遊びをせんとや

毎日できるだけアンテナを張って
おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

生きていく上で大切にしたいこと

2015-05-23 16:39:50 | 日々のあれこれ
最近30代前半の人から色々と相談されることが多い。

ひっくるめと言うと

自分の上に立ちはだかる存在にどう立ち向かっていったらいいかということではないかと。


組織の中で働いていたらどうしても上の意向で動かなければならないことがある。

直属の上司が全く違う意見だとしたらとってもしんどいだろうなー。

その若い人がいい人で常識的な人であればあるほど本人は悩むだろう。
いつも「でも私は違うんです。こうします。」って言いってアドバイスし続けてきたけれど。


私はというと、結構、自分の意見は押し通してきた。

たとえ上と意見が違っても「ここは引かない。」と思えば絶対引かなかった。

上司が気に入らなければ(違うか!上司と意見が合わなければ)自分が転勤するか
違う部署に異動を願いでるかして凌いできた。

ただし、自分が発言して自分が動く。何とか物事を成り立たせる。それで失敗することがあるけれどこの年に
なって少し周りが認めてくれたような気がする。

最近もう少し若い人に「仕事を辞めたいと思ったことがあるんですか?」
と聞かれたことがある。

大ありだったと思う。特に40代の頃は「こんなことやって本当に役立つんだろうか。」
と悩みのマックスの時期だったと思う。

思い返せば仕事ではなく、二度のヨーロッパ個人旅行をやりおおせたことが
「物事を計画して結構うまく行く。」という実体験になった可能性が大きいような気がする。

そこから計画して成り立たせるという時にすごく自信が持てるようになった。
(結局遊びから得ることは大きい。)

「やってみたいこと。」を実際やってみることはとても重要な事だと思った。

そんで、私が大切にしたいことはいつも「真実を追い求める。」ということだと思う。
自分の直観を大切にすること。「何か腑に落ちないことはしない。」
決してその方が「お金になったり」「立場的に有利になったり」したとしても絶対違う。
「腑に落ちないことはしない。」ということだ。

周りの人間関係だとか、今までの付き合いだからということでは真実を追い求めることは
できない。

すごく冷たい人間なのかもしれない。
この人と人間関係を大切にしたいと思われる人も数はすっごく少ない。

でも昔から「本当のところはどうなんだ。」「本当に価値のあるものって何なんだ。」という
事にとっても興味がある。

ということで残り少ない仕事人生、本当に価値のあるものを追い求めて日々頑張るしかない。

どうでもいい人の思惑に振り回されないで我が道を行くことにしようと思っていた矢先に
ヤマザキマリの「国境のない生き方~私をつくった本と旅」

スティーブ・ジョブスの孤独に触れた一説に
  ”ものすごい孤独感や心もとなさ、自分自身の頼りなさにさらわれて、身がすくむような思いをするかもしれない。
   それを感じなですむように、人は群れで生きるのでしょう。
    囲いの中にいて、自分の所属するコミュニティーの価値観に合わせていれば、安心だし、自分で何かを判断する
   必要がないのですから、ラクです。「群衆」というのは、つまり人が見を守るための囲いでもあるんです。”


  ”でも実際には人が生きていく時には、自分が生きているコミュニティ―制度とか文化とか価値観とのせめぎ合いから、
  完全に逃れることは難しい。
  
   人は社会的な生き物である。そういう中で人が押しつぶされることなくその人本来の生き方をまっとうするには、
  どうしたらいいか。

   私はその手立てのひとつが「教養を身につけること」ではないかと思っています。
   何かを矯正されそうになった時に、「でもこういう考え方もある。」「まだ、こういう見方もできる」と、

  ボーダーを超えていく力。(中略)

  教養もまた、人を本来の姿へと導いてくれる、ひとつの自然なのだと思います。”

だから本を読む。考える。対話する。ということが必要なんだと彼女は言っているのです。

上司が違う意見なら「私はこう思います。」という意見を説得力を持って言える力と教養が必要だということではないんじゃないかな?


久しぶりの美術館

2015-05-23 15:15:03 | 美術館、博物館
休日引きこもりを経て

少し、足りない物を補充しに久しぶりに京都の近代美術館へ

                    

平日の朝、溜まった書類を整理していたらそこから
観に行きたかった展覧会チラシが、、、。

昨夏、東京へ行った時に開催されていた「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である。」
という長ったらしい名前の展覧会へ。

チケットの金のしゃほこみたいな「ケイトモスの金箔像」がとてもハードな感じを受けるが、
意外にしっとりとした現代美術だった。結構平面が多いし。


新緑あふれる京都、今日はラッキーなことに曇りで午前中はひんやりしたいい気候。

オープンしたばかりの近代美術館はほーんとに人が少なく貸切状態だった。

そこへ、少しけたたましい声のグループが、と思いきや地方の修学旅行生がグループで鑑賞に
来ていた。(すぐに静かに鑑賞してたのでなんともお行儀の良い中学生でした。)

世界では現代美術は中国人の画家さんが人気だとか。

確かに画面からあふれるダイナミックさと技術の確かさがぐいぐい伝わってくる。

その中で私が惹かれたのは、崇高というコーナーに展示されていた「マーク・ロスコ」

      

絶対、この人の作品、昔の万博の国際美術館にあったわ。

角度を変えてみたら透明感すら感じられ、奥行きもある画面。
きれいだった。

写真や立体も多少あって楽しめた展覧会だった。


行きしなの電車ではヤマザキマリの「国境のない生き方~私をつくった本と旅~」小学館新書を読みふける。
すっごくおもしろい。

帰り道、柴漬けと千枚漬けと和菓子が2割引きだったので買って

       


   



乗り換えの四条で「東急ハンズ」によっていつものスーパーで
食料品を買って帰っても1時だった。

いい半日遠足だった。