・・・って話で、要するに社長さんは可愛い鶴の飛行機と古代の行き先の絵が、同じ場所に違和感過ぎるって事らしいのね。俺はその違和感に何これ?って思って貰いたかったのね。

つまり言い方を変えれば、まるちゃんとゴルゴ13が一緒にいるみたいな・・・かなり攻めたつもりだったのね。それと、2つ揃うのはお披露目の時だけなんだけれど、全日空と日航って言う時に、同じ位の大きさで好みはあれど、

同じ様なキャラがあった方が・・・と考えたのね。つまり行き先のみが違うみたいに。更に言えば女子の方は花があった方が良いだろうし、男子は生き物とか・・・ってあれこれ考えた中、こうなったのね。ただキャラを無くすってね。

そこまで攻めるかぁ・・・つまりお披露目で2つ並べても、説明無しでは、きっと鶴飛行機は見つかりづらい。つまり隠れキャラと言う考え方になる。2つの飛行機会社を同じようなスペースで同じようなデザインでって言うのは、守りに

行ったかな?・・・ただね、社長さんにも言ったんだけれど、これでも結構攻めたつもりだったんですが、中々普通はここまで攻める提案を好きな方は少ないし、何処まで行けるのか?って事になると、落し所を探しながらやりました・・・

って。すると、この下絵があるから、そう思ったんですよ・・・って笑っていたんだけれど、まぁ何はともあれ、打ち合わせも終わって、またお風呂を頂いて・・・アトリエに戻って、鶴の方の変更部分の手直し。

何せ60cmの鶴がいなくなるのだから、全体に広げると余白が出来るから、パーツを分解して拡大するも、30cm程度の幅の銘木・・・余り広げるとはみ出しちゃうし・・・そんな中、1つ追加となったのは、空の湯のマーク。

これでいくらか余白を埋められたが、ん・・・もう1つ欲しいかな?って感じ。


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大人ハロウィン完成と空の湯前夜

2020-09-17 21:48:40 | モザイク作家

今日は大人ハロウィンの残りを張る事スタート・・・唇はガラスタイルで・・・と考えていたが、ただ赤って言うのも安易で・・・そこでここぞって時に気に入っているガラスタイルがあって、微妙にマーブルなのね。

それが微妙に怖い感じにも見えて・・・・・・眼の時より悩まずすんなり逃げ切ったんで、後は時間が解決。それとちょっとだけ解説すると、髪の毛は綺麗にキチンと揃えたけれど、クモの巣はレロレロって感じにきちんと切らなかった。

それで違いが大きく変わるのね。メリハリって点では、いつもちゃんと・・・ってもんじゃない事の変化の違いを見て貰いたいのと、切れるようになった人は、わざとストライクじゃなくてボールも効果的に投げる・・・って事なのね。

そんな中、オードリーから連絡が入って、みらいコープの広告を見た・・・って。奴は埼玉だから、機会があったんだね・・・まぁ集まると良いんだけれど・・・こればっかりはね。さてそんなこんなで目地をして完成したのね。

それで明日、いよいよ空の湯に下絵を見せつつ、銘木を引き取りに行くのね・・・その時に輪郭だけの仕上がりって参考にこれを持って行こうと思っていたのね。だから丁度良く間に合ったのね。後は何しろ明日・・・。


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高洲のサークルと大人のハロウィン

2020-09-17 07:45:50 | 高州のサークル

今日は高洲のサークルの日。久し振りにナオミぃぃが参加。正直いつ以来なんだろうか?・・・って位なんで、何やってたっけ?って感じだったが、下地を見てあぁそれかぁ・・・って思い出したのね。そんな中、始まるとガラスタイル・・・。

しかも文字も・・・大丈夫かな?とも思ったのね。ただ思っていたよりも上手いのね。手慣れているって言うか、切り方って言うか、カッコが様になっているから、失敗する方向では無いな・・・と判断して、1つだけアドバイス。

そもそもガラスタイルの素材の特徴って話。タイルは照りなどが特徴な位、インパクトがあり、主張するって方向になるのね。所がガラスタイルは透き通る・・・なんて表現をするのなら、主張しない感じになるのね。勿論色によっても、

変わって来るけれどね。じゃ例えば文字に使っている色は?となると、白っぽいものね。白っぽいってどんな感じ?今日もまた、感じ・・・の話なんだけれど、そんなに主張する色じゃ無いのね。その主張しないガラスタイルを4分の1に切って

いる・・・そんな感じね。今切らなければ2cmくらいある大きさを4分の1にする・・・これをまた文章にして説明すると、そのままの大きさでも主張しない白っぽいガラスタイルを4分の1に切っている・・・になるのね。

なんか薄味方向に向かっている感じがするでしょ?つまり小さくし過ぎると持ち味がそがれる感じになるのね。と言う事はいくらか長めに取れると、例えば3分の1とか2分の1とかになれば、4分の1よりも威力は増すでしょ?何せただでさえ薄い。

それと、切る事が上手くなった・・・ここに落とし穴もあるのね。ナオミぃぃは予定調和が大好きなのね。ついつい揃えてしまう癖がある。そう言う性格の人に切る事が上手くなったって技術が乗っかれば、きちんとちゃんと4分の1って

やってしまうのね・・・しかも無意識で。そもそもの話なんだけれど、ここにアロハって彫ってあるのね。って事は、これどんな感じに仕上げれば良いと思う?・・・また、感じの話。恐らく民芸品みたいな・・・って雰囲気だと思う。

じゃまた金平糖の歌の話。ハワイの民芸品ってどんな感じ?機械じゃ無くて手作り、手作りってどんな感じ?・・・少しランダムな感じじゃないのかな?・・・ほらまた出た・・・ランダムって揃ってない感じがしない?でもね、揃っちゃう

のね。だって上手くなっちゃったから・・・もしこれが野球だったら?凄いコントロールの良いピッチャーが必ずストライク投げるか?って言ったら、わざとボールになっても良い球を投げたりするのね。しかも全力じゃない玉もね。

緩急なんて差、ストライクとボールの微妙な差、そこに変化球・・・いつも、誰にでも、同じ配球はしないのね。つまり上手くなったら・・・ここの上手いは切る事や張る事の事ね。そしたら、何を相手にしているか?を考えるのね。

ただ上手くなると、ピッタリとかキッチリしたくなるのね。何せ出来るから。しかも上手くなった人に少しルーズに・・・って言っても、今度は性格もあるのね。例えばまっ良いか・・・と大ざっぱ寄りの人なら、良いの?って事で、

全部ザックリ行こうとする。だったら目地幅位合わせれば・・・とか、文字の外側だけはピッタリ切れば・・・とか、四角にしないでいびつ角形・・・つまりランダムにすれば・・・とか、ルーズになり過ぎないアドバイスになる。

所がそもそもナオミぃぃ。揃っちゃうのね。だからアドバイスはなるべく揃わない様に・・・になる。それとね、そう言いたくなるもう1つの要素は、民芸品ってどちらかと言うと、派手な感じがしない?もっとポップって感じ・・・。

