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「父の車」の話の続き

2015年03月24日 | Weblog
何気ない日々の暮らしの片隅に
       心打たれるドラマに出逢う


 

2010年、ブログにこんな文章を書きました。そして、ある新聞の朝刊にも掲載されました。




「父は私の子どもである二人の孫たちをかわいがってくれた。父が病院に行くときは孫と母を車に乗せて連れて行った。孫も週に一度の祖父との病院までのドライブと病院の食堂のうどんの味を楽しんだ。



病院までの道のりはきっと会話を弾ませながらの時間だったに違いない。孫たちは父、母の愛情を受けながら成長した。しかし、父は他界した。



子どもが就職して車を購入した時のこと。「お父さん、車のナンバーをどうしてこの数字にしたと思う。」私は子どもの質問に答えられなかった。



ナンバーは、最後に乗っていた父の車と同じだったのだ。


祖父との思い出がたくさんつまった数字だった。その思いに胸が熱くなった。



今、子どもは、父に連れられていったそして、みんなに見守られながら天国に旅立ったこの病院に、理学療法士として父と同じナンバーの車に乗って通勤している。



優しく孫に接してくれた父に、そして父の心をいつまでも大切にしているわが子に感謝をしている。」





あれから4年以上が過ぎました。そんな文章にも思いがけない続きがありました。話の「起承転結」の「結」になるのでしょうか。

 

今、可能な限り、あいさつ運動で、朝学校の近くに立っています。知り合いの車が通っていきます。そんな中に、わが子の車があります。今日も子どもが手を振りながら、通っていきました。こちらも手を振りかえしました。
 


ほとんど毎朝の日課です。こちらが立てない日は、
「何かあったの。」
と連絡があるときがあります。体でも悪いのではないかと、心遣いをしてくれます。

感謝しています。




車種は変わりましたが、ナンバープレートの番号は変わっていません。父がかよった、最後の瞬間まで、父の手をみんなで握り合いながら見送った病院に通っています。


朝立っている時間は、十数年前だったら、きっと父や母が孫を連れて病院に行っていた頃だと思います。


あのときに、ここに立っていれば、父や母に手を振れていたのかも知れません。
 



父や母はいなくなりましたが、父や母をいたわってくれた子どもが、病院で患者さんたちのケアをしています。父や母はどれほど喜んでいることでしょう。


きっと父や母と同様に一人ひとりの患者さんに優しく接してくれていると思います。
 


「気をつけて行っておいで。」
という思いで、車がカーブで見えなくなるまで、見送っています。