初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

魚眼レンズ・②

2010年04月20日 17時49分17秒 | Weblog


ABC放送センターの広い絵を撮るには,

少し離れたところのアパレルのトロイ・ビルの屋上から,

レンズ、24㍉をつけた35㍉カメラで構えると,

ちょうど,フルショットが撮れました。

ところが、トロイのビルと,放送センターの間に

細長い8階建ての「アキヤマ・ビル」が建ちました.

ABC放送センターのフルショットが

撮れなくなってしまいした.

中間の「アキヤマ・ビル」からなんとか

広い絵が撮れないものかと考えました。

今から40年ほど前の話です.

写真用品メーカーの「ケンコー」から

35㍉一眼レフ用の魚眼アタッチメントが売り出されて、

私は所持していました.

値段も一万円ぐらいだったでしょうか.




このアタッチメント・レンズを50㍉レンズに付けると

35㍉の画面に円い映像に写りました.

画角は,180度なかったようです.




ABC放送センターは,東側に向けて建てられていたので,

午前中に太陽が正面から当たりました。

「アキヤマ・ビル」8階の窓から,向かいの「ABC放送センター」を見ながら,

各階の窓を覗きながら。降りてきます.

役員室のある4階がバッチリの場所でした.





その写真が「社内報」の表紙になりました。

当時,「社内報」はモノクロでした。



また、同時に撮ったカラーリバーサルは,

「絵はがき」になりました





その魚眼のABC放送センターの絵を見た,

社内のPR係は, ABC放送センターを訪れる

見学客に渡す,パンフレットを

この写真で作りたいと言ってきました.

              … … …

そこで、私は待ってくれとストップをかけました…。







魚眼レンズ・①

2010年04月19日 23時18分39秒 | Weblog



散歩で一休みするところが図書館です.

図書館では,雑誌コーナーで色々な雑誌を見ます.

本の売れ行きが落ちているとはいえ,

いろいろ珍しい雑誌があります.

バードウォッチング関係…珍しい鳥類の写真。

盆栽の雑誌…盆栽の素晴らしい写真

宝塚グラフ…宝塚スターの写真での光線の当て方

などいろいろ趣味の写真に参考になります.




私は,「日本カメラ」「アサヒカメラ」「ラジオ技術」「トランジスター技術」を見ます.


「ラジオ技術」は懐かしい真空管アンプの配線図や記事がいっぱいです.

「日本カメラ」「アサヒカメラ」は銀塩とデジタルの間を揺れ動いています.

プロ作家の口絵写真を見るのは楽しいです.

プロ作家のデータを見ると,銀塩とデジタルが半々ですね。





最近,コンピューター関係の若者向けの「週刊アスキー」を見ます.

私のパソコンは古いDOSから急にWindowsへ環境が変わりました.

なんとかWindowsをマスターしようと読み始めました.

趣味を深めようとすれば,その趣味の関係の雑誌を読むに限ります.

また、その趣味から離れようとすれば,

まず,雑誌を見ないようにすると、離れていきます.




「週刊アスキー」の新製品コーナーが楽しくで有意義です.

新製品のデジカメの記事に,

コンパクトデジタルカメラに,

レンズアタッチメントを取り付けると

180度の円形魚眼写真が撮れるとありました.




図書館の近くの「カメラのキタムラ」に問い合わせると,

取り寄せできます…

出来心で取り寄せてもらいました.

それが、今日の添付写真です





銀塩カメラ,「ニコン一眼レフ」でも

ケンコー製品の魚眼アタッチメントを

使っていましたが,

デジタルコンパクトカメラでも

魚眼アタッチメントを取り寄せてしまいました.







レンズ・コーティング

2010年04月18日 19時49分02秒 | Weblog



カメラのレンズを前からながめると表面が,

琥珀色をしています.

これは、レンズ表面にコーティング処理がされているからです。

光がレンズを通るとレンズ表面で光がいくらか反射します。

反射した分、通過する光量のロスになります。

複雑な構成のレンズでは内部での反射による

フレア、ゴーストの発生が生じます.

これを防ぐために、レンズ(内部のレンズも)にコーティングを

施して不必要な反射を防ぐようにしています。





わたしが「写真研究会」に入部した時分のカメラのレンズは

単層膜コーティング(モノ・コーティング)でした.

レンズを見ると,紫がかった青い色をしていました.

レンズが青く見えるのは,青い光がレンズから反射して

カラーフィルムに十分到達(青い光が)していない

という理屈になります。

青く見えるコーティングレンズで撮った写真は

赤味を帯びるということになります。

              … … …

やがて蒸着技術の向上ととも1952年、

千代田光学(後のコニカミノルタ)によって

世界初の「アクロマチック・コーティング」が開発されました。

その後、カラーバランスを保つのに有利な

重層膜コーティングが主流となっていきます。




最初,コーティングレンズが発売されたとき、

レンズの表面を布で拭くと

「ズルッ…とはがれる」

と噂が流れました.