なのにかなり抑えた色合い・・・そこにきちんと切ったパーツが入れば、完全フォーマルになっちゃうのね。もっとルーズに・・・大体、ナオミぃぃは薄味だから、色は変えられないだろうから、責めて形で冒険しないと・・・。

今度はキウイ。もう切る事なんて教える事は無いし・・・となると、アドバイスは色。勿論本人の好きな色のピンクをダメ出しするつもりは無いけれど、好きなピンクだらけ・・・になっているから、花がごちゃごちゃして来たのね。

良く女の人が使う差し色なんて言葉を使えば、ピンクでピンクを引き立たせようって言うのは難しい・・・だから違う色で、よりピンクをピンクに見せたい・・・ってテクニック。さっきの野球なら、ボールとストライクの境目ばかり。

もっとハッキリとボールと判る玉がメリハリとして欲しいのね。それが差し色って役目なら、ここの中の色なら、緑の葉っぱは威力がある。こうした色があるか?無いか?では、感じが変わって来るのね。俺は足りない感じがするのね。

ここでタピオカ。キウイと同じように切る事に教える事は無いのね。しかも先日のさくらの指導の話で出て来たように、更に言えばナオミぃぃのも一緒で、ガラスタイルを使っているのね。彫った下地ならそこに入れるって事になる。

でもこうしてタピオカやさくらの作品のように、彫っていない場合、主要の線を紺のタイルであっちこっち張ってから、その中身をガラスタイルで入れる・・・って順番は、彫ってある下地と何ら変わりない事になるのね。

しかもタピオカはその上の意味も判っていて、私のガラスタイルの部分は、同じようなラインが続くんだけれど、ナオミぃぃのは、クルンってカーブがいっぱいあるから難しいよ・・・って。流石なのね。そう言う点では、4分の1の形で

始めたのは安全ではあるのね。でも、でもなのね・・・もっと攻めようって話。上手くなったんだから・・・。

んで最後にキョンキョン。段々後半になって来たから、バックを意識し始めたのね・・・そっと見てたら、ベージュのタイルを持ったから、慌ててアドバイスになったんだけれど・・・。例えば安心安全なら、余白に手慣れたひまわりを

作って、後はバック・・・って入れば良いのね。でもそれはあくまで安心安全な終わり方なのね。ここでもう一工夫って言う事になると、アドバイスとしては、これが最後の作品じゃ無いのなら?もっと攻める考え方もある。

それは音楽なら転調的な・・・。今までとは違う何か?雰囲気をガラッと変える何か?例えば、みにくいアヒルの子的な場合なら、枯れかけたひまわり・・・とか、つぼみや、影だけのとか・・・って言うなら、余り変えないのだから、

AとA`くらいの差って事になる。所が同じ色として統一して置いて、ハチとか入れると、今までに無い生き物って新展開になる。でも色が同じだけに、大きくは変わらない。これが同じ生き物でも同化させたカマキリなら、ホラーチックに

なるし、動きの無いアップリケ的な作品が動いたりする。こんな話になったのは、例えば予定調和と言うのなら、安全安心になるのだけれど、その時に完成した作品はどんな感じの表現になる?って話になると、カッコ良くしたいな・・・

って、ここの人達には一切出て来ない表現が出たのね。例えば、可愛いとかお洒落とか、綺麗とかこんな言葉が蔓延している中に、カッコイイって・・・男風味な言葉。まぁそうなると、バックはあんな感じになるだろうな・・・を予測

出来るので、キョンキョンが思う以上に可愛さを入れとくと良いと思ったのね。ちなみにバックは紺を選んだんだけれどね・・・だよね、そう来るよね、なら上絵の紺とスパイス的に少し黒入れて・・・そうするとグッと男風味になる。

ただそれだと男風味が強くなり過ぎるだろうから、隠れキャラ的に同じ色で生き物を入れたりすると、色で誤魔化された人には判らない・・・って事にもなる。そんな事でハチになったのね。もし嫌じゃ無ければ、3匹が良いんだけれど。

確か家族3人だったから・・・。こんなアドバイスの中でもっと大きなくくりで考えると、ついつい大人感覚で、安心安全の予定調和でやって行くと、普通になりがちなのね。でもそれじゃ新しいものは生まれない。だから常に攻める。

でもね、良い事と悪い事は背中合わせ。攻撃は最大の防御なりとは言うけれど、サッカーならカウンターを喰らう事になる訳で。じゃそんな事を踏まえた時、キョンキョンは今までどうして来た?きちんと予定調和して来たのね。

だからこそ、今まで守って来たのだから、後半に攻撃を仕掛ける・・・しかも絶対ここのみんなが使わない紺なんて、かなりの冒険だし、個性的であるのね。ただとは言え、女の人なのね・・・男っぽいって雰囲気が好きであっても、

男じゃ無いのね。勿論、しかもそのバックで十分個性的にもなるし、問題は無い攻め方でもあるのだけれど、今後も男っぽい・・・ってテイストが出て来るのなら、みんながやりそうでやらない事をすると、より個性的なのかもね・・・

もしこんな終わり方になるのなら?最後の最後にキョンキョンの怒涛の攻撃が始まる・・・って感じなのね。まぁ楽しみなのね。そんなこんな後は、大人のハロウィン。

ここはお遊びも大きく含んでいるので、見せるって前提で、髪の毛を作ったんだけれど、例えば下から上に向かって薄くしたのね・・・全部。同じように予定調和にしたいのなら、ルール通りに全部同じくすれば普通に美しいのね。

でももっと大きな作品になると、その予定調和を崩すと、混ざって見えたりもするのね・・・離れて見た時に。そして更に仮に薄いだけの髪の毛や濃いのを入れたとすると、更に影にも見える。ナオミぃぃのはこの紺の濃いのが無いのね

・・・だから薄味になってしまうのね。この場合、赤い血にばかり目が行かないように、濃い紺を増やしているのね。赤ばかり見られると、気持ち悪さばかり目立っちゃうからね。それともう少し考えるべきだったのは鼻なのね。

本来ならシュっと鼻筋が通っていて、小鼻ってしたい所だったんだけれど、右目の子供に見える方の鼻にも見えるようにすると、余り大人よりの小鼻にしちゃうと、子供に合わなくなっちゃうかな?ってこうなったんだけれど、綺麗さを

若干失っちゃったな・・・が本音なのね。まぁでも、空の湯の説明にも使えるし、こうしてサークルのアドバイスにも使えるから、単なる遊びでも無いのね。まっこう言う作品の捨て石としては、まずまずな1作目になっているような・・

ここから発展的な事に繋げるやり方の1つでもあったりするのね。やって見た事の無い事は、リスクも伴うものでね。これもただでは転ばないように・・・の練習。


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大人向けのハロウィン作品

2020-09-15 22:53:57 | モザイク作家

今日は丸々大人向きのハロウィン作品。ただ朝見た時に、左の眼が余り良く無くて、それと髪が薄いって言うか、ボリュームが無いって言うか、もっと欲しくなって、追加で彫る事にしたのね。それと左目の張り直し・・・。

これが一応、空の湯の練習になる・・・って事なんだけれどね。結果としてどの程度の仕上がりに見えるのか?になるから、結構良い参考になると思うのね。それと掛かる時間も判りそうだし・・・。


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さくらとリピータ―さん教室とハロウィンの作品

2020-09-15 07:32:10 | モザイク教室

今日はさくらとリピータ―さんの教室。まずはさくらから・・・来るなり今日は考える事は無理って言うのね。こうして自分の事を語れば、じゃこうすれば・・・ってアドバイスが出来るのね。ただ問題はそれが受け入れられるかどうか?

