経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 デパート業界は必死で収益拡大をめざす C20

2023-12-20 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

 

  【経営コンサルタントの独り言】 デパート業界は必死で収益拡大をめざす C20

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ デパート業界は必死で収益拡大をめざす C20

 

「越前屋、おぬし悪よの~~」  と悪役として出てくる越前屋と間違えられそうな「越後屋」は、三越デパートの前身です。

 1904(明治37)年12月20日に、東京・日本橋にあった三井呉服店が「三越呉服店」と改称して、日本で最初のデパートが誕生しました。

 現在の商号である「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったものであることは、誰もが想像できます。

 子供の頃、デパートと言いますと、お子様ランチとおもちゃ売り場、屋上の遊園地というイメージです。

 12月20日は、「デパート開業の日」ですが、1991年のこの日に、トイザらスが日本上陸をした日です。

 クリスマス商戦で、おもちゃ売り場の売り上げをゴッソリと持って行かれる契機ともなり、その後、ネット通販にも顧客を取られ、苦戦の時代に入ってしまいました。

 

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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■■杉浦日向子の江戸塾 16 江戸情緒に学ぶ 深川飯とぶっかけ飯

2023-12-20 12:03:00 | 杉浦日向子の江戸塾

■■杉浦日向子の江戸塾 16 江戸情緒に学ぶ 深川飯とぶっかけ飯

 江戸のエコや風俗習慣などから、現代人は、エコという観点に絞っても学ぶところが多いと思っています。杉浦日向子の江戸塾から学ぶところは多く、話のネタとなります。エッセイ風というと大げさになりますが、独断と偏見で紹介してみたいと思います。

 私がはじめて杉浦日向子女史を知ったのは、「お江戸でござる」というNHKの番組でした。お酒が好きで、飾らない人柄、江戸時代に生きていたかのような話しぶり、そこから江戸のことを知ると、われわれ現代人に反省の機会が増えるような気がします。

■ 深川飯とぶっかけ飯

 東京以外の人には、深川という地名はあまり馴染みがないかも知れません。深川というのは、東京の東、江東区深川といい、「江戸の下町」の風情を残す地の一つといえます。

 最近、深川というと、あさりの汁をぶっかけた「深川飯(ふかがわめし)」で有名です。深川めしというのは漁師のまかない食で、すなわち労働者の食べ物だったのです。もっとも「深川飯」というのは近年売り出しのためにつけられた名称で、それまでは「あさり飯」と言っていました。

 ただし、あさり飯を女の子は食べてはいけないと言われていました。あさり飯のような「ぶっかけ飯」を食べると、嫁入りの日に雨がふるって言われていたのです。そもそもが労働者の食べ物ですから、女の子が食べる機会は少なかったようです。どうしてもあさり飯のような「めし」を食べたいときには炊き込みご飯にしたそうです。

Wikipedia

 深川めし(ふかがわ - )は、アサリのむき身を味噌汁の具にしたものを、茶碗や丼にのせた米飯にかけたものである。 気の短い江戸っ子の漁師が飯と汁物を一緒に食べる為に考案された。あさりの産地ではポピュラーなものだが、東京の深川が代表格であり、「深川めし」と呼ばれている。なお、近年増え始めた深川めし屋は炊き込みタイプの上品なものとなっている。

 アサリは、他の具(長葱・油揚げなど)とともに醤油などで味付けをして煮る。その後、煮汁でご飯を炊き、炊き上がったら具を戻してかきまぜてできあがり。炊き込みご飯ではあるが、アサリそのものをご飯と一緒に炊き込むわけではない。

<続く> 次回掲載をお楽しみに

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月19日 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

2023-12-20 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月19日 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 私の後進として会社を託した竹根好助の経営コンサルタント起業経験や、その会社の日常業務、自分の思いなどを「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」として連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 今年も余すところ10日あまりになりました。

 気分的にゆとりが出てきたり、逆にむしゃくしゃするようなことがあったりしますと、無性に【カシャリ!一人旅】が恋しくなります。

 年末近くになり、慌ただしい中、ホッとする時間が欲しくなり、【カシャリ!一人旅】を紐解いてみました。

 

◆奈良 薬師寺でカシャリひとり旅

 

 

 

奈良  薬師寺 
公式サイト パンフレット 関連資料(秘)  

■ 薬師寺の概要

 薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町にあります法相宗大本山の寺院で、南都七大寺の1つに数えられています。本尊は薬師如来です。

 1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」が、ユネスコより世界遺産として認められましたが、薬師寺は、その構成資産の1つです。

