遊びをせんとや

毎日できるだけアンテナを張って
おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

にわかこぐれひでこ

2010-07-24 21:20:11 | 料理
暑いと当然食欲も落ちる。
忙しいと必然油物、炒め物、お肉料理が増える。
意識して最近魚料理。しかも油抜き。
子供たちも食傷気味。

一昨日の夕食
剣先イカのお造り、はもの湯引き、梅肉ソース添え
つる紫のアーモンド和え
三度豆のマヨネーズかけ



   


今日の夕食
北海道で捕れたぐれの煮付け(安くておいしかった)
納豆、長いも、にんじん、シメジ、わかめの味噌汁
五穀米入りのご飯、冥加、グリーンアスパラ、くらげ、オクラの酢の物




                 


今日は土曜日。すこし奮発してシャブリの白ワインを冷やして2杯。

丁寧に献立を考え、丁寧に作る。身体も喜ぶ。

暑い日々 メンテナンス

2010-07-24 10:43:50 | 日々のあれこれ
一応農閑期に入る。
やったこと。
 
 今年はグループ展もないことだし少し足元を固める夏にしたい。


・農閑期はゆるやかなフレックスタイム勤務となるため
 有休を効果的に取り(今期私は5時間の有休しかとっていなかった
 しかもその間休日出勤数知れず)
 有効な勤務スケジュールを立てる。
 更年期にはこの暑さをなめてはいけない。勢いでここまで
 もったのだからゆっくり身体のメンテナンスをする。

・母友と飲むかつしゃべる。(そうかーと新たな世界を知る)
・毎朝ダンベルをする。(身体の筋力を鍛え、基礎代謝を上げる)
・家族のスケジュールになるべくあわせる。(要するにタイムリーな飯炊き婆となる)
・身体の声によく耳を貸し、本当に食べたい量だけ食べたい物を食べる。
 (確実に食べる量が三分の二くらいに落ちる。どれだけストレスによる
  過食気味だったかわかる。)
・飲み物をできるだけノンアルコールビールに切り替える。
 (要するに炭酸とビールの味が好きなので。ノンアルコールビールの
  お勧めはキリンフリー ノンアルコール)
 以上を1ヶ月くらい続けると簡単に4kgぐらい体重は落ちる。なおかつ
 身体の切れが少し戻ってきて身体も軽く感じる。

・たまった雑用を片付ける。水漏れのクーラー、ならないインターンフォンの修理。
 壊れた冷蔵庫のドア引き手の付け替え、浄水器のフィルターの入れ替え。
 などなど、生活が少し滞っていた部分に油をさすような隙間の雑用。
 これがなかなかできなかったストレスがたまっている。
 冷蔵庫のドア引き手なんてメーカーから○バシに取り寄せてもらって
 そのまままたメーカーに返されていた。(ショック

・それぞれの実家を訪れ日ごろの非礼をわび、
 忙しさの言い訳をし、愚痴を聞いてもらい、
 高齢ながらそれなりに元気なので安心する。

・3月からこっちお世話になった方に五感のお菓子
 (マンゴープリンやら黒豆入りマドレーヌだったり)を贈る。

・ソフト部門も仕入れる。
 (読みたかった長編本、漫画。見たかった映画を見る)
・ブログを更新する。
・美術館に行く。

 からからに干からびた脳に刺激を与える。


・絵を描く。という事もこれからの予定に加えたい。


・そして仕事の段取りをして回りを整理しておく。

 以上暑い夏の予定




10代の頃の投資

2010-07-24 10:12:09 | 日々のあれこれ
これも新聞ネタ。毎日新聞に将士の羽生さんの
話が掲載されている。
それで印象に残った言葉が15歳から将棋漬けの毎日
だったそうだ。勉強もままならず、将棋、将棋の毎日。
でも大人になった今振り返ってみたら10代の頃に心血を
注いで訓練した事は大人になって努力しても身に付かないと
いうことだ。理論は入るがいわゆる将棋の勘とスピードは10代で
ないと身に付かないそうだ。

10代。何してたかなー?
一応進学校という所に通い、あー頭のいい人って
本当にいいのねという挫折感とともに勉強にも当然身が入らず
クラブに入部せず(その頃の公立の進学校ってのは女子は
特にクラブ参加率が低かったような気がする。
バレー部なんて1学年でチームが成立してなかった。)
で、学校が終わるとダッシュでバス停に向かい
家に帰ってみんな自分で勉強していた子が多かったような気が
する。今みたいに塾や予備校に通う子は現役では
ほとんどいなかった。でも私は勉強しなかった。
ほんで呆然と広がる時間を何に使ったかというと漫画を描いていた。
地元の子2人で漫研を組織したいた。
でも、そんなたいした物ではなかったが、確かオフセット誌で
3号くらいで終わった。
一緒に発行していた子は中学校の同級生で鋭い感性とセンスと
画力に恵まれていた。
その頃、九州で看護士をされていた今は知る人ぞ知る「高野文子」さんが
原稿を送って参加してくださったり
関大の学生だったイシイヒサイチさんの下宿を訪れ
漫画を講評してもらったりした。超贅沢。
そのお二人が後に有名になられた時は心底びっくりした。

で、その頃の何が自分に残ったかと考えてみると
漫画のストーリーのプロットを組み立てる事により

①脚本が書ける。
②起承転結を持った企画書が書ける。
③物事を成り立たせるために具体的な手立てを考える事ができる。
④物語の結末をだいたい予測できる。

という以上の応用が利くようになったと思う。
もちろん仕事の上で数々の失敗を重ね、先輩の
指導を受け、自分でなんとかこの齢になるまで
試行錯誤の上での結果だが、、、。
私は決して賢い人間ではないがストーリーは
描けて勘はするどい人間だと思う。


このままではこれは失敗するなとか
この状態はよくない。
という危機的状況には特に敏感。
でもそのまま口にすると大お局に
なってしまうのでちょろちょろと小出しにする。

この勘漫画を描きながら養ったか?