いま、私は「写真研究会OB会」に所属しています。
幼いころから何となく写真と付き合ってきました.
学生生活を終えても、何となく写真の灯を消すことなく,
現在まで,続いています.
… … …
大学の写真クラブ「写真研究会」が来年60年になるので、
記念に何か催すというのです。
私の60年前はどうしていたか、
この間から振り返っています.
私の60年前は,高校2年生でした。
大学は京都市の北、金閣寺の近くの立命館理工学部です。
学校は,田圃や畑の広い場所にありました。
名刹「等持院」の前を北へ向かったところに、校門がありました。
教室は木造校舎です。化学,機械,電気、の実験棟も木造でした。
化学科の学生は,白衣を着て、なかなか格好良かったです。
女子学生は,数物科と化学科に少しいるだけでした
入学の日,クラブ活動の入部勧誘の机を並べて
「わがクラブへどうぞ…」
先輩が通り過ぎる新入生に呼びかけています.
私は迷わず、写真研究会に入部しました.
私の在学中に,木造校舎の後に鉄筋の
階段教室が建設されました。
校舎の間に挟まって木造の小さな学食がありました。
この機会に,木造の学食をつぶして、
もっと広い場所に新築、移転して
経営も変わるということになりました。
木造の学食の経営者が、壁に張り紙を出して,
学生に何とかしてくれと訴えていました.
いま、OB会でメンバーの,Tさん、Hさん
Nさんに「写真研究会」で出会いました。
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近くに観客席が木造の衣笠球場がありました.
いつも外に馬が繋がれていた馬術部の馬小屋がありました。
近くに,民放のラジオ京都(JOBR)の指向性送信アンテナが
聳えていました.
… … …
当時の私は,市電かバスで三条四条へ出て,映画を見るか,
酒でも呑むか,読書でもするか,趣味の写真でも撮るか,
のんびりしたものでした