 天武天皇9年(680)に、天武天皇が皇后であります鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。

 しかし、天武天皇自身は、薬師寺の完成を待たずに崩御され、皇后が、持統天皇として即位しました。その時に、新都藤原京に、薬師寺が造営されたのです。697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、710年に、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われ、それにともなって薬師寺も現在地へ遷りました。

 天平時代まで、天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。

 しかし、多くの寺院がそうでありますように、薬師寺も多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。唯一創建時から現存するのが国宝・東塔です。

 昭和43年(1968)、管主・高田好胤和上の発願で、写経勧進などによる白鳳伽藍復興が開始されました。高田管長は、全国を行脚し、昭和51年(1976)に目標を達成し、金堂が落慶されました。

 現在では、西塔(さいとう)、中門、回廊、大講堂、食堂(じきどう)など白鳳伽藍の主要な堂塔はほぼ復興され、いにしえの大伽藍がよみがえっています。
 

■ アクセス・拝観

電車
 近鉄西ノ京駅より徒歩1分
 近鉄京都駅・近鉄大阪難波駅から大和西大寺経由 西ノ京駅まで約40分 近鉄大和西大寺駅
 JR奈良駅からバスで30分ほど

普通車(全長5m未満 高さ2.7m未満)500円(1回)

拝観 午前8時30分~午後5時 1,100円(1,600円)

 

 

 奈良薬師寺  概要
 奈良薬師寺白鳳伽藍 1   食堂・不動堂・東西僧坊・聚寶館 
 奈良薬師寺白鳳伽藍 2   大講堂・金堂・鐘楼
 奈良薬師寺白鳳伽藍 3   東塔・西塔
 奈良薬師寺白鳳伽藍 4   中門・回廊・東院堂
 奈良薬師寺玄奘三蔵院伽藍   玄奘塔・大塔西域壁画殿
   カシャリ!一人旅 インデックス    

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

 混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 このようにおっしゃっているのは、経営コンサルタント業界の開拓者・日本経営士協会の理事長経験者であります藤原先生です。

 論語は、人生の生き方に大きな示唆を与えるだけではなく、企業経営のあり方やそこでの人との接し方の参考になることが多いのですね。

 藤原先生は、ご自身も実践し、それをまた私達に教えてくださっています。

 まだ、ご覧でない方は、是非、参考になさってください。

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/080dcbfb77013b3f7c223a00c992c953

 

【一言追加】

 人生50年といわれた時代もありますが、ロシア人の平均寿命は50歳代なのだそうです。
 日本女性は100歳にまで平均寿命が伸びるのではないかという勢いです。

 定年が60歳としますと、それまで働いていた時間と同じくらい、残された人生があるのです。
 「第二の人生」という言葉に相応しい時間長です。
 それをどう生きるかによって、自分の人生に変化を持たせることができますね。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る


■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【きょうの人】 1220 藤堂高次 江戸城本丸消失後の復興 日光大猷院石垣普請

2023-12-20 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

 

  【きょうの人】 1220 藤堂高次 江戸城本丸消失後の復興 日光大猷院石垣普請

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 藤堂高次 江戸城本丸消失後の復興 日光大猷院石垣普請


 とうどうたかつぐ
 慶長6年閏11月11日(1602年1月4日)-延宝4年11月16日(1676年12月20日)


 藤堂高虎を父に持ち、幼名「大助」で、徳川家光や家綱までの時代の武将です。

 父、高虎には、なかなか実子ができなかったため、丹羽長秀の子を養嗣子・高吉として迎えていました。

 幸い、高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれ、寛永7年(1630年)、高虎が病死すると、高次がそのあとを継ぎました。

 寛永9年(1632年)の江戸城二の丸、寛永16年(1639年)の江戸城本丸消失後の復興、慶安5年(1652年)の日光の大猷院霊廟(だいゆういん、徳川家光の霊廟)などの数多くの石垣普請を行いました。

 ところが津藩はこれらの石垣普請の負担により財政が極度に悪化し、高次は年貢増収による財政再建を図って新田開発を積極的に奨励するなどの改革に努めました。

 しかしなおも江戸幕府の普請費用を積極的に負担したため、財政はさらに悪化の一途をたどっていきました。

 寛文9年(1669年)、隠居して家督を長男の高久に譲り、延宝4年11月16日(1676年12月20日)に死去しました。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

2023-12-19 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

 

  【経営コンサルタントの独り言】 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

 

 混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 このようにおっしゃっているのは、経営コンサルタント業界の開拓者・日本経営士協会の理事長経験者であります藤原先生です。