              … … …

その後、ハードコーテッド、ウルトラ・ハード・コーテッドと

いう強化したコーティングを施したレンズが出現しました.

少々,乱暴にレンズを拭いてもキズがつかないというのですが、

レンズは,触るものではないとカメラマンの意識が徹底して,

レンズの指紋が付いたりしないように、

レンズ保護用に色彩再現に無害な

UVフィルターをかけるようになりました.





UVフィルターをかけたレンズで写真を撮るのは,

ガラス越しのウィンドウを覗いているようなものだから、

フィルターを外して写真を撮ろうというカメラマンがいました.

              … … …

私は,それほどシビアな写真愛好者ではありません.









暗室での失敗

2010年04月17日 18時52分28秒 | Weblog


「写真研究会」は学内の実験棟に暗室がありました。

広い暗室で引伸機、四つ切りのバットが並んでいます。






新入部員が暗室から出てきて,首をかしげています。

「あの現像液はダメですね…」

そんなはずはないと暗室の中に入ります.






現像液,中核浴,定着液の順番にバットが3枚、

並んでいるのですが、

その部員は,真ん中、中間浴(現像停止液)に

引伸機で露光したプリント(印画紙)を浸けてしまったのです.

現像液のバットはアルカリ性で薄茶色をしています.

中間浴と定着液は酸性ですから,酢のような臭いがします.

その臭いでわかるはずですが、その部員は知らなかったのです.





フエロタイプ乾燥機がありました。

現像定着水洗を済ませた印画紙(プリント)を

クロームメッキをしたフェロ板に貼り付けます.

プリントを乗せたフェロ板に新聞紙をかぶせて,その上から,

フェロ板とプリントの間にたまっている空気をゴムローラーで抜きます.

フェロ板をかまぼこ型になった乾燥機に乗せて,帆布をかけます.

スイッチを入れてプリントを電熱で乾燥させます.

しばらくすると,

「パチ…パチ…」

と音がして、プリントが乾燥してきます。.

このフェロタイプ仕上げにはグロッシー印画紙を使います.

なかなか綺麗に仕上がりません.

むらに仕上がったプリントは再び水に浸けて、

ローラーをかけ直して乾燥させます.





同じグロッシーの印画紙でも,印画紙メーカーによって、

かかりにくいもの

割とうまくいく印画紙とありました。

              … … …

私には、フェロタイプ仕上げがうまくいく、フジの

クロロブロマイド紙、ベロナが好きでした.

黒の仕上がりが温黒調でした。

黒が少しセピアというか茶色に傾いた色調です.





当時,学生写真連盟、通称「学連(がくれん)」では、

プリントを黒く焼き込んだ写真が主流で

三菱の印画紙、月光V2を黒く焼き込んだプリントが流行りました.











民間放送始まる

2010年04月16日 19時36分05秒 | Weblog



わが「写真研究会」が、今で,

60年経過しているということは,

1950年に出来たことになります.

私の入学が1951年ですから、クラブの伝統も

これからというとき「写真研究会」の入部になります.





スーパーヘテロダインといって,

受信した電波を局発回路で463㌔サイクル(後に455㌔サイクルになります)の

中間周波数に変換、増幅して検波するという方式です。

分離と感度が良いラジオの方式でした.

              … … …

しかし世の中は,NHKの第1放送,第2放送の

2波とWVTQ の計3波でしたから、

分離も何も必要がありませんでした。






1951年にいよいよ民間放送が始まりました.

コマーシャルが番組の前後について、珍しく新鮮に感じました.

              … … …

地方の商店街が、ラジオで大売り出しのコマーシャルを流したら,

大勢のお客が商店街に押し掛けたとの噂が流れたり,

コマーシャルだけの収入でラジオ局の経営が大丈夫なのかと

心配されていた民間放送が幸先のよいスタートになりました。




毎時の時報にスポンサーがついて,

「精工舎が××時をお知らせします…ポン」

「シチズンが▼▼時をお知らせします…ポン」

とアナウンスが入るのが珍しかったです

              … … …

現在,毎日放送(MBS)の時報にコマーシャルがついています.

              … … …

やっとラジオのダイヤルが賑やかになりました.

次々と,地方の新しいラジオ局が開局していきました.

自作のラジオで遠い地方の放送局の電波を受けて,

受信報告を送ると,開局したラジオ局のコールサインの入った絵はがき大の

QSLカード(受信確認証~ベリカード)を送ってきます。






上のカードでラジオの周波数が1010㌔サイクルになっていますが、

改正でいまは1008㌔ヘルツになっています。











「写真研究会」入部

2010年04月15日 19時13分40秒 | Weblog


いま、私は「写真研究会OB会」に所属しています。

幼いころから何となく写真と付き合ってきました.