例えば考える事は無理・・・ってどんな感じか?って言うと、料理なら肉じゃがを作るって事で、創作料理を作る日じゃ無いって言っているようなものだったり、野球なら単なるノックの玉を必死で取るとか、素振りをするとかであって、連携

プレーって言って他の人とこんな時はこうする、こんな時はこう・・・みたいな打ち合わせをしつつ、確認する練習では考えないとならなくなる。こうして説明すると簡単に理解は出来るだろうが、ではこれを音楽だとすると、楽譜通り

に弾く事は考えなくて良いが、仮にソロなんて任されたとしたら、そこは自由な場所・・・バンドを友達と組んでいたら、その持ち時間に素敵なパフォーマンスを考えないとならない。こうしたモザイクに一切関係の無い説明をした時

に、例えばさくらの場合、そう言う責任を負うような事は遠慮する・・・みたいな事を言ったりするのね。そもそもここが失敗に繋がる第一歩なのね。実は・・・ね。そもそも例えば・・・の話は第三者としてそう思うか?思わないか?を

感じるか?どうか?のリトマス試験紙的なもので、感じれば次の話に・・・であって、人それぞれだし・・・みたいな曖昧な反応は責任逃れか、そんな事は無い・・・って否定したいが、先生との和を保つ為に一概には言えないと、やんわ

り否定みたいな使い方の表現だったりするのね。じゃそれを踏まえてどうなって行くか?まず考えたくない・・・それはさくら発信の話なんだから、そうしないで済めば良いだけ。でも折角来たのだから進みたい・・・それも前向きで良い

と思うのね。ここまでに崩れる言葉は何1つ無いのだけれど、・・・そう、けれどね。けれどは、ここからが本音。じゃ、言葉が増えたから、考えたくないけれど前向きに進めたい・・・になる。じゃそうすれば良い。そうなる為にどう

する?普通は何処からやれば良いですか?・・・この質問だろうね。でもさくらはそうじゃ無いのね。聞けば必ず不自由になるし、言われた所で出来ない・・・何しろ考えたく無いのだから・・・と、かたくなになるのね。つまり初めの1歩

を拒む事になる。数字で言うなら最初の1歩無しで、2歩目以降から始める事になる。何故2歩と言わないのか?って言うのは、そこは5歩目かも知れないし、7歩目かも知れない。ただ1歩目じゃ無いだけなのだから。

しかも2歩目以降から始めた事を気が付かずに。それでも最初に触れた話を理解していたのなら、素振り的な事をすれば良いだけ。つまりモザイクでは切るだけになる。これなら失敗しても張っていないし、失敗があっても切り直せば良い

から是正も出来る。これは口が酸っぱくなるほど言っている事・・・でも恐らく見なくてもそうはしない。何故なら、切るだけは本当に辛い時に取って置きたいから、今日は考えなくて良い事を進みたい・・・さくらの中で、進むイコー

ル張るだから、張らなきゃ・・・って、きっと思い込んでいるだろうから。理由も言葉通り。つまり自分で始めて、自分が困ったと思う所になるまで聞く事は無い・・とこんな所。でもね、最初の1歩を聞かないで、自分で1歩目では無く2

歩目以降から始めて、自分がつまづいたと思ったら聞く・・・この文章で成功する気がする?恐らく失敗するだろうな・・・って方向だと思うのね。本来そんな時こそ、絶対に最初の1歩を受け入れるべきなんだけれど・・・。これは深みにはまる典型的な例だと思うのね。では一体何が?そう感じさせるか?では俺のハロウィンを見て貰うと・・・

内容や好みかどうか?なんてどうでも良いのね。これは輪郭線が彫ってある下地。じゃこれをやってって言ったら、何処からやる?今のさくらのように、考えたく無いのなら、髪の毛なんて良いんじゃないのかな?じゃ逆に辞めとく場所は?

眼と口。何故ならスペースが広いから、切り方1つで雰囲気が変わるから、考えないとならないから。だってさくらは考えたく無いんだもんね。ここで感の良い人なら判るんだけれど、一体今のさくら作品とこの作品の大きな違いは何?

それは彫ってあるか?無いか?になるのね。じゃ彫ってあるのと無いのの違いは?何?・・・最初の話を受け入れた人なら、俺のは規定演技だから、彫られた通りの幅で、自由な部分のソロは眼と口。って事になる。あっ、クモの体もね。

でもさくらの作品は?って言うと、線は描き込んであるけれど、彫ったものとは違うから、はみ出しても、痩せてても、自分の眼で判断しないとならないのね。つまり眼が肥えないとならない・・・取り締まる眼をね。

しかも眼は考えるのでは無く、感じる・・・って何度も言っている。感じない人では無理なのね。ただね、さくらが感じ無い人か?って言うと、逆でかなり過敏に反応すると思うし、ただ過敏であるが故の曖昧さは防御なんだろうが・・・

話を戻して、では仮にさくらの作品も彫る下地にしたとする。それなら条件は一緒になる。じゃ何故一緒になった?ここね・・・今、俺が条件は一緒になる・・・って言ったから、つられちゃった場合なら、えっ?って事になるし、当たり前

じゃん・・・だって彫った同士の下地だからって答えられる人もいると思うのね。でもきっとさくらは、えっ?の人。ただ答えを聞きたい訳じゃ無いのね。どんな反応をするか?なのね。そこで本気な人は、向き合い上手だから、後は受け入れられるかどうか?になる。でも、こんな話モザイクに関係無いって人は、何も入って来ないだろうね・・・。

でもね、これならどうだろうか?彫ってあるかどうか?では無くて、彫っていても彫っていなくても一緒なのね。自分の眼がきちんと取り締まる事が出来るのなら。これが答えっぽい事なんだけれど、彫ってあるからアテにする。となる

と、彫って無いからアテにするものが無い・・・になる。理屈とは常にこんな事なのね。つまり彫っていないのなら、彫ってあるようにすれば良いだけ。そしてそれは何故?どうして?って事になる。考えるって言うのはその繰り返しなの

ね。では何故、彫ってあると考えずに済んで、彫ってないと考えないとならない・・・みたいな事になるか?って言うのは、彫ってあると自由にならないし、細過ぎれば簡単に入るし、太ければ入らない。当たり前の事。でも彫っていない