 論語は、人生の生き方に大きな示唆を与えるだけではなく、企業経営のあり方やそこでの人との接し方の参考になることが多いのですね。

 藤原先生は、それを私達に教えてくださっています。

 今回は、私の好きな部分でもあり、以前にもご紹介したのですが、多数の方からアクセスを戴きました。

 まだ、ご覧でない方は、是非、参考になさってください。

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/080dcbfb77013b3f7c223a00c992c953

 

【一言追加】

 人生50年といわれた時代もありますが、ロシア人の平均寿命は50歳代なのだそうです。
 日本女性は100歳にまで平均寿命が伸びるのではないかという勢いです。

 定年が60歳としますと、それまで働いていた時間と同じくらい、残された人生があるのです。
 「第二の人生」という言葉に相応しい時間長です。
 それをどう生きるかによって、自分の人生に変化を持たせることができますね。

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◆ ツイッターでのつぶやき 

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【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 山寺(立石寺)9  160180

2023-12-19 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 山寺(立石寺)9 観明院と修行者のための胎内堂 160180

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 山形県山形市 山寺(立石寺)9 観明院と修行者のための胎内堂

    https://www.rissyakuji.jp/

 「山寺」(やまでら)は、正式には「宝珠山立石寺」といいます。山形市より仙山線で北東方向に行った所にあります。

 奈良時代に開かれたと伝わる寺院で、東北を代表する霊山で、その岩山・絶壁に沿って多くのお堂が建てられています。途中に自然の岩肌、そして見上げる奥の院、そして五大堂からの眺望など風光明媚な景勝地として国指定名勝となっています。

 山形駅から仙山線で20分ほどで山寺駅に着きます。ホームから、堂于や岩肌が見え、思わずシャッターを切ってしまいます。参道へは、4本ほどの入り口がありますが、一番奥の参道入り口まで徒歩10分のところから登り始めます。「登山口」という立て看板があることからも、お寺参りと言うよりは登山なのだと認識した方がよろしいでしょう。

 石段を見上げますと、この先、並々ならぬ道のりであるという思いと、その背景に見える堂于に対する期待とが交錯します。石段を登り切りますと、最初に現れるのが根本中堂です。室町時代に初代山形城主・斯波兼頼が再建し、国指定重要文化財となっています。

 根本中堂から、西に向かう参道を進むと、芭蕉の有名な『閑さや 巌にしみ入る 蝉の声』という句碑や清和天皇御宝塔、日枝神社があります。その先にあるのが鎌倉時代に造られたとされる山門で、ここで入山料をお支払いします。ここから奥の院まで、1000段の石段があり、健脚な人なら30分でたどり着くと言われます。

 参道沿いにある堂宇や塚などで写真をとったりする私は、普通の参詣者の3倍の時間がかかります。

 参道のほぼ真ん中あたりにあるのがせみ塚です。そこからしばらく登りますと弥陀堂、仁王門があります。右手に修行のいわば胎内道などを山腹に見ながら、観明院にたどり着き、不徳ながら、そこの縁に腰を下ろして一休みをしました。

 その正面を見上げますと、開山堂・五大堂です。「五大堂」からの風景は絶景で、月並みな表現になってしまいますが、それまでの疲れが一気に吹き飛んだ気がします。そこでゆっくりとしたいところですが、座るところがありません。そこにあるのは、心ない人による落書きで、大変なる興ざめでした。

 半世紀前に来たときには一気に五大堂まで登ってきましたが、健脚な人なら20分ほどでたどり着けるでしょうが、私は1時間以上もかけて登りました。

 そこから、一切経堂や最上義光御霊廟に寄り道をしてから奥之院と大仏殿を参詣して下山の途につきました。

 下山口から西に進んだところに立石寺本坊があります。その手前に小さな池があり、門をくぐると本坊前の枯山水庭園が見えてきました。山々を借景にしたこじんまりとした庭園でした。

 庭園を見てから、対面石のところにある茶屋で食事をしてから、山形のホテルに戻りました。紅葉が処々に残る11月末の参詣でした。

■ アクセス  

 山形駅-山寺駅 20分弱

 JR仙山線 山寺駅より参道入口まで徒歩10分

 〒999-3301 山形県山形市山寺4456-1 

 

根本中堂から「山寺」の入り口、「山門」をくぐり、

姥堂や四寸道をまわり、せみ塚で一休みをしてから

弥陀洞の自然の力を運慶の仁王像に驚きながら、

階段を登ってゆきました。

 

仁王門から石段上方を見上げる

右:観明院 正面:売店

 