学生生活を終えても、何となく写真の灯を消すことなく,

現在まで,続いています.

              … … …

大学の写真クラブ「写真研究会」が来年60年になるので、

記念に何か催すというのです。

私の60年前はどうしていたか、

この間から振り返っています.

私の60年前は,高校2年生でした。



大学は京都市の北、金閣寺の近くの立命館理工学部です。

学校は,田圃や畑の広い場所にありました。

名刹「等持院」の前を北へ向かったところに、校門がありました。

教室は木造校舎です。化学,機械,電気、の実験棟も木造でした。

化学科の学生は,白衣を着て、なかなか格好良かったです。

女子学生は,数物科と化学科に少しいるだけでした




入学の日,クラブ活動の入部勧誘の机を並べて

「わがクラブへどうぞ…」

先輩が通り過ぎる新入生に呼びかけています.

私は迷わず、写真研究会に入部しました.

私の在学中に,木造校舎の後に鉄筋の

階段教室が建設されました。

校舎の間に挟まって木造の小さな学食がありました。

この機会に,木造の学食をつぶして、

もっと広い場所に新築、移転して

経営も変わるということになりました。

木造の学食の経営者が、壁に張り紙を出して,

学生に何とかしてくれと訴えていました.




いま、OB会でメンバーの,Tさん、Hさん

Nさんに「写真研究会」で出会いました。


近くに観客席が木造の衣笠球場がありました.

いつも外に馬が繋がれていた馬術部の馬小屋がありました。

近くに,民放のラジオ京都(JOBR)の指向性送信アンテナが

聳えていました.

              … … …

当時の私は,市電かバスで三条四条へ出て,映画を見るか,

酒でも呑むか,読書でもするか,趣味の写真でも撮るか,

のんびりしたものでした









暗室作業 ②

2010年04月14日 18時39分32秒 | Weblog



N君の親父さんが数量にかかわらず受け取ってきたネガフィルムを現像して,

約束の時間に手札(L判)に仕上げなくてはなりません。

時間に間に合わなければホテルのアメリカ兵は、

受け取れないまま,帰国しなくてはなりません.

暗室の中で仕事をしている私たちは、時間に追われていました。




引伸し印画紙には,

2号(軟調)→3号,4号(硬調)とあります。

              … … …

趣味の写真で時間をかけてプリントするときは,

軟調(2号)の印画紙をなるべく使います.

しかし,コントラストの低い眠たい調子の

プリントになることがあります。

そこを何とか,工夫をして再度挑戦します.

              … … …

時間に追われた仕事では確実にプリントしなくてはなりません.

引伸機で固定マスクに投射した反転したネガの調子を見て,

2号か3号か瞬間に決めます.

間違いなくプリントするには,

3号の方が良いのですが,

これは好みの問題かもわかりませんが

少しプリントの調子が固くなります





このアルバイトが終わるころには,

プリントのスピードが随分早くなりました.

プロの写真機店の暗室の仕事が経験できたのですから

ありがたいことでした.

            … … …

現像バットの隣のショートストップのバットに印画紙がたまると,

大きな定着液のバットに移します.

プリントが定着液のバットに沈むと,少し刺激のある臭いがします.

印画紙の感光していない銀塩が流されて,

プリントのコントラストがついて、

黒の締まった調子になります.

最後の仕上げの水洗で、一層調子が出てきます.





バライタ印画紙の種類は,グロッシー(光沢面)のほかに

微粒面,半光沢などありますが、水洗時間が短くて,

回転乾燥機で短期間に仕上がるので,

急ぎの仕事や,写真機店の仕上げでは,

特に注文しない限り,グロッシーで仕上げます。

グロッシーに比べて,微粒面,半光沢のプリントは,

軟調の仕上がりになる傾向があります。









暗室作業 ①

2010年04月13日 20時21分27秒 | Weblog


暗室で,引伸機の前に座ります.

いよいよ作業開始です.

引伸機は藤本ラッキーの2Bです。

この機械はライカのフォコマートを

手本にして作ったのか

よく似ています.




ランプハウスの上下は,スプリングでバランスをとった,

パンタグラフで行います.

現像済みのネガフィルムを金属製のネガキャリアに挟んで

引伸機に装填します.

引伸機のレンズを開放にして,

ネガフィルムをプリントサイズ合わせて,

フォーカスをとります。

ランプハウスを固定するツマミが

パンタグラフについていますが,

固く閉めないで、少し緩くしておきます.





引き伸ばしレンズの下には、手札仕上げが主ですから,

鋳物製の固定マスクが置いてあります.

いったんランプハウスのスイッチを切って、

マスクに印画紙を入れます.

再びランプを点灯して,

「1…2…3…」

と頭で勘定して、ランプを消します.