線は自分の眼の判断1つで、太くても、細くても大体OKって人は、大体OKの作品になるし、必要以上に自分の切る技量以上に眼が肥えると、自分否定のパーツだらけになり、失敗の連続で進めなくなる。こんな違いがある。

そこで、彫っていないから、俺の作品のようにここから・・・って目安の場所が無いって言うのなら、まるで彫ってあるかのごとく・・・となれば良いのだから、線の描いてある主要な線だけ、しかも同じ色の箇所だけやれば、まるで

彫ってある俺の作品のようになるんじゃないのかな?それなのに、考えたく無いと言いつつ、几帳面で真っすぐな人って言うのは、すぐに1.2.3.・・・って順番にとらわれちゃうのね。だからここからやって、ここを片付けて・・そして、

丁度良いとか、区切りがとか・・・こんな言葉が大好き。でもね、こんな人が覚えている悪魔のつぶやきの指導があるのね・・・それは初心者の人に、隣り合わせのパーツを順番に張ると良いよ・・・これね。こんな事を忘れないのね。

何故ならさくらは、自分の事を下に置く癖が抜けないから・・・では新しい言葉が出て来たから、今のさくらをまとめると、調子が悪いから考えたく無いし、でも折角来たから進みたい、でも進みたいけど、パーツ切りは自宅でも出来るし、進む事イコール張る事だから、張りたい。でも、側に居られて見られると緊張するし、何か言われても出来ないし

・・・だから困ったら呼ぶから離れてて・・・そして困った。だから、説明をすると、でも隣り合わせにって言ってたじゃん・・・確かにね。初心者にね・・・でも、左程変わらない・・・って自分を下にして、受け入れない。

もはや堂々巡りになるのね。だからこうしていちいち文字に残す。読もうが読むまいが、残せば俺が忘れても戻って読む事が出来るはず。だから残す。そもそも悩みが起こる原因は何?そしてどうして彫ってあると有利なの?ここ。

ここさえ判れば、意識が変わる。意識さえ変われば、勝手に行動は変わるから、行動が変われば結果も変わるものなのね・・・ではその意識を変える。そもそも繊細にしようとしたから、線はあれこれ増えた。増えた事で複雑で、描いた

本人も判りづらくなっている。所が彫ってある下地はそこに入れるだけ。しかも複雑な線はほぼ無い。ここが大きな違いなのね。つまり主要な線を、まるで彫ってあるかのごとく、張って行けば張ってある下地のようになる。

所が自分を下にすると、初心者の指導が頭に残る・・・隣り合わせに張ると良いよ・・・だから順番に張りたくなる。じゃどれが1なの?順番って・・・だから悩む。だって考えたく無いんでしょ?・・・自分で自分の首を絞める事になる。

でもその意識は無く、場合に寄っては、たださくらの言っている事をまとめただけで、何1つ指導をしていないのに、あたかも俺に絞められているように思ったりする・・・それは自分と向き合っているのに。気付かずに・・・。

何事も意識なのね。考えたく無いのなら、感じる事だね・・・ただ感じるって言うのは、五感を磨かないと、って言うのは眼が見えないのに歩くようなものなのね・・・。しかも感。余程磨かないと偶然みたいなものになる。

それを必然にする為に意識する。おっと話を戻して、彫ってあるからとか、彫って無いからとかって、眼に見える事の判断で決めないで、眼に見えない事の違いが判れば良いのね。それと本当の自分の技量や自分の体調や気持ち・・・

こんな事が作り手って左右しちゃうのね。何せ人だから・・・感情の生き物だし。それを上手く使って感性なんて表現に繋げたい訳で。これでさくらには伝わるのかな?それと一般的に説明すれば、要するに自由は不自由なのねって話。

自由は自由じゃん・・・って人は、そのままお進み下さいなのね。でも自由は不自由って何で?って興味が沸いた人は、俺の作品に自由なんて色だけだよ・・・形はそんなに変わらないでしょ?じゃ不自由だよね。でもさくらのようにバック

がある作品は?ほら白い余白の部分がいっぱいあるよね?そこは自由だよ・・・好きにやれば・・・えっ?自由にって・・・ほら不自由になった。つまり決まりって言うのは考えなくて良くて遂行。まっ、マニュアルって話。

でも自由はそんなものは無いのね。だから考えなきゃ・・・だから難しいし不自由。それを踏まえてもし俺の作品がさくらのような彫っていない作品だったら?こうした輪郭線を終えてから、顔のラインや髪の毛を付け足して行けば良いと

思うのね。それをやっているのは、高洲のタピオカね。あぁなるのね。きちんと見ていれば、いくらでも盗めるのね。つまり余白の自由に困るのなら、いかに主要な線をどんどん埋めて、窮屈な余白を作るか?だろうね。その不自由の先に

自由が待っているから・・・こんな事が似合っているのは、俺とかタピオカとかさくらとか・・・自由が苦手な人達の場合だろうが、こうして例をあげると、私なんか・・・とさくらは下がるだろうが、腕なんて話はしていないのね。

ただ自由が不自由に感じる奴ってくくりだから。もしさくらが、だね・・・って言えるようになるのなら、もっと言えば、タピオカの前で言えるのなら、何か変われる気もするんだけれど・・・。鎧のようにとか、頑固な汚れやシミとか

表現はどれでも一緒なんだけれど、今まで積み上げて来た考え方を大きく崩すのは難しいけれど、何かを変えないと何も変えられないし、変わったでしょ?って自分で変わった事を主張しても、一生懸命やったとか、頑張ったとかと同じで

、それは一生懸命やってるね・・・とか、頑張ったね・・・のように、人の判断の方が良いのかも知れないし、逆に自分で判断出来る正しい眼を持たないと、果たしてそれは合っているの?って事になる。目利きとしての眼は欲しいし、で

も眼が肥えると、その眼に応えたい自分の技術が欲しくなる・・・作り手とは強欲なモノなのね。いずれにせよ、今日はドツボな感じなんで、割とそっとした分、こんな事が言いたかったんだけれど・・・。

さてそれではリピータ―さん。

ここも思い込みって点では、輪郭のパーツの難しさね。輪郭って真っすぐじゃ無い・・・って思うのね。だからつい1枚のパーツで丸く切ろうとしてしまうのね。そうなると3段腹みたいになっちゃうのね。違う違う、目指すのはリンゴっ腹

だから、なだらかな丘みたいにならないと・・・それには全体で丸くなんで、1枚1枚は直線にかなり近いものになるのね。それとほぼ1色に近い顔の色。それでは意識が薄いと何でも良いから埋めるになりがち。違うのね。

だから文字にするのね。額は?鼻は?ホッペは?なんて表現するって?その時に、額はツルッとか、鼻はシュッとか、ほっぺは出っ張っているとか、何か感じた事を口にするのね・・・そしたらそう見える為にはどう切れば良いのか?