 仁王門をくぐってから、

右手に修行のいわば胎内道などを山腹に見ながら、

石段を登ってゆきます。

 

観明院

 

 観明院は、立石寺に古くからある支院ではありません。

 

観明院のご本尊

 

観明院にたどり着くと、

不徳ながら、そこの縁に腰を下ろして一休みをしました。

 

観明院から百丈岩を見上げますと、

正面に百丈岩の一部が見え、

その上にある堂于が開山堂と五大堂です。

 

修行の岩場 胎内堂

 

仁王門から観明院への階段から右手を見ますと、

谷を挟んで大きな岩場と堂于が見えます。

 

修行の岩場と胎内堂、そこへゆくための木造の橋が見えます。

そこに架かる橋は、遠目に見ますと、

今にも足元の木が折れそうにさえ見える、

古さを持っています。

 

胎内堂

 

胎内堂へは、岩の間を這うようにして

進まなければならないことから

この名前が付けられました。

正面の岩に巌をかさねた岩場は、釈迦が峰といい、

今では修行者以外の登山は禁じられています。

 

胎内堂上に見える六観音

 

六観音

 

 

倶利地羅不動

 

観明院から売店への石段の途中にあります。

 

<次号に続く>

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月18日 25 説得の質を高めて納得に導く B101

2023-12-19 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月18日 25 説得の質を高めて納得に導く B101

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 ウォーキング・シューズを新しくしました。

 高級品ではないですが、「足元は大切」という言葉があるように、ウォーキングには、靴が大切だということを実感しました。

 それまでは、ジョギング・シューズもウォーキングには併用できるだろうと考え、早朝ウォーキングにジョギング・シューズを履いていました。

 ところが、今朝、ウォーキング・シューズをはいて、歩いてみて、ウォーキング・シューズとジョギング・シューズは別物であることを実感しました。

 

 ウォーキング・シューズをはいた時に、「安定性が良くない」、この靴を買って失敗したかな、と一瞬思いました。

 歩き出してみると、つま先部分が上がっているので、後ろに蹴る時に力が加わる感じがしました。

 かかと部分のクッションが良いので、膝などへの悪影響も少ないように思えました。

 まだ、馴れないせいか、左右方向へのバランスが悪いような気がしますが、おおむね満足できる結果です。

 以前、ホーキンスの高級ウォーキング・シューズを買った時に、満足感が高かったことを思い出し、次回購入する時は、再びホーキンスにしてみようと思った次第です。

 

 竹根に経営を委ねた自社のクライアントの社長の友人が経営する企業で、社員に講話をお願いしたいと言われていました。

 これまでも、このようなことは何度も行ってきているので、出かけてゆきました。

 皆さんが、熱心に耳を傾けてくれました。

 

■ 25 説得の質を高めて納得に導く B101

 こちら側の主張を、相手が全て同意してくるわけではありません。説得しようとこちらが躍起になっても、相手にその気がなかったり、それなりの事情がありますと、よい提案にも耳を貸してくれません。

 難しい問題ほど、1回で、同意にたどり着こうとせず、時間や場所を変えて説得に努めます。それをステップを踏んで行う手順をご紹介します。

◇ ステップ1
 まずは、相手の状況を再度見直してみて、その状況次第で、対応を考えてみましょう。

◇ ステップ2
 相手に特別な事情がない場合には、双方の言い分を対照表に整理してみます。各項目に重要度や緊急性の評価欄を設け、点数を記入記します。
 重要度や評価欄の値をもとに、重点順位順に並べ替えます。

◇ ステップ3
 両者の共通点を検討し、それに付帯する項目を追記し、次回の面談時に、それを相手にぶつけて、理解を深めます。

◇ ステップ4
 一方で、相違点につきましては、下記を検討します。
  なぜ、相違してしまうのか、両者に歩み寄りの余地はないのか、
  当方からの歩み寄りをするとしたら、どの様に相手にぶつけたらよいのか、
  先方に歩み寄りをしてもらう場合には、どの様に相手に切り込むのか

  ◇ ステップ5
 これらを、二度・三度と繰り返しているうちに、落とし所にたどり着くでしょう。


 重要なことは、説得をするだけではなく、相手の納得に至るように努力をします。

 相手に自分の考えを理解していただくためには、こちらからの一方的な押しつけではなく、上述のように、フレキシビリティをもった対応が基本です。

 どのようなことがあっても、感情的になり、「何で俺の言うことをわかってくれないのだろうか」といきり立ったりしては、こちらの負けです。

 相手を説得することは、ゲームのようなもので、こちらの戦略・戦術がよくなければ、相手を説得し、納得していただくことは不可能です。むしろ、ゲームとして、楽しむくらいのつもりで、共通相違比較表を改善していってはいかがでしょうか。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