固定マスクのボタンを押すと

マスクの部分が跳ね上がります.

露光済みのプリントを

引伸機の隣に置いてある現像液の入った

バットに入れます.





その際,プリントを斜め下に向けて,

現像液に潜るように入れます.

そうすると、印画紙はバットの中にすっと入っていきます.

正直に平らにバットに入れようとすると,

現像液にプリントが浮かんで、竹ピンセットで液の中へ

押し込まないと入りません。余計な手間が一つ増えます.

              … … ….

手順を文章にすると面倒くさいようですが,

大したことはありません.




やがて、現像液の中で,印画紙に写真が浮かび上がってきます.

適当と思える濃度になったところで、

隣のショートストップ液の入った

バットに移します

              … … ….

オレンジ色の暗室ランプの下で見る、

写真は少し,濃く見えます。

しかし,少し濃い目に仕上げないと

明るいところでは薄い仕上がりになってしまいます。










アルバイト開始

2010年04月12日 19時20分27秒 | Weblog



朝からの雨です。予報では降水率90%です

花散らしの雨といっています.

              … … …

いよいよアルバイト初日を迎えました.

朝,N君に仕事場の暗室に案内と説明を受けました.

暗室の広さは,八畳の間ぐらいでした.

印画紙に感光しない、オレンジ色(薄茶色)のセーフライト(暗室ランプ)が

あちこちについていて,

思っていた以上に明るい室内(暗室)でした。





暗室の片側に、ラッキー2B引伸機が3台並んでいました。

3人で引伸プリントをするのです。

              … … …

それぞれの引伸機の間に2枚のバットが並んでいます.

引伸機に近い方に、印画紙現像液(アルカリ性)が入っています.

そして、その隣のバットは,酢酸(酸性)の入った

ショートストップ(中間浴)が置いてあります.

ネガ現像を済ませて乾燥したフィルムを金属製のネガキャリアに挟んで

引伸機に装填します。そしてフットスイッチ(足踏みスイッチ)で

ランプを点灯して印画紙に露光(焼き付け)します。

その印画紙をまず現像液に浸けます.

現像の進行を見て,印画紙を隣の中間浴に入れると、

現像の進行はストップします。

露光した印画紙を現像してドンドン中間浴に入れていきます.

中間浴のプリントがたまると,アルバイトの女の子が

部屋の隅に置いてある定着液(酸性)に入れて,

竹のピンセットでむらなく適当に動かしています.

これでプリントの現像処理は終わりです.






処理の済んだ印画紙を、流しに置いてある,

金網のバスケットに入れます.

そして、30分ほど攪拌と流水で水洗を済ませると

プリントした印画紙の処理は終わりです.

              … … …

水洗処理が終わるころ,引伸ばしプリントをしていた、

われわれも仕事が終わっています.

暗室の外はかなり陽が傾いています

水洗で濡れたままのプリント印画紙を、

回転乾燥機で艶出し乾燥にかかります.





乾燥機のピカピカの鏡のようなドラムから

乾燥したプリントが次々と出てきます.

              … … …

ネガフィルムの番号と引き伸ばしプリントの際に鉛筆で記入した

プリント番号を照合して袋に入れて,

今日のわれわれの仕事は完了です.

              … … …

N君の父親はプリントの袋を束ねて、

京都蹴上げのホテルに持っていきます.

約束の時間に十分間に合います







高校時代のアルバイト

2010年04月11日 18時43分39秒 | Weblog



私の押し入れ暗室は軌道に乗ってきました.

一応,ネガフィルムの現像も,

ネガから直にプリントする密着プリント,

引伸機の引伸プリントも手慣れてきました.





高校の写真クラブの友人、N君が夏休みに

うちでアルバイトしないかと誘われました.

友人,N君の父親は,商売熱心の人で,

京都寺町で写真機店を経営していました.




当時,朝鮮戦争が始まっていました。

国連軍として参加した米兵が,任期が終わって祖国に帰ります.

祖国に帰る米兵は京都・蹴上げのホテルで泊まってから帰るという

スケジュールでした。




その米兵が撮った写真の仕上げを

N君の父親は注文をとってきました.

前日注文を受けて翌日の夕方に仕上げて渡すという

超スピードの仕上げです。

猫の手も借りたい状態でした。

ネガフィルムの現像は店員がするから、

私に暗室で,手札の引き伸ばしプリントを

やってくれというアルバイトです.




私は一応,暗室は理解していましたが、

写真機店のプロの仕事はやったことがありません.

              … … …

朝,9時に暗室に入ります.昼食の休憩後、再び暗室に入ります.

暗室作業が一段落して暗室から出てくると

外は,陽がすっかり落ちています。

晴天の日,雨天の日,外は明るい昼間に

仕事は暗い暗室の中です。

なんと、すごい仕事だなあと感じました.