って考えるのね。その時に、鼻が判りやすいから説明すると、シュッって何?鼻筋が通っていて・・・とかって感じでしょ?それを横に太ったお団子のパーツで切って見える?でしょ?色が同じなら形を部位ごと変化させなきゃ・・・なのね。

そうやって見ると、苦労しつつ頑張っているのね。しかも雰囲気出て来たしね。


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ちょっと休憩してハロウィン作品

2020-09-14 07:32:19 | モザイク作家

今日はお教室も無く、更にサンプルや下地も終わって一段落って感じ・・・と言う訳で、空の湯に入るまで休憩って時間になったんで、それじゃ・・・と何か作ろうかな?と自由作品って事になるんだけれど、いつもなら販売小物とかで、すぐ

辞められそうな事を選んだりしていたが、いつもならこのハロウィン前にこんな余裕があるなんて事が無かったんで、これは・・・とやって見たい事があったのね・・・いつか・・・ねって。それがこれ。数年前に描いた絵なんだけれど、

いつもならお教室を意識して、可愛いハロウィン・・・なんて事をやったり、少しだけ怖いテイストを入れたりしていたんだけれど、本気の怖い感じのは作った事が無かったので、作家としてのハロウィンをやって見たかったのね。

それは昔、アナンって飯田譲治さんの本の中に、お化けみたいなモザイク・・・って言うのが出て来て、それを作った事があるのね。本当に駆け出しの頃に。そんな事知っている人はあんまりいないだろうけれど・・・。

ちなみに今はティーアートさんにあるんだけれどね。そうね、90cmくらいの大きさだったのね。しかも1cmタイルの大きさを余り切らずに作ったし、四角い下地で作るから、バックの量も多かったのね。あれから相当経って今は腕も知恵も、

あの時とは違っていて、限られた時間の中で作るには?・・・みたいな事にも対応するには?・・いつも四角い下地で、いつも同じスタイルのやり方って事では、対応出来ないので、そんな事も受けられるってアイデアが木を彫るスタイル。

そんな事にたどり着いて・・・色んな事を試してやっては来たんだけれどね。銘木のスタイルの作品だったり、イベントのオーナメントだったり・・・でも銘木の金魚の作品みたいなものは、ある意味規定演技で、似ているを目指した。

逆にオーナメントでは、いかにデフォルメして、その生き物に見える様に、しかも初心者にも出来るように・・・と工夫もしたのね。だからオリジナルと言うのであれば、どちらもオリジナルであっても、後者は自由演技だったのね。

まぁいつも同じ話になるんだけれど、どちらも彫るって事なら一緒なのね。でも内容が全く違っていて、規定演技は似ている・・・を目指して、自由演技は自分にしか描けない絵・・・そんな違いがある。

それを踏まえて、規定演技の銘木では色んな事をやって来たけれど、それと比較すると自由演技としての自分にしか描けない絵・・・と比較すると見劣りすると思うのね。彫る事も張る事も同じ腕であり、要するに両者共に下絵の問題。

つまりデッサン力。ただ無いは無いなりに、似ているって規定演技は考える必要が無い分、練習で何とかなる事もあるが、自由演技の自由は、考えないとならないのね。登場するキャラをね・・・自分の。これが難しいのね。

それが花かも知れないし、人かも知れないし、生き物かも知れないし、文字かも知れない・・・。って言うと、そろそろ気が付く人がいるだろうけれど、そうなのね、空の湯の前の練習なのね。一体どの程度のグレードになるのか?って。

そのグレードの良し悪しを決める1つが、今回は輪郭線なのね。例えば昔の漫画は、極端に言うとペンで仕上げをしたのね。手書きだから。その時に少女漫画の作家さんは丸ペンって言ったかな?とても細いペンで描いていたのね。

逆に少年漫画の作家さんはGペンと言って、万年筆のような筆圧で太くも細くもなったが、丸ペン程は繊細にはならなかった・・・と、しとこう。内容はともかく、ペンの選択で大きく変わったものなのね。それがアニメでは?

いつしか機械で描くようになって、筆圧に影響が無く、どのアシスタントであっても同じ太さになって、良い意味では安定したのね。それはまるで浮世絵の版画の黒の輪郭のようにね。ただ個性的では無くなったと思うのね。

恐らくその後、その安定した輪郭線を太くしたりして、他とは違う・・・って見せたと思うのね。所が先日遅ればせながら見た、鬼滅の刃・・・その輪郭線の個性的な事。まぁ機会が合ったら見て欲しいのは、人の輪郭線がまるで手描き

のように、太かったり細かったりして、筆圧の変化のように見えたり、水を表す絵の荒々しい太い線。こんなのを見た事が無い俺には、これは凄いな・・・と迫力にビックリした。見事な黒の輪郭線の効果。勿論、個人的な主観ね。

しかも別に説明しただけで、評論したい訳でも無く、ただ取り入れたいだけ。果たしてその効果がモザイクで発揮されるかどうか?って。ただいきなり空の湯でやる訳には行かないのね。だからこれで試したいのね・・・。

ただいざやろうとすると、中々踏ん切りが付かず、今の段階ではこんな感じ・・・

彫って見て思うのは、攻めた感じが無いのね・・・どれも同じ太さにしか見えない。もっと攻めないと・・・。

 


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デイサービスやら色々下地とサンプル

2020-09-12 22:59:59 | デイ・サービス

ってタイトルを入れたものの、まぁ色々あって・・・ドタバタ感満載だったのね。まずは何も言われてなかったんだけれど、定期的にその日に入れていたんで、一応連絡すると、今日は来られないとの事。それはそれで特に問題は無く、では

午後のリピータ―さんだけね・・・と確認したんで、下地を切る事にしたのね。そんなこんなで午後の教室までに下地は完成したのね。そこでペンキだオイルだって塗る事にして・・・ただ自力で来る人なんで、待っていれば良いので、

ギリギリまで出来るって判断でやっていたけれど、流石に片付けて・・・とトイレに行く時に、カレンダーを見ると、えっ?・・・送迎ありの人じゃん・・・しかも30分過ぎている・・・ヤバッって慌てて連絡して。でも出ない・・・。

まっ何しろ駅に・・・って慌てて行くもいなくて、しかも連絡も取れず・・・怒って帰っちゃったのかな?って大失態って感じでアトリエに戻ったのね・・・仕方無くまた塗っていた続きをやっていると、連絡が来て、今日じゃ無いですって。

良くカレンダーを見ると、先週の土曜日と今日の間に見えて・・・まっドタバタしたが、大きく迷惑を掛けずに済んだのね。全くお恥ずかしい失態だった。つい最近も曜日を間違えたりして、今週は散々だったのね。ただ理由は大体判る。

恐らく空の湯に緊張しているんだろうね・・・下絵を描いている時は、これで良いのか?と悩み、決まれば決まったで、期待と不安って事になる。そもそもが期待って事なら、健康ランドの規模は来客数も多いし、しかも出来たばかり。

何んとも条件は良い。そんな中、しっかりとした作品に出来たのなら、期待は膨らむ。しかしながら、10数年前に大野荘の仕事は男女の風呂だった訳で・・・あれだけの仕上がりでも期待通りの結果には至っていない・・・。その不安。