四字熟語で経営が解るようになる C18

 

 四字熟語というのは、漢字4文字で構成された熟語で、中国の故事などに基づくことが多々あります。それを経営コンサルタント歴40年余の目で見るといずれも経営に直結する示唆の多いことに気がつきました。

『新明解四字熟語辞典』(三省堂 1998年)では、凡例で以下のように漢字四字熟語を6つに分類しています。

 

  ◇現代社会 - 官官接待、総量規制など

  ◇日本の成句 - 手前味噌、手練手管など

    (「てまえみそ」「てれんてくだ」のように

     音読みしないものが多い)

  ◇中国典籍 - 臥薪嘗胆、櫛風沐雨など

  ◇仏教語 - 色即是空、四苦八苦など

  ◇之入り - 背水之陣、一炊之夢など

    (通常は「背水の陣」「一炊の夢」と表記する)

  ◇訓読語 - 灯火可親、先従隗始など

    (通常は「灯火親しむべし」

    「先づ隗より始めよ」と訓読される

 

 これらの中には、経営に大きな示唆を与えるものが結構あります。その中から厳選し、永い経営コンサルタント歴をもとに独断論をまとめてみました。
                  経営四字熟語

 

 

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】
 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。

 <続く>
 
【バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑

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■【きょうの人】 1219 ■ 直江兼続 「愛」の兜で米沢藩家老として尽力 ■ ベーリング  探検家 ベーリング海峡を発見

2023-12-19 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

■【きょうの人】 1219 ■ 直江兼続 「愛」の兜で米沢藩家老として尽力 ■ ベーリング  探検家 ベーリング海峡を発見

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 直江兼続 「愛」の兜で米沢藩家老として尽力


 なおえ かねつぐ
 永禄3年(1560年)-元和5年12月19日(1620年1月23日)


 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、米沢藩(主君 上杉景勝)の家老を務めました。

 NHK大河ドラマでも、その兜の立物「愛字に端雲の立物」は有名です。また、兼続は、お船の方を最後まで愛し側室を迎えず正室だけを妻に迎えたことでも知られています。


 兼続については、資料も乏しく、諸説入り混じっています。

 永禄7年(1564年)に上田長尾家当主の政景が死去した時、上杉輝虎(謙信)の養子となった政景の子・顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入りました。仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の要望を受け、景勝の小姓を経て、側近として仕えました。

 武田家滅亡の折には、信濃衆との取次を行うなどから頭角を現し、豊臣時代には、内政・外交の取次のほとんどを担うようになり、家老として景勝との二頭政治に近いものが行われました。

 豊臣政権下で、当時戦乱で疲弊した越後を立て直そうと兼続は農民に新しい田畑の開墾を奨励し、新田開発が進み、それが現在の「米所新潟」の礎となりました。兼続の施策は越後に謙信の時代に劣らぬ繁栄をもたらし、後に上杉鷹山が米沢藩建て直しの参考に繋がったといわれています。

 秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封された際、兼続には出羽米沢に6万石の所領が与えられました。

 関ヶ原直前、兼続が景勝に無断で年貢を持ち出し、堀秀治が上杉家謀反を家康に訴えました。家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌に景勝が送った書簡が、有名な「直江状」です。これが、関ヶ原の戦いのきっかけとなる会津征伐を家康に決意させたとされていますが、偽文書とも、大幅改竄された文書ともいわれています。

 景勝が五大老の一人として秀吉方で闘った上杉家ですが、関ヶ原後、慶長6年(1601年)、兼続は景勝とともに上洛して家康に謝罪しました。この時に罪が赦され、景勝は、兼続の所領であった出羽米沢30万石へ減移封となり、上杉家の存続ができました。

 その後は徳川家に忠誠を誓い、兼続は重光と改名、家老として、新たな土地の開墾を進めるために治水事業に力を入れるなど、藩政改革を進めました。

 

■ ベーリング  探検家 ベーリング海峡を発見

 Vitus Jonassen Bering
 1681年8月 - 1741年12月19日(ユリウス暦12月8日)

 デンマークのホーセンス生まれのロシア帝国の航海士で、探検家として知られています。

 アムステルダムの学校を卒業し、東インドへの旅の後、ロシア海軍に入隊、大北方戦争ではバルチック艦隊(バルト艦隊)の一員として戦いました。また、オスマン帝国との戦争でも闘っています。

