街の営業写真館のカメラは
舶来のアンソニーが一般的でした.
映画撮影のキャメラは
舶来のパルポ、ミッチェルでした。
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やがて,モノクロのテレビジョンが始まります.
テレビ・カメラで撮像すると同時に
副調整室→主調整室→STリンク→大阪生駒山頂
→テレビアンテナから放映されます.
映像機器として初めて国産でスタートしました。
テレビ開始から一連の機材はほとんど国産でした.
テレビカメラの心臓部,イメージオルシコン管は
最初,舶来でしたが
まもなく国産化されます.
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カメラ本体はもちろん国産です.
写真のカメラは東芝製で、カメラの両側の側板を
開けると,真空管(ミニチュア管)が ずらりと並んでいました.
足回りは、アメリカ・デュモント製で圧搾空気のタンクで
カメラの上下を行っていました.
このカメラドリーもまもなく国産化されました。
レンズは、35ミリ(ライカ判)のニッコール(日本光学製)でした。
レンズは,写真に向かってカメラの左上の長いレンズが
200ミリ、その下が135ミリ、
その右が85ミリ,その上が50ミリです。
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国産化されたテレビ機器で、副調整室内の
カメラコントロール監視機器の波形モニター、
ベクトルスコープは、
長い間テクトロニクス(アメリカ製)
が押さえていました.
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中継番組の連絡に必要なVHF・トランシーバーは
、
大型(電源部は単一11本)の
モトローラ(アメリカ製)でした.