【きょうの人】 0419 上杉 謙信 没 戦国武将、関東管領
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■ 上杉 謙信 没 戦国武将、関東管領
うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)
享禄3年1月21日(1530年2月18日)(グレゴリオ暦1530年2月28日)-天正6年3月13日(1578年4月19日)
戦国時代の越後国の大名で、後に山内上杉家16代当主となります。武田信玄と並ぶ、戦国時代でも屈指の戦上手といわれ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称されました。
越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)でした。
1561年(景虎31歳)の折に、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られました。「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられて、上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名したのです。
上杉氏が、世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継ぎました。
後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱として「輝」の1字を受けて、最終的には輝虎と名乗りました。謙信は、さらに後に称した法号です。
内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させたのですから、単なる戦国武将ではなかったのです。
他国から救援を要請されますと、黙っていられない聖覚で、秩序回復を掲げ、幾度となく出兵しました。
闘った相手は、武田信玄だけではなく、北条氏康や織田信長、また、越中一向一揆にも遭遇しています。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られています。
さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へと勢力を拡大しましたが、48歳で死去しました。
謙信には実子がなく、死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発しました。
「道理をもって誰にでも力を貸す」と、『白河風土記』に述べられています。私達経営コンサルタントの心得の一つに繋がります。
謙信が敵将武田信玄に塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれましたが、本当に塩を送ったのかどうかの真偽の程は解明されていないようです。
上杉神社
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