初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

VHS方式

2009年04月20日 17時22分07秒 | Weblog
  VHSビデオには長い間、お世話になりました。テレビの洋画劇場を録画したり、レンタルビデオ店から映画のビデオを借りました。

 レンタルビデオで、巧妙なカット割りの場面では、スロー再生してどうゆうカットの積み重ねをしているかなど、楽しみました。

 テレビで、一寸気になる映画劇場など、とりあえず録画しておいて、後で見ないテープも多くできました。

 タイマースタートで予約しても、時間になると電源が入り、録画が始まる安定した機械でした。
 
 高い周波数の録画が苦手なビデオで、高い周波数の副搬送波(色信号=サブ・キャリア(3.58MHz)を低域変換することによって録画可能にする画期的なアイデア…。

 最初はテープの録画トラックと隣の録画トラックの間にガードバンドを設けていたのをガードバンドを無くして、そのうち、録画トラックを少し重ねて録画できるようにアジマスヘッドを採用して、再生のときに、アジマスヘッドで重なっている録画トラックを分離する巧妙な仕組み…。

 音声の悪かった録音をFM変調の深層録音方式で解決するなど…。

  世界に誇る技術でした…。

 ちょっと関心がある番組をタイマーで録画して、あとで、録画済のテープが沢山溜まってしまいました。カセットテープの誤録画防止の爪を折らない限り、録画済のテープの上から何度でも新しい録画が出来て便利でした。

 次のDVDの出現でVHSは元気をなくしてしまいました。VHSのテープは各番組が直列に録画されます。後で番組の頭出しが厄介です。その点、DVDは一回転で常に各番組の頭出しが出来ていますから負けます…。

 ベーシックのコンピューターの外部記憶はテープを使っていました。これも、データの頭出しは難儀でした。MS-DOSの機械では円盤のフロッピーディスクになりました…。

 VHSの数々のアイデア、技術など無くなるのが残念です…。


クレーン・ショット

2009年04月19日 18時35分51秒 | Weblog
  映画では、古くからクレーンが使われています。公園にあるシーソーのように、支点を挟んで、一方にカメラ、カメラマンが乗るプラットホームがあり、反対側にはバランスを取る、錘を乗せる箱が付いたアームの装置です。

 クレーン全体はトラックの車輪の付いた台の上に乗せられていて、移動効果係の2、3人でクレーンを操作します。

 このクレーンにカメラを中心に、カメラに向かって右側にレンズのフォーカスを操作するカメラ助手、カメラの左側に監督、カメラの後ろにカメラマンと3人が乗ります。
 カメラと3人のバランスを取る後の錘(カウンターウェイト)も大きなものになります。

 クレーンの前と後は支点を中心にバランスをとっていますから、クレーンの乗り降りには注意しなくてはなりません。

 不用意に1人でも下りるとバランスが崩れます。事故につながります。

 溝口健二(雨月物語、山椒太夫、楊貴妃…)監督が特に、クレーン・ショットが好きでした。ワンシーン・ワンカット主義で、クレーンを縦横に動かして、登場人物の出し入れのある、独特の画面を構成していました。午前中、このワンカットが撮れるかどうかという凝った仕事です。

 テレビも、VTRが普及して、映画のように部分撮りが可能になると、映画のクレーンが導入されました。テレビの場合は、カメラマンが1人でレンズのフォーカスも操作しますから、プラットフォームにはカメラマン用のシートベルトの付いた椅子と、雲台に乗ったカメラだけです。早いスピードでアームを振られると、カメラマンに遠心力のような力が働いて体を振られますので、カメラ操作にコツがいりました。

クレーンのアームが天井近くにあると、上からの照明器具の熱で、何となく眠くなって、カメラマンはシートベルトが無いと落ちそうで危ないのです…。

 テレビ用のクレーンは改造が進んで、クレーンの操作が、1人でできるように細いアームの先に電動雲台に取り付けられたカメラと、電動でフォーカス、ズームができるレンズが取り付けられて、クレーンのカメラマン用のプラットフォームは無くなりました。クレーンの上げ下げの係1人と、アームの後ろでリモコンを動かすカメラマンの2人でクレーンを操作できるまでになりました。