しかも、サザンで例えたら、大野荘はおふざけ無しのいとしのエリー的な仕上がり。でも空の湯は、かなり攻めた絵なんで、勝手にシンドバット的な感じ・・・いや、マンピーかな?・・・かなりおふざけ感に見える。

ただ本人的には消して悪いとは思ってはいないが・・・かなり勇気のいる攻め方したんでね。そう言う点では、みらいコープの絵馬は同じように攻めてはいるのね。

年の初めに、ベロ出した牛だよ・・・ただね、これ牛タン食って寝ろ・・・牛になるからって気持ちで描いたのね。ちょっと笑いが欲しいかな?・・・って。コロナでうっとしい思いしているだろうから。見た人が笑うかなって。

ハロウィンの猫は守りに入ったのね・・・逆に。文字を変えれば、ハロウィン感は薄いから、使い回しが利くってね。

ちなみに今月はダンゴを食べてるうさぎ・・・まっ牛より可愛いのね。牛はグロさも入っているからね。けれど、数千円の楽しみ作品と、カメ飛行機作品ではお客さんは何十万って事になる訳で・・・。作り手のこっちのプレッシャーは

大きいのね。自分で提案したもののね・・・緊張って言うか、武者震い的な話。何せ必ずしも作り手が気に入ったものが評価が高いとは限らない訳で・・・モザイクが始まれば、どれも俺の腕で仕上がる訳で・・・。

不安のデザインとは違って、モザイクの技術はどれも一緒なんで、心配はそこには無い。やっと得意な時間が始まる。


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キウイ教室と色んな下地

2020-09-12 07:35:37 | モザイク教室

今日はキウイ教室。ひたすら葉っぱと葉っぱの間の空を入れているのね。もうここまで来ると、隙間って言った方が良いだろう。けど、なのね・・・その微妙な隙間をこれだけの作品を作る人なら、入れる事をお勧めするのね。理由は1つで、

目地にすると楽ではあるけれど、目地の色に左右されてしまうのね。こんな時は数字にすると判りやすいと思うんだけど、例えばタイルがピッタリ張ってあったとすると、ピッタリって言葉はまるでくっついて1枚に見えるステンドみたいな

・・・って表現に聞こえるのね。つまり1cmタイルを切ったパーツの繰返しなのだから、切り口同士がぶつかれば、例えピッタリくっつけても目地が0にはならないのだから1mm.2mmは目地になるって事だよね?じゃこれが限界だとして、逆に

今度は目地幅が広いって何mmまで良いと思う?・・・ここでやった事無いから判らない・・・って人もいるかも知れないけれど、それは嘘なのね。ここで何度も触れている、感じる・・・って話は、出来ようが出来まいが関係無いのね。

しかもみんな誰もが評論家まがいの言葉を発している訳で・・・こっちとあっちはあっちが上手いとか、今日のしょっぱいとか、音外れているねとか・・・自分が出来なくても感じる事はいくらでも出来るもので・・・。

そこで何でも感じようとする事が大事になるもので・・・あえて脱線するのなら、鬼滅の刃って人気漫画があって、遅ればせながら見ているのだけれど、主人公は人一倍鼻が利く。仲間は音に敏感・・・この比喩はまさに感じる話。

他の漫画でもワンピースなら、能力の実を食べる・・・一体何に長けているか?となった時、力とか技とか、少し表現は変わっても、人一倍何か人と違う・・・って事だとしたのなら、繊細さとか敏感みたいな事は能力の1つだったりする。

しかしながら諸刃の刃で、良い事と悪い事は背中合わせで、感じる事が敏感は過敏にもなるだろうし、作り手としては大きな力なんだけれど、日々の生活にはむしろマイナスになる・・・ワンピースなら海賊王になりたいのに水に弱い。

ほぼ有り得ない感じなんだけれど、言っている事はほぼ一緒で、人と違う事を身に付けるって事は普通では無くなるって事になるんだけれど、無抵抗で死ぬ事は無くなったりもする。いずれにしても心技体の技は磨けば良いのだから、

じゃ体は?健康であれば良いし、では心は?・・・普通は何もしないのね。そこの第一歩が感じるであって、意識する事であって、それを感じたら、誰かにそれを伝えるって表現力を養って、性格に伝わったかどうか?になり、それをやる

には、どんな技術が必要なのか?みたいになる。ただこの順番だと、モザイクをやりに来て、小難しいし、何か修業みたいでしょ?だから、じゃ手っ取り早く技から行くかぁ・・・って事になるのね。じゃ切ろうか・・・ってね。

おっと脱線、話を戻して、ピッタリが1.2mmなら開き過ぎっていくつ?これね。例えば、馬鹿馬鹿しいが仮にタイルとタイルの目地幅がタイルと同じに開けたとしたら?1cmタイル、1cm目地、1cmタイルになるのね。こんな事ある?

オセロで考えて見て?黒白黒って順番で、どんな事が起こる?白は黒に取られてしまうでしょ?つまりルールがあれば判りやすく居なくなるから理解しやすいけれど、目地はそこにあるのね・・・しかもオセロならどっちが勝つか判らない。

でもモザイクは?って事になると、絶対にタイルが目地に勝たないとならないと思うのね。だってタイルが見せたいのだから・・・って事は、絶対にタイルが勝つように進めないとならないルールなのね。その時オセロなら自分の色になる

けれど、目地は変わらないまま残る。だからタイルも目地も1cmで同じなんて有り得ない事になる。これで0と10は消えた。目地が無いピッタリ0と目地がタイルと同じ幅10は無いと。なら後は1~9になる。ここで感じる訳ね。

最高の言葉・・・って事は・・・って。って事は・・・1も8も無いんじゃないの?・・・疑う事。でも思い込まずに。ここで性格の問題が発生するのね・・・もし几帳面の側なら、既に5以上なんて有り得ないって事になったりしている。

つまり4以下が正解とね。逆に、まっ良いか・・・こんなもんか・・・って感じの人なら、5くらいは大丈夫なんじゃないの?・・・って感じになる。ただ両者共にその眼は大丈夫?って事なのね。だってこの表現、常連じゃ無くて、初心者

っぽいから。全部自分で決めているもの・・・何でもそうなんだけれど、黄金比ってものがあるのね。でも好みってものもある。薄味が好き、濃い味が好きみたいなね。だから基準ってものがある。比較する為にね。ただ基準が自分・・

そもそも最初から好みなんて言うのは、色の話で、こだわりの話になる。じゃ色の好みがあるなら、形に好みある?って言うと、人の作ったものを買う場合ならその通りだけど、モノ作りって自分で形も整える事になるのね・・・。

だから技が必要になるんだけれど・・・その技の部分って話をこうして文字にして説明すると、数字になるのね。それと技として消去法・・・必ずこれは無いな・・・と根拠で消して行く。その時に好みで消さない事。趣旨に沿っている

か?いないか?って消し方。おっとまた戻して、几帳面の人は4以下、まっ良いかの人は5くらいまでは良いか・・・って感じになったとする。今こうして数字で説明しているから、判りやすいがタイルに数字が書いていないから、眼の判断

になる。その眼が合っているか?・・・ここ。だから眼が肥える・・・為に、この質問の繰返しと、感じる練習を技の習得と一緒にやるのね・・・何度もやると感じる事に慣れるもので、感じる事が出来れば、そうするにはどうするか?

