■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-1 上杉神社へのアプローチ 伝国の杜
「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。
とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。
皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。
私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。
素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。
米沢市 2-1
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公式サイト パンフレット 関連記事(秘) |
■ 米沢市(よねざわし)
山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。
鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。
米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。
また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。
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米沢市資料より |
米沢市 上杉神社へのアプローチ |
米沢市 伝国の杜 |
■ 伝国の杜・米沢市上杉博物館
米沢藩の歴史・文化を中心テーマとした博物館のある一帯を「伝国の杜(でんこくのもり)」といいます。
「伝国の杜(でんこくのもり)」」は、平成13年9月29日、山形県米沢市に博物館・文化施設として誕生しました。
博物館には、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」や「上杉家文書」など、数千に及ぶ米沢藩や上杉家にゆかりの文化財が収蔵されています。この施設は県立の「置賜文化ホール」と、市立の「米沢市上杉博物館」の2つが合築されました。 「置賜文化ホール」では音楽、演劇など催しものを開催しております。
常設展示室には、上杉の歴史と文化を中心とした「江戸時代の置賜・米沢」を主軸に展示されています。
営業期間 開館:9:00~17:00 入館は16:30まで 休館:4月~11月 第4水曜日、12月~3月 月曜が休日の場合はその直後の平日 12月29日~1月3日 (年末年始)、館内整理日(不定)
所在地 〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-2-1
交通アクセス 米沢駅からバスで12分
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■ 伝国の杜 でんこくのもり
上杉鷹山の「伝国の辞(でんこくのじ)」をもとに命名されました。
伝国の辞とは、鷹山(藩主の時は「治憲」)が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得です。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日 治憲 花押 <鷹山の花押(署名)>
治広殿 机前 <鷹山から次期藩主・上杉治広へ>
意訳は、以下の通りです。
一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。
この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。
伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されました。
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米沢市上杉博物館
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博物館正面玄関上の看板
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上杉謙信公祠堂跡からみた伝国の杜・上杉博物館
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↑ 拡大
旧米沢高等工業学校は山形大学工学部の前身で
米沢市民の誇りでもあるようです
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