アームも分解できてコンパクトになって、組み立ても簡単になりました。
 
 スポーツのサッカーのゴールの後ろにクレーンがありますし、陸上のマラソンでもフィールドで大型クレーンを使っています。



フレーム・シンクロナイザー

2009年04月18日 18時18分35秒 | Weblog
  歳をとると、野球中継もテレビを見ているよりラジオで聴きながら、何かやっている方が気楽です。

 テレビでは打席でバッターが構えています。ピッチャーは、まだ投げていません。

ラジオでは、

「金本、打ちました…。ワアワア…」

とアナウンサーが叫んでいます。

 テレビを見ている息子はラジオの音が邪魔だと怒ります…。

 テレビにはフレーム・シンクロナイザー(略してFS(エフ・エス))という装置があります。

 この装置は、書き込み用のメモリーと読み出し用のメモリーで出来上がっています。

 テレビの画面は映像信号と同期信号でできています。入力側に中継の映像信号と同期信号で書き込み用メモリーに書き込みます。メモリーのデータを読み出し用メモリーにシフトします。放送局の同期信号でこの読み出し用のメモリーの映像を読み出します。この装置で入力側の同期信号と出力側の同期信号の縁が切れます。

 世界中のテレビ方式は、ドイツ、中国などのPAL、フランスのSECAM、日本と米国のNTSCの方式があります。

 このFSの入力側に、PAL、SECAM、NTSC方式、何でもOK。出力側もPAL,SECAM,NTSC方式なんでもOK。方式変換の装置なのです。

 この装置の欠点は、映像信号のメモリー書き込み、読み出しで、時間がかかることです。最初は大きな装置でしたが、メモリーの進歩で小型になり、中継車内にも入れられるようになりました。

 中継の同期信号が不安定なとき、中継の同期信号と縁を切りたい時などにこの装置を入れます。

 選挙速報などあちこちから中継が入るときは、あちこちにこのFSが入ります。

 従って、冒頭のような映像がラジオ音声に遅れることになります。

 音楽番組で、歌手の歌と口が合っていないことがありますが、これもFSの影響です。

 選挙速報で、ラジオの速報で選挙事務所の拍手と「バンザイ…」の声が聞こえてから、テレビで、「バンザイ…」と手を挙げて喜んでいる場面が写ります…。


選挙速報 下

2009年04月17日 17時54分31秒 | Weblog
 世間で携帯電話が普及し始めたころの話です。
 有線の電話やモトローラのトランシーバーに頼り切らないで、各社も携帯電話も積極的に使う方針になりました。

 奈良県の高市早苗が立候補したときは台風の目になりました。報道各社が高市早苗選挙事務所に集まりました。記者連中が一斉に本社と携帯電話で連絡を始めたものですから、当時の携帯電話のキャパシティーが少なかったのでたちまちパンクしてしまいました。

 有線電話を探さなくてもいいのと、現場で連絡が取れるので、意外と便利だということになりました…。

 阪神大震災の被災現場中継では、携帯電話が大いに威力を発揮しました。一度、本社と連絡がついたら、なるべく携帯電話を切らないようにしていたようです…。

 選挙速報のスタジオは、解説者とアナウンサーのセットのほかに姫路、神戸、奈良、大津、和歌山など各支局の名札を付けたファックスが並んでいます。在阪各局のNHK,MBS,ABC,KTV,YTVの名札を付けたテレビモニターもずらりと並んでいます。

 選挙速報班のデスクは、テレビモニターを見回しながら
  ××局は選挙事務所の中継が多いなあ…
  △△局の当選確実(略して当確(トウカク))を打つのが早いなあ…
と唸っています。

 一時、各局でいかに早く当確を打つか競争のようになりました。開票率が数%でも当確が出ている候補者名を見て不思議に思ったものでした。

 どこの局か忘れましたが、九州の候補者の当確を早く打ち過ぎました。開票率が進むにつれて、その候補者が落選しました。

 誰がどのようにして謝りに行ったのでしょう。

 「だるまの目に墨を入れたのにどうしてくれる…」

 それ以後、選挙事務所では、全局の当選確実を確かめてから、バンザイをするようになりました。

当落のわからない候補者の選挙事務所からの中継で、当選が決まってバンザイの声を聞きながら、機材を撤収して帰るのは気持ちが良いのですが…、その候補者の落選が決まると選挙事務所内は静かになります。その中で事務所の人と眼を合わせないようにして静かに機材を撤収して帰るのは何とも後味の悪いものです…。