 2回のカムチャツカ探検を率いて、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを確認しました。また、アラスカに到達し、アリューシャン列島(アレウト諸島)の一部を発見しました。

 ベーリングの名にちなんだものに、ベーリング海、ベーリング海峡、ベーリング島、ベーリング地峡などがあります。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】  四字熟語で経営が解るようになる C18

2023-12-18 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

 

  【経営コンサルタントの独り言】  四字熟語で経営が解るようになる C18

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 四字熟語で経営が解るようになる C18

 

 四字熟語というのは、漢字4文字で構成された熟語で、中国の故事などに基づくことが多々あります。それを経営コンサルタント歴40年余の目で見るといずれも経営に直結する示唆の多いことに気がつきました。

『新明解四字熟語辞典』(三省堂 1998年)では、凡例で以下のように漢字四字熟語を6つに分類しています。

 

  ◇現代社会 - 官官接待、総量規制など

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015

2023-12-18 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015 


 薬師公園に国分寺薬師堂と本堂裏に庭園があります。もともとは山形城主・松平忠弘が作庭した『旧宝幢寺庭園(もみじ公園)』にあった本堂が移築されました。

 大きな堂宇の裏に弁天池のある庭園があります。明治時代の1884年に、県令・三島通庸が開いた『千歳園』の名残です。

 国分寺の創建は、天平13年(741)、聖武天皇が仏教による国家鎮護のために、国司や郡司に詔を発して建立させた寺院です。創建時には別の場所にあり、その場所は不明ですが、伝承によれば、平安時代末期から鎌倉時代初期に、出羽国府が山形に移転され、その際に国分寺が、この地に移転されたようです。

 江戸時代には徳川家の庇護を受けて寛永寺直末寺院となり、天台宗の触頭として末寺23ヵ寺を擁するほどになりました。しかし、明治時代以降は徳川家の庇護を得られず存続困難となり、明治時代の神仏分離令により、隣接する柏山寺の管理となりました。

 当時の薬師堂は明治44年の山形市北部大火により焼失し、廃寺となっていた宝幢寺本堂を移築したのが現在の薬師堂です。

 境内は、薬師公園の中央に位置し、毎年5月8日~10日の祭礼には、全国三大植木市のひとつ「薬師祭植木市」が開催されます。

 

準備中




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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■■【経営コンサルタントのトンボの目】 全国難読&珍読駅名4 難読&珍読駅名で巡る都道府県の旅 15602

2023-12-18 10:20:23 | 経営コンサルタントからのメッセージ

■■【経営コンサルタントのトンボの目 全国難読&珍読駅名4 難読&珍読駅名で巡る都道府県の旅 15602

 故山本修先生は、美容サロンを独立開業され、その経験を元にサロン経営者に「商品管理」「顧客管理」「計数管理」を提案し、サロン経営の生産性向上に成果を上げてこられました。
 日本経営士協会では、専務理事・関西支部長等を歴任され、その貢献度は多大です。その功績に敬意を表して、10年ほど前に、先生が当ブログに投稿してくださったコンテンツを再掲いたします。内容的に、当節にそぐわぬこともあるかもしれませんが、そこから何かを感じ取って下さると幸いです。

◆  全国「難読&珍読駅名」 その4  ◆

   ~ 難読&珍読駅名で巡る都道府県の旅 ~

  「難読・珍読駅名の旅」、今回は、大阪府から愛媛県までの駅名とその由来についてご紹介していこう。

◆「私 市」:きさいち

 (大阪府)京阪電気鉄道交野線・・・交野市(かたのし)
 后(きさい、皇后)の私有地内を「私部内(きさいべのうち)」と言い私市になったとされている。

◆「養 父」:やぶ

 (兵庫県)山陰本線・・・養父市(やぶし)
 「ようふ」と誤読され易い。 竹などが密生している地を意味する藪に別の字をあてたとされる。

◆「用 瀬」:もちがせ

 (鳥取県)因美線・・・鳥取市
 2つの川の合流地点に位置し、瀬が満ちる「満ヶ瀬(みちがせ)」が由来。伝統行事の流しびなが有名である。

◆「万能倉」:まなぐら

 (広島県)福塩線・・・福山市
 山陽道の宿場があった穀倉地帯で農作物を保管する倉庫があったことが語源とされる。

◆「温泉津」:ゆのつ

 (島根県)山陰本線・・・大田市
 「温泉が湧く港」に由来。  温泉地は「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として世界遺産に登録されている。

