○○写真集団の主宰者N先生は、
色彩を殺した独特の作風(風景)で
活躍されていました.
展覧会の締め切りが近付くと,
写真集団のベテラン連と、
どこかへ撮影に行かれていました.
作品制作にどんなカメラを使われていたのか
私にはわかりません。
毎月の撮影会では,
なるべく先生をフォローして,
何気なく撮られる場所とアングル,
レンスの焦点距離を記憶するようにして
私もその場所をこっそり撮りました.
月例会で撮影会の作品を
見せていだきますが,
どうも会員と先生の作品の色彩が違います.
先生独自のラボ(現像所)があったのかも知れません.
撮影会での先生のカメラは,モータードライブのFー4です。
レンズはありふれたズームレンズでした
.
フィルムは、カラーネガフィルムを
使っておられました
先生は,カラー時代になって,暗室をやらなくなってしまった。
「これで作家といえるのだろうか…」
と話しておられました.
先生のお宅にお邪魔したことがあります.
河内長野市に本店と2つの支店の写真機店を
経営されていました.
本店の2階が簡単な写場(スタジオ)になっていました.
カメラはありませんでした。
成人式,七五三の記念写真をこの写場で撮られていました。
室内撮影にどんなカメラをお使いなのでしょう
先生の息子さんは、大阪市内のN写真問屋に修業に出ていました.
その息子さんは○○写真集団には参加されず,
写真機店の経営に専念されていました.
風景写真を私は知りませんでしたので,
○○写真集団は勉強になりました。
… … …
撮影会が毎月、行われます.
月例会は,撮影会の部.自由作品の部とありました。
… … …
どうも、私は毎月の,撮影会がしんどくなってきました.
わたしも,若い時代は毎月の撮影会も何ともないでしょうが
定年後の趣味のカメラで,毎月,撮影会でがんばるのはどうも…
… … …
私は休会扱いにしてもらいました。
そして退会しました。
N先生の訃報を聞きました.