選挙速報 上

2009年04月16日 17時54分01秒 | Weblog
いよいよ選挙が近付いてきますと、報道局主催で選挙速報についての会議が開かれます。

総務局はじめ少しでも番組に関係する部署が挨拶代わりに集まります。スタジオのセットの建て込み、機材の搬入、リハーサルのスケジュール、電話回線のテスト、都道府県の選挙管理事務所や話題の候補者の選挙事務所の扱いなど、大体のスケジュールが決まります。

選挙の投票が終わると、テレビ、ラジオは一斉に選挙速報の放送が始まります。一局くらい平常の放送番組を流せばと思いますが、その放送局の姿勢が疑われるからでしょうか

各社一斉の放送です。お蔭でレンタルビデオ店が流行ります…。

 最初のころ、番組の目玉の開票結果を表すボードは、無光沢の黒色の塗料を塗った金属製の大きな板に小さな窓が並んで開いています。これを数枚用意します。候補者名を入れる枠、その候補の投票数を入れる枠があります。そのボード専用にカメラを数台用意します。それへ経理局の人が数字のカード(候補者の得票数)を入れていきます。

候補者の開票結果の計算に、経理局の人は日頃いろいろ計算に馴染んで計算に強いからと頼んでいました。

経理局の人は、皆と珍しいスタジオで一緒に働けて面白いと言っています。 

選挙速報は、徹夜でだらだらと続いていきますから、別のスタジオに飲み物と夜食の用意がしてあります。ちょっとした休憩もできます。  

 広いリハーサル・ルームには、仮眠用にレンタル蒲団店からの蒲団がずらりと敷いてあります。

     明日に続きます…


移動ショット

2009年04月15日 18時40分38秒 | Weblog
 映画の移動ショットはレールを敷いてカメラを乗せた移動車を、芝居のテンポ、俳優さんの動きに合わせてベテランの移動効果係が移動車を押します。時代劇で山の中の山道が現場でもレールのあちこちに三角の楔を取り付けて見事にレベルを合わせてしまいます。

伊藤大輔監督(大河内傳次郎、『忠治旅日記』など)が移動の好きな監督さんでした。

フランス映画も何となくカメラが横へ動いたり、カメラ移動の映画が多いです。

ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』冒頭のカットは脱帽です。

 パリの街並みの煙突の見える屋根の風景からレールに乗ったカメラが下がってきます。やがて、道路まで下がってきて、『巴里の屋根の下』の主題歌が流れます。

 このカットのためにパリの街並みをオープンセットに組んだと最近知りまして、びっくりです。

 私がまだ生まれる前の1930年製作ですから、重ねてびっくりです。

 テレビのスタジオは、カメラがペデスタルドリーに乗っています。カメラの上げ下げは板バネと鉛のカウンターウェイトでバランスがとれていますし、ハンドルを回すと車輪も同じ方向に向きますからスムースに動きます。俳優さんの動きに合わせてカメラマンはピントを合わせながら、ペデスタルドリーを動かしてカメラを移動させます。

 長い間、テレビの標準サイズが14インチでしたから、カメラ移動のアラが映画ほど目立ちません。テレビは番組が始まると、番組を止めることができませんから、ペデスタルドリーからカメラを下ろせません。

 最近、テレビの画面サイズが大型になってきたのと、VTR撮りになって広い名庭園などを紹介する場面では、映画のように長いレールを庭に敷いてそのカットだけを撮ります。



タイトル 下

2009年04月14日 17時25分52秒 | Weblog
  映画のタイトルは出来上がった映画にだけ付けます。テレビは一日のニュース番組、教養番組、バラエティ番組に地名、人名、電話番号など付けますから、膨大な量になります。

 テレビに使用するタイトルは、写植機で一文字づつ印画紙に焼き付けます。はがき判ぐらいの大きさの無光沢の印画紙に黒地に白文字でタイトル文字が焼きつけられていました。これを、テロップカードと呼んでいます。