になるのね。でもまたここで好みなんてものが邪魔をする。眼が肥えるって言うのは、正しいと思う事と好みの折り合いを付けている葛藤みたいなものなのね・・・それを言葉にすると、ん・・・何か違う・・・。何かとは何?

この辺にして、じゃキウイは?となると、かなりの上級者。眼も肥えているし、技術もある。先も急がないから、こうして10年近く掛かっている作品を作っていたりもする。こんな人が、後は目地で良いか・・・とは言わない訳で。

でも仮に技術がまだまだの人が、このスタイルでやろうとしても、ピッタリなんて切れないのね。でも眼が肥えて来る・・・上手くなるとか、長けるとか、肥える・・・全部同じ話で、ループして行くのね・・・何でも。

自分の理想と今出来る自分の現実と・・・それがキウイにはもうあんまり無いのね。切れないなんて事がほぼ無いし。ここまで切る事が上手くなった人は・・・今日はそんな話。もう教える事の無くなったバックでは無く、額縁の鳥の話

になり、ピンクにしたい・・・って最初から決めていたって言うのね。確かに湖に薄いピンクの羽が入れてあり、つじつまが合っている。ではピンクの鳥って事になる。じゃどんな鳥?となった時、聞かなくても落ちた羽根は劣化したもの

・・・つまり落ちた羽根よりも濃い色の鳥と言う事になる。ここでもし落ちた羽根と同じ薄い色のタイルにしたら?もはや病気の鳥になる・・・・抜け落ちた意味が判らないから。でも劣化したのなら時間が経っているから本来はそれより

濃い色になる。所がタイルって言うのは混ぜられない。じゃその薄いタイルじゃ無い濃い色は?となると1色しか無く、どちらかを選ぶだけになる。もう最初から決まっている事なのね。当たり前って事は・・・普通って事は・・・。

だから考える。考える前に感じる・・・感じられれば、落ちた羽根よりも濃い色の鳥だなって判るし、判れば、その色だ・・・って事も判る。でもそれは初歩。もっと敏感に過敏に。この鳥は抜けて生え変わってただ色が濃くなっただけ?

飛躍って感じがしないのね・・・単なる子供が大人になった位。もっともっと高みへはばたく・・・って感じだとしたら?そんな話の中、金の羽も入れたい・・・って。確かに光の真ん中に金の羽もある。では言葉で表現すると、

可愛いピンクの濃いマットなタイルに一番神々しく見える金のタイル・・・合う?これ。何かちびっ子にブランドみたいな事になっちゃうのね。だから違うだろうね。それは好きな色で入ろうとするから。好きな色じゃなくて趣旨。

神々しくピンクを使いたい・・・ほら考えてみ・・・ちゃんと。すると、ガラスタイルのピンクに金が入ったのがある・・・って。そうだね、そうすればタイルよりも大人っぽく、より高みにも見える。ただ良い事と悪い事は背中合わせ。

それはガラスタイルは透き通る・・・透き通るって事は・・・目地を入れると若干くすむ事がある。その結果を大人っぽくなったと取るのか?くすんで地味になった・・・と取るか?の判断をやっていないのに決めないとならない訳で。

それが見極める眼になる。人の色んな作品の仕上がりを見て、だとしたら?・・・と判断しないとならないのね。責めるか?守るか?そんな判断になるのね。ただね、色々と言って来たんだけれど、最後の最後にひっくり返す事になるのは、

けどキウイでも、ここまでやって趣味って言う事になるのね・・・けどね、果たしてこれが趣味の作品かどうか?なのね・・・確かに自分では趣味なんだろうけれど、じゃこれって仕上がると何?・・・これは俺が目指している立ち位置が

高まれば、そう言う作り方だったとしても、評価は芸術作品となる事だろう。だとするのなら、キウイが作っていても、キウイの作品であっても、それがその人が趣味と言い放っても、そこにたどり着く作品となる権利があるのなら、

着地をきちんと芸術の評価を受けるべき着地を目指すべきだと思うのね。そうすれば、その時が来れば、何もビックリする事無く、そうなるべきしてそうなっただけなのね。ここまで出来ると破壊力抜群なのね。

そんなこんな後は、色んな下地作り・・・今月分の下地と来月分のデイ・サービスのサンプル、みらいコープのサンプル、それと追加でキウイのハロウィン分・・・何とか彫り終わったのね。

それと空の湯の下絵が通って来週伺う事になったのね。メールの内容的には割と気に入って頂いたようで・・・何より。まっ、ホッとしたのね。

 


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リピータ―さん教室と来月分のデイ・サービスの下絵

2020-09-11 07:31:09 | モザイク教室

今日は午後からリピータ―さん教室。それまでは何しろ来月のデイ・サービスの下絵・・・昨日は結局ハロウィンなのか?そうじゃ無いのか?ってそこまでも決まらずに、不甲斐なく終わってしまい、また仕切り直し。

ただ古いノートに以前描いたカボチャの絵が出て来て・・・それが意外と悪く無く、ちょっと興味があって・・・それではそれをキープしつつ、別のモノって描き出したんだけれど、昨日から猫を描いていたのね。化け猫ってアリかな?って。

今までハロウィンはカボチャ・・・ってやって来たから。ただ良くありがちなのは、こう言うテーマでやると、俺は怖いテイストが強くなりがちになるのね。だからそこを意識して描いていると、丸い眼にすると可愛くなり過ぎるし、眼を

吊り上げると怖くなり過ぎるし・・・まぁ中々上手く行かないもので・・・。そんな中、化け猫って何色?って思ったのね。まぁ普通は黒猫って思うだろうな・・・と。そっか、黒いと勝手に化け猫に見えるのなら、サンプルを黒くして、

別に黒じゃ無くても良いよ・・・とすれば、普通の猫を作れたりすれば、ハロウィンなら黒猫、普通でもどうぞなら、季節に関係無く作れたりするじゃん・・・となり、それじゃ眼で怖くする必要も無いので・・・とこんな感じになったのね

それだけでは何なんで、くくった四角にホワイトボードにして、そこに文字を書けるようにすれば、色々用途はあるのかな?・・・と。まっ今回はこれで決まりだなって事になり、後は下地作り。そんなこんなのお教室。

バックの続きなんだけれど、前回はエミリアの濃い色が第一候補として終わったんだけれど、マットより照りが欲しくなったらしく、それでは・・・と、リップルの照りがあるタイルに興味を持って・・・それではスタート。

そこで始まる前に確認として、クラッシュはコロで文字の廻りをやった経験があるから、素材の固さに慣れれば、タイルが大きいので、持ちやすく切りやすい。特徴としてはコロは角が丸かったから、尖った所を無す事が注意点だったが

今回は、タイル自体の大きさがマチマチで、しかも側面のラインがガタガタって言う特徴があるのね。それをどう生かすか?殺すか?が問われるのね。特徴を生かすなら、側面を直線にしない事になるし、殺すなら単なる色と大きさだけで

自由にやれば良いのね。その時に一番大事なのは目地幅。クラッシュでバックを入れる時に大事なのは、均等な目地幅を取れると、切り方がどうであれ、スマートに見えるモノなのね。ただ問題なのは、その人がどんなこだわりがあるか?