◆「埴 生」:はぶ

 (山口県)山陽本線・・・山陽小野田市
 「はにゅう」と誤読され易い。 焼き物の原料・埴(はに)を産する地だったことが由来。

◆「府 中」:こう

 (徳島県)徳島線・・・徳島市
 「ふちゅう」と読むと「不忠」に通ずるとして、役所を指す「国府(こう)」と同じ読みを当てたと言われる。

◆「松 前」:まさき

 (愛媛県)伊予鉄道郡中線・・・松前町(まさきちょう)
 松前(まつまえ)と呼ばれることが多い、瀬戸内海に面する港町であり海岸に松林があったことからこの名前となった。
 過去には北海道に同じ字の松前(まつまえ)駅も存在したと言われる。

                        参考文献 週刊ポストより

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月17日 江戸の居酒屋15 隈上苑の映像完成

2023-12-18 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月17日 江戸の居酒屋15 隈上苑の映像完成

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 中国経済の現状がかなり悪化しているというネットニュースを見ました。

 恒大グループだけではなく、複数の大手不動産会社が似たような状況で、日本のバブル期に似た現象が見られるとのことです。

 若者の失業率が20%を超えているそうですが、実際は46%を超えているのではないかという試算もあるそうです。

 世界経済に悪い影響が出なければ良いのですが。

 

 先日の福島出張の際に寄った如宝寺日本庭園・隈上苑の映像作成がようやく完成しました。

 11分の映像にまとまりましたので、お時間が取れる時にでもご覧下さると幸です。

 

 映像作成という「一仕事?」を終え、気分転換に、かねてから興味を持っていた江戸庶民の生活、江戸から学ぶことが多く、時々、江戸に関する書籍を手に取ります。

 

◆江戸の居酒屋 15

 江戸の居酒屋というのは、現代の居酒屋を連想するのとは少々違っていました。

 つまみは味噌とか目刺しくらいしかなかったのです。それをつまみながら升酒をキュッと引っかけることができる場所でしかなかったのです。現代の立ち飲み屋を想像すると近いかも知れません。

 もちろんメニューはありません。時代劇でメニューのような物が壁面に貼ってあったりしますが、あれは時代考証がきちんとできていないのです。

 メニューがないし、その日によって出せる物が異なることがあるので、客は「できますものは?」と訊くのです。

 テーブル席もありませんでした。畳の上に銘々膳やお盆をおくスタイルです。

 では、飲み屋で何かを食べたいときにはどうするのでしょうか。

 持込です。近所の屋台に頼んで、自分が行く飲み屋を指定して持ってきてもらいます。現代の雀荘のスタイルです。

 

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 ロジカル・シンキングと3億円強盗事件 c10

 

 1968(昭和43)年12月10日、白バイ警官に扮した男に三億円が強奪されました。

 東京都府中市にある東芝工場で支給される予定のボーナスを積んでいました。

 多くの物証がありながら捜査は迷宮入りし、1975(昭和50)年に時効を迎えたのです。

 警察の初動捜査、狐目男という人相書きの精度などなど、批判が警察に向けられた事件でもあります。

 狐目男という前提にとらわれすぎ、捜査がそれに振り回されてしまったのです。

 もし、ロジカル・シンキングを学んだことのある、論理思考ができる捜査員がいたら、ゼロベース思考を取り入れ、お宮入りにはならなかったかもしれません。

 ただし、TVドラマによりますと、一捜査員が声を上げても、組織が絶対で、上の命令は金科玉条であり、結局、解決できないで終わったのかもしれませんね。

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
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■【きょうの人】 1218 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう

2023-12-18 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

 

  【きょうの人】 1218 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

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■ 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう


 やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保、正仮名遣:やなぎさはよしやす
 万治元年12月18日(1659年1月10日)-正徳4年11月2日(1714年12月8日)


 江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名で、第5代将軍徳川綱吉も重用され、元禄時代には大老格として幕政を主導しました。

 柳沢氏は、清和源氏の流れを引く、甲斐源氏武田氏一門の末裔を称する、甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆に属しました。

 武田氏の滅亡後、武田遺臣の多くが徳川家康の家臣団に組み込まれ、柳沢氏は吉保の祖父にあたる信俊が、家康に仕官しました。

 寛文4年(1664年)12月18日、館林藩主・徳川綱吉に初めて謁見し、これが契機で後に大役を担うことに繋がります。

 世の中で注目される人は、良きにつけ、悪しきにつけ、チャンスをものにするのが上手と言えます。

 コナン度役などを経験した後、川越城を拝領するなど頭角を現し、常盤橋内の隣地に屋敷を拝領しました。

 翌元禄8年4月21日に駒込染井村の前田綱紀旧邸を拝領し、後にこれが六義園となります。柳澤が、なぜ、遠いかが後に名を残すのか、お恥ずかしながら知りませんでしたが、これで納得できました。

 綱吉から徳川将軍家の菩提寺である寛永寺(東京都台東区上野桜木)の根本中堂造営の姪を受け、成功させます。

 それらの功績が認められ、元禄14年(1701年)将軍綱吉から松平姓および「吉」の偏諱を与えられ、松平吉保と名乗るようになりました。

 犬公方の手伝いをしたり、忠臣蔵の判断に大きく関与したり、桂昌院の官位などでは裏工作をしたりと、綱吉寄りの政策を続けました。

 綱吉死後は、次第にその陰が薄れ、隠居後は、江戸本駒込(東京都文京区本駒込6丁目)で過ごし、綱吉がたびたび訪れた六義園の造営などを行いました。

 

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◆【経営コンサルタントの独り言】 またひとつ羽子板市で年の瀬を感じます C17

2023-12-17 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

【経営コンサルタントの独り言】 またひとつ羽子板市で年の瀬を感じます C17

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ またひとつ羽子板市で年の瀬を感じます C17

 

 12月17~19日には、東京・浅草寺境内で羽子板市が開催されます。

 羽子板市は、年の瀬に行われる行事のひとつで、浅草寺だけではなく各処で開催されます。

 浅草寺では、仲見世通りを始め、境内に露店が並びます。

 縁起物の羽子板ですので、ご祝儀相場で何万、何十万という高値がつくこともあります。  定価というのはなく、丁々発止のやりとりの末、値段が落ち着きます。

 しかし、相場の値段より安く価格が決まった場合には、その差額をご祝儀として売手さんに渡すのが粋な計らいですので、結局定価で購入するようなものです。

 京都の新京極の市も全国的に知られていますね。

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月16日 3章 ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う 3 肩こり防止・解消に繋がる腕と肩回し

2023-12-17 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月16日 3章 ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う 3 肩こり防止・解消に繋がる腕と肩回し

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 冬至も近くなり、今の時期が、日の出が最も遅い時期なのでしょう。

 早朝ウォーキングから帰宅をするころ、ようやく東の空が明るんできます。

 

 早朝ウォーキングの効果を持続または改善するために、今朝のウォーキングで、自分でどの様にやっているのか反復してみました。

 

◆3章 ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う

 

 ウォーキングの効果は知られていますが、その効果をさらに高めたり、付帯的な効果を上げたりするという「ながらウォーキング」をしています。これは、ボケ防止になると痴呆を研究している人達が研究発表をしていますので、それを励行するようにしています。

「ながらウォーキング」も、ウォーキング・ミックス(いろいろな歩行法の組み合わせ)と同様に、いくつかの方法があります。それらを適宜組み合わせてウォーキングすると効果的ですので、その方法を紹介いたします。
 

【 注 】

 ここで紹介する情報は、自分で思考したり、入手したりした情報をもとに、ご紹介します。

 それが皆様にも良い方法であるとは限りませんので、皆様ご自身のご判断で参考にしてくださるようお願いします。

 

3)肩こり防止・解消に繋がる腕と肩回し

 前の体操の続きで、両足を肩幅に広げ、胸を開いて、両腕が身体の前で交差した状態で、腕をそのまま体側方向に回します。これもラジオ体操第一の腕回しの運動と同じです。
 ここでもゆっくりと、掌をできるだけ遠くになるように体操の横から頭上に両腕を挙げ、交差し、両腕を下げて、体側方向水平位置まで挙げて、止めます。
 逆方向に回して、身体の前で両腕が交差するようにします。これでワンセットの運動となりますので、これを繰り返します。前述しましたように、これを6回行います。ご自身のニーズに合わせて、増減してみてください。

 所定の回数が終わった最後に腕を振り上げるときに、両腕を前方に挙げ、掌の最高位置で止めてから、腕を下方に下ろし、その延長上で後ろに回し、できるだけ掌が後になるようにして、腕を後から身体の前方上部方向に回し、腕を下げて身体の後方に腕を挙げて止めます。
 その状態から腕を前に回して、上記とは逆方向に腕を回します。
 前の運動が肩や腕を左右に回す運動ですが、これは肩や腕を前後に回す運動です。
  これも6回またはご自身でお決めになった回数を回します。

 肩の関節を左右と前後に回しますので、四十肩とか五十肩といわれる肩の痛みの予防になったり、関節痛や肩こりの予防や解