 そのテロップカードをプラスチックの枠に挟んで、主調整室(マスター)の隣のテレシネ室に置かれているテロップ装置(Television Opaque Projector=Telop=テレビ投射映写機の略)に装填します。縦ロール,横ロールは、長いテロップカードを小型のモーターで巻き上げる装置をテロップ装置に取り付けます。

この装置のリモコンはニュース、バラエティなどのスタジオの副調整室までのびていてスイッチでタイトルを切り替えます。

フリップと呼んでいるA3,B4サイズの厚紙に手書きのタイトルをスタジオで生で撮ることがあります。公開お笑い番組でタイトルにフリップを使ったことがあります。

番組の題名から出演者の名前を書いたフリップを、フリップ台の上に置いて、紙芝居を見せるように、ADさんがストップウォッチで時間を計りながら、順番に引き抜きます。また、順番に前へ倒して見せたこともありました。番組のお客さんには珍しがられました。

現在、朝のニュースワイド番組で“みのもんた”が、フリップにテープで文字を隠していて、順番に剥がしていく、「めくりフリップ」を使っています。

 映画のタイトル、テレビのテロップカード,フリップカードに、落とし穴があります。

誤字です。発注するときは皆で注意するのですが、思い違いや、聞き間違いなどが原因でしょう。

  映画のタイトル撮りは追い込みの休日などに行いますから、タイトルの人に連絡するのが大変です。テレビの場合は、写植係か手書き係の人が必ず、一人泊まり込みでスタンバイしています。

 芸→藝、沢→澤、など、スタッフの名前は兎に角、俳優さんの芸名の誤字は芸名が命ですか大変です。

 いま、テレビはすべてコンピューター処理です。これは昔話です…。


タイトル 上

2009年04月13日 17時43分01秒 | Weblog
写真は、大阪市内、なんば御堂筋線の地下鉄改札口横に美しい魚が泳いでいる水槽があります。水槽奥のコンコースを通る乗降客が青い魚とダブって見えます。乗降客と青い魚がいい位置のときにコンパクトデジタルカメラはシャッターが落ちてくれません。接写モードで十数枚撮ったうちの一枚です…。

  映画の本編の撮影が終わるとタイトル撮影が残ります。本編の封切り日は決まっていますから余裕はありません。A3ぐらいの無光沢の厚手の画用紙に、美術部のタイトル係が白い絵の具で、スタッフ、出演者などを記入します。

 カメラは、ハイコントラストのタイトル用のフィルムで撮影します。一枚のタイトルに長い時間回さなくて良いのです。現像所のオプチカルプリンターで、オーバーラップ、ワイプなど施しますから…。

 映画のエンドマークの「完」という字が、だんだん大きくなるようにするには、ズームレンズのなかった時代、カメラをレールの移動車に乗せて、タイトルに遠くから近づいてゆきます。

 タイトルが下から上へ文字が移動する「縦ロール」は、スタジオの上へ開く電動扉に貼り付けて電動扉を動かしました。
 タイトルが左から右に文字が動いていく「横ロール」はレールの移動車に長い板を取り付けてタイトルを貼り付け、静止しているカメラの前を動かして撮影しました。

 会社がタイトルで神経を使うのは出演者の扱いです。出演者タイトルは主演の2人、3人が並んで出てきます。しかし、大物俳優さんは初めに一人の名前で出てきます。「一枚タイトル」と言います。また、よその専属の大物俳優さんが出演しているときは、出演者タイトルの最後に「一枚タイトル」で出ます。「一枚タイトル」で映画に出ると、仲間から「一枚タイトル」の俳優さんと話題にされます。

 かって小林旭と美空ひばりの結婚のとき、ひばりのお母さんが、お祝いに、会社に小林旭を「一枚タイトル」に交渉すると噂で聞きたことがありました…。

 アメリカ映画で複雑な凝ったタイトルがあります。ダニー・ケイの「虹をつかむ男」ではガラス板にタイトル文字が書かれていて、そのガラス板がターンテーブルで回ります。照明の色が変わって夢のあるタイトルでした。また、ヒチコックの映画も凝ったタイトルがありました。

 アメリカはタイトルを専門に作る会社があるそうです。
単行本の装訂のように考えているのでしょう。

 明日はテレビのタイトルについて… 


観客 下

2009年04月12日 18時14分24秒 | Weblog
 ラジオに「夫婦善哉」、「おやじ万歳」などスタジオに常設の観客席を設けて公開番組がありました。

お客様を入れて、拍手や笑い声も一緒に録音します。

 ラジオの公開番組は好調でやがて600人のキャパシティーのホールで行うことになりました。

 テレビもお笑いの公開放送が始まりました。そして、このホールを使うようになりました。

 番組の収録時間を12時過ぎに設定しました。

 ホール近所の会社のサラリーマン、OLが、昼食後のひと時、このホールにやってきます。

 この番組の放送は、午後6時からでしたが、この番組のギャクがサラリーマン、OLに受けるというのは全国的に平均して受けることになりました。

 モデル映画館ならぬこの番組のモデル観客となりました。

 毎日放送の「ヤングOH OH」は若い高校生をターゲットにした、このホールでの公開番組でした。

 収録時間を午後6時頃にしていました。丁度、高校の授業が終わってホールに来るのに都合の言い時間にしていました。高校生に受けるようなギャクであふれています。

 大阪市内の中之島のこのホールに遠く寝屋川市の高校生も来ていたそうです。これも番組にとってモデル観客でしょう。

 公開番組は例え録画でも、番組をいろいろな都合で止めることは良くありません。せっかく、観客が盛り上がって番組が進行しているときに、録画ストップをかけると、観客は冷めてしまいます。連続して撮り進めなくてはなりません。

 演劇の出演者は観客のリアクションで演技を続けてゆきます。同じように、テレビやラジオの公開番組も観客のリアクションを気にします。

 映画は制作のときの観客はおりません。監督の計画通りに現場を進めていくしかありません。映画は大変です。


観 客・上

2009年04月11日 22時47分32秒 | Weblog

 撮影所の従業員には年一回の稲荷祭りがあります。制作した映画を購入してくれる全国の映画館の館主を招待する館主会もあります。主だった俳優さんも

「いつもわが社の映画がお世話になっています…」

と挨拶に出席します。館主の方も日頃気が付いたことや、今後の映画についての意見も出るのでしょう。

 昔は、テレビの芸能ニュースなどはありませんから、映画愛好家にとっては俳優さんのプライベイトな生活やゴシップは知りません。スターさんは文字通り雲の上の人でした。俳優さんの噂話は映画館でくれるパンフレットに小さく書かれているくらいでした。

 制作した映画は映画館で上映されます。豪華な俳優さんの配役も、十分に練った企画もヒットになるとは限りません。
 大阪のお初天神の近く梅新に映画館がありました。東映会館、梅田日活、梅田大映とありまして、この梅田大映が大映映画のモデル館になっていました。モデル館とは、この映画館に観客が多入りになると、西日本は大丈夫だと言うのです。

 今回の作品の興行成績は赤字だと製作部がよく言いました。しかし本当の赤字ではなく、配給前に予想した観客動員数に満たないということなのでした。つまり皮算用です。皮算用の収入と実際の収入の差を赤字だといっていました。テレビが普及するまでは、映画は興行的に赤字はなかったはずです。

 一方、演劇の方で、渋谷天外、藤山寛美の松竹新喜劇は道頓堀の中座がホームグランドでした。新喜劇の営業方針か団体客がいつも大勢でした。団体客は劇場入り口で、飲み物と幕の内弁当の袋を受け取って、座席につきます。

 開幕前になりますと、舞台の袖から、白いスーツ姿で藤山寛美が現れます。

「△△町内会、ならびに××趣味の会様の皆様よくお越しくださいました…」

 などと大変なサービスでした。

 松竹家庭劇(曾我廼家十吾)の若手女優、由良みち子さんは、芝居中に客席でガサガサして弁当を使っていたらいやでしょうねと聞きますと、

彼女は

「ようしその箸の動きを止めてやろう…」

と舞台でファイトが湧いてくるといいました。

       続く…