になるのね。例えば、仮にやっとやっと切れる人なら、結果としてなるべく頑張って入れてね・・・となり、そのアシストとして、目地幅を広めに取る事をお勧めするのね。その事で、今までの目地幅よりも広めになる事で、メリハリが

付くし、もう1つ起こる事は、花のギザギザに無理くり入れ無くても、目地幅が広い分、気にならなくなるのね。逆に割と切れる人だと、自然とキッチリと入れようとしてしまうのね・・・意識無く。そうなると、とても厳しくなるのね。

しかも時間を掛ければ出来るって事では無く、物理的に切る事が無理って場所が出て来てしまうと、常に言っている色の話なら、似た色があるから入れる、でも無いから仕方無いからこれ・・・の論理になるのね。

つまり入れられる所はピッタリ、でも入れられないから仕方無いからこれで・・・これを簡単に言えば、ピッタリとスカスカって言う事になり、対比を勝手に作ってしまう事になるのね。これが前者の場合なら、全部スカスカとなると、

切る事が不安定なのに、張る目地幅がスカスカでも、スカスカって言う一定の安定感があるけれど、切る事が上手いのだから安定感があるのに、張る目地幅が不安定になる。どっちが仕上がりが良いか?になるのね。

これが棟梁やおかみさん位のクラスなら、ピッタリ目で行こうとしても止めないが、まだその域では無いので、必ず切れない事が出て来る。ただその人の綺麗の度合いって感覚が、ピッタリの場合、目地幅を今までよりも広くする事が、

受け入れずらいって事が多々あるモノで・・・今日はそんな話。そもそも何故そんな事が起こるか?は、まず性格のものなのね。簡単に言えば、まっ良いか・・・寄りの人なら、簡単に受け入れられるが、チェッってこだわり側の人の場合

、自分なりの正しい・・・って言うものが存在していて、それを言葉として集めると、ちゃんと、キッチリ、ピッタリ、揃える、一定・・・こう言った言葉で形成されているとしたら?ランダムだのクラッシュって言う曖昧な表現は、

一番苦手な方向性になる。だって決まりが無いから。しかも自由。それなら当然、その言葉のルールでやろうとしてしまうのは当然なのね。ただそのパーツが切れるか?となった時、そう簡単には揃わないもので、だから同じパーツを切り

、切る練習をしている段階なのに、花びらと花びらの間など、あっちこっちに、ありとあらゆる形が出て来るバックのランダムって言うのは、そこをピッタリ・・・となると、さっきの2人くらいにならないと、かなり無理がある。

それともう1つの理由はメリハリ。簡単な話でメリハリって何?って話なんだけれど、何でも比喩は良いんだけれど、学力でも身長でも、技術でも一緒なのね。例えばメリハリって上から下まで幅があるって事だと思うのね。

じゃ学力だったら?100点近い奴がいて、20点位のもいる。これは安定感が無い。でもこれを甲子園を目指す生徒ってくくると、控えクラスになると、あっちでもこっちでも同じ位の実力者になる。微妙な差なのね。つまりメリハリは無い

のね。ノッポとちびが混在すればメリハリ。でもノッポだらけのバスケットでは、もっとスバ抜けて大きく無いと一緒に見える。つまりどれもが一緒になってしまうって事。この比喩で判る様に、安定的な方を選ぶと特殊な話になる。

しかし不安定さを上手く利用すると、小さい花を大きなパーツで囲めば、より小さな花は小さく見えるし、目地幅を広めにすれば、キチンと揃った花が際立つ事になる。つまり今の現状を考えると、不慣れな中やったメインのモチーフを

よりキチンと見せる為のテクニックの1つが目地幅を今までよりも広めに・・・なのね。ただ、中々難しいのは少し切れるようになっている人で、キチンと寄りの人だから、ピッタリ切りたくなってしまうのね。そこで最初にこの幅で・・

と張ってしまうと、それをベースに・・・と始めてしばらくは安定するのね。何故なら最初は失敗しない様に見るから。けれど、段々と慣れて来れば、見る事よりも進む事の方に行くもので・・・それが慣れなのね。見なくても出来る

って。それも意識は無く。そしてそれが出来るのは邪魔のあるゾーンの場合ね。数枚で終わるスペースは考える事が少ないし、2枚で入れられる場所を3枚にした所で、大きく変化は見られないからね。でもひとたび大きなゾーンになると

・・・そこは大きく個性が出る場所。そしてそこがその人の考え方の大きく出る場所でもあるのね。例えば疲れて来たのなら、大きいのが入れられる・・・そしてやっとやっとの人なら、目地幅も広いだろう。でももう既に広めだろうし

・・・それならもう少し狭く・・・ってアドバイスになるのね。でも逆に切れる人で、ピッタリの方側の人なら、いきなり大きいパーツに抵抗があるし、でも花の障害物が無い分、ピッタリ入れやすい・・・だから無意識にピッタリする

のね。これで最初と変わった・・・つまりこの違いを見た時の違和感は、この最初の広めの方が許せない側になってしまうのね・・・それは逆なのね。その考え方は、入れる事重視の考え方で、必ず上手く切れる人前提なのね。

つまりさっきの2人位・・・。そうじゃ無いと必ず、大きな隙間が何か所が出てしまうのね。その時にそれを許せなくなる。今大事なのは、ランダムのバックじゃ無いのね。いかに最初にやった不慣れな時の自分をカバーするか?なのね。

いかに、そこが上手く見えるか?なのね。あの時よりも切る事が上手くなっている自分で・・・。これは中々受け入れるのに時間が掛かるもので・・・。判ってしまえば当たり前で簡単な事なんだけれど、受け入れるのは勇気が必要で・・

何しろ労作展の子達じゃ無いが、月に3回で自宅でもやっていれば、急激に上手くなって行く。それと同時に目も肥える・・当然、その自分の眼に腕がそれでも追い付かない・・・それはご飯を作れなくても批評出来る理屈と一緒なのね

眼や味覚のような五感の方が感じやすいのね。技術は鍛錬だから会得するまで時間が掛かるのね。今はその葛藤って感じかなぁ・・・でもこれが1作目だからね・・・もう十分だと思うんだけれど、まだ本人が納得するまでになっていない

ようなのね・・・最初だから、もう少し楽でも良いと思うんだけれど・・・。十分な仕上がりになっているのね。そんな後は木に下絵を写して・・・準備完了。


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