遊びをせんとや

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院内暴力、校内暴力、家庭内暴力

2010-09-10 19:47:02 | 日々のあれこれ
 少し時期がずれたが、新聞紙上で院内暴力の事が取り上げられていた。
体罰、言葉の暴力。

 体制派に逆らう。医師が体制だとすればだ、、、。
プライドの高い(一応高学歴だし当然社会的地位も高い)医師から
すれば「なんでここでこんな目にあうんだ?!」と目が点だろう。

 そういう波がいち早く押し寄せて来ていたのが校内暴力。
教師に対する暴力、暴言だ。なによりもまずその事によって
教師自身の面子が大きく損なわれる。場合によっては根こそぎ。

勝間和代さんお勧めの中島義道の「ひとを<嫌う>ということ」新潮社文庫
にまさに書いてありましたが、以下引用

「先生は生徒が自分を罵倒しようが授業を無視しようが。絶対に怒っては
ならない。「おまえ!」と怒鳴られても「何ですか?」と答え、「ふざけんじゃねえ
よ!」と言われても、けっして言い返してはならない。ただただ、彼(女)の傷
ついた心をじっと温かく見守ってやらねばならない。そして、自分のわずかな
失点を彼(女)に心から謝らねばならない。こえら、自尊心を徹底的に破壊しなければ
実行できず、教師として以前に人間として耐えがたいことです。とてもまともな
感覚ではやってゆけません。こいう先生にならなければならないと決めつけてしまうと
、ほとんどの先生は自信を喪失し、ノイローゼが続出してしまうのも無理はない。」

 そうなんです。中島先生!その通り!

 だいたい世の中がうまくいかなくなるといや元へ
その人がうまくいかない時(例えば病気、家庭が壊れているなど)
は体制に当たればすかっとするには世の通り。

そういうふうに世の中を煽っているのがマスコミだと
たつるんも申されていました。

体制でも生命力の強そうな押しの強そうな人にはそういう鬱憤は
はらさない。だってそういう鬱憤を抱えているのは
世の中を渡っていくにに不器用ないわゆる生命力の弱い人だから。

 まるで世の中のサンドバックのような役割を担っているのが
医師と教師。

 病院がそこまでなっているとは知らなかった。

 で、家庭という小さな社会ではどうなんだろう。
やっぱり鬱憤は弱い者へ向かうのは通り。
社会的に弱い者がもっと小さな家庭という社会で
弱い者に鬱憤をはらしているのが家庭内暴力。

子供がサンドバックなんだ。