【きょうの人】 0824 ■ 石川 五右衛門 絶景かな ■ 瀧 廉太郎 黎明期の作曲家 ■ 若山 牧水 戦前日本におけます代表的な歌人の一人
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 瀧 廉太郎 黎明期の作曲家
たき れんたろう
1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日
日本の音楽家、作曲家で、明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人です。一般的には「瀧」は「滝」と表記されることも多く、「荒城の月」という名曲と共に、日本人には親しまれています。
父・吉弘は大蔵省から内務省に転じ、大久保利通や伊藤博文らのもとで内務官僚として勤めた後、地方官として神奈川県や大分県竹田市などを移り住んだため、廉太郎も生後間もなくから各地を回ることになりました。竹田は、荒城の月を生んだ地と言われています。
作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばし、「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」など、私達に馴染み深い童謡作品を多数作っています。
■ 若山 牧水 戦前日本におけます代表的な歌人の一人
わかやま ぼくすい
1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日
戦前日本におけます代表的な歌人の一人で、本名は、繁(しげる)です。
牧水の名前の由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものです。「牧」は「まき」、即ち母の名です。「水」は、生家の周りにある渓や雨やからとったものです。
1904年(明治37年)に、早稲田大学に入学、同級生の北原白秋や中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれました。
1911年(明治44年)に創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰しました。この年、歌人・太田水穂を頼って塩尻より上京していた歌人・太田喜志子(1888-1968)と水穂宅にて知り合い、のちに結婚します。
1920年(大正9年)に、沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住しました。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させました。
今日、沼津に千本松原を拝めるのは、牧水のおかげと言えます。
翌1928年9月に、日光浴による足の裏の火傷と下痢・発熱を起こし、その結果、全身が衰弱し、急性胃腸炎と肝硬変を併発して自宅で亡くなりました。
■ 石川 五右衛門 絶景かな
いしかわ ごえもん
生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日)
安土桃山時代の盗賊の首長で、文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺されました。
見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されました。その時代では、一般的であったようです。
釜風呂で有名な五右衛門風呂は、その極刑に由来するものといわれています。
従来その実在が疑問視されていましたが、イエズス会の宣教師の日記の中に、その人物の実在を思わせる記述が見つかり、また、江戸時代に創作材料として盛んに利用されたことで、高い知名度を得たようです。
京都南禅寺の山門から、京都市内を見渡し、「絶景かな、絶景かな」という台詞を残したことはよく知られています。
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。