兵庫県南部を襲った阪神・淡路大震災から19年が経過しました。先日、神戸港の“メリケン パーク”へ行った時に、海岸沿い設置されている街路灯が傾いているのが目につきました。最初は“何で傾いてるの?”と思って近づいてみると、震災の時に大きな被害を受けたメリケン波止場の一部を震災を受けた当時の状況をそのまま保存した、メモリアルパークになっていました。
ここでは岸壁は大きく破損して、一部は海水に浸されており大変な被害を受けた状況が伝わって来ます。
私は以前に勤めていた会社で、震災当時に神戸在住の同僚がいました。会社の方針で神戸在住の社員に緊急の救援物資を届ける事になって、その運搬役として私に白羽の矢が立ちました。私は趣味として登山をしてましたので“荷物を運ぶのは馴れてるのでは?”と いう事で指名されて、同じ部署の者と2人で行く事になりました。
神戸へ行く事になったのは、震災発生から1週間程の後だったと思います。会社は大阪市内でしたが神戸へ行く電車は寸断されて使えない為、大阪南港から会社がチャーターした小型船で神戸港へ向かいました。その時に見た光景は今でも鮮明に記憶に残っています。港では岸壁は大きく壊れていて、貨物を積み下ろしするクレーンは大きく傾いていたり、岸壁に止まっていたトレーラーや大型トラック等は壊れた岸壁から滑り落ちて波に洗われていました。
物資を届ける為の合流地点は、三宮になっていたので下船後は徒歩で数時間かけて向かいました。歩道は大きく波打って煉瓦やブロック類が散乱していたり傾いたビルや倒壊した建物を、至るところで目にしました。
このメモリアルパークで保存されている被災した岸壁を見て、震災発生直後に神戸市内へ入った時の状況が蘇って来ました。
ここでは保存されている震災当時の壊れた岸壁の周囲には、見学しやすい様に海面上にも張り出して遊歩道が設けられていました。
以下の写真は、保存されている現在の公園の様子です。(撮影:2014年1月20日)
ここでは岸壁は大きく破損して、一部は海水に浸されており大変な被害を受けた状況が伝わって来ます。
私は以前に勤めていた会社で、震災当時に神戸在住の同僚がいました。会社の方針で神戸在住の社員に緊急の救援物資を届ける事になって、その運搬役として私に白羽の矢が立ちました。私は趣味として登山をしてましたので“荷物を運ぶのは馴れてるのでは?”と いう事で指名されて、同じ部署の者と2人で行く事になりました。
神戸へ行く事になったのは、震災発生から1週間程の後だったと思います。会社は大阪市内でしたが神戸へ行く電車は寸断されて使えない為、大阪南港から会社がチャーターした小型船で神戸港へ向かいました。その時に見た光景は今でも鮮明に記憶に残っています。港では岸壁は大きく壊れていて、貨物を積み下ろしするクレーンは大きく傾いていたり、岸壁に止まっていたトレーラーや大型トラック等は壊れた岸壁から滑り落ちて波に洗われていました。
物資を届ける為の合流地点は、三宮になっていたので下船後は徒歩で数時間かけて向かいました。歩道は大きく波打って煉瓦やブロック類が散乱していたり傾いたビルや倒壊した建物を、至るところで目にしました。
このメモリアルパークで保存されている被災した岸壁を見て、震災発生直後に神戸市内へ入った時の状況が蘇って来ました。
ここでは保存されている震災当時の壊れた岸壁の周囲には、見学しやすい様に海面上にも張り出して遊歩道が設けられていました。
以下の写真は、保存されている現在の公園の様子です。(撮影:2014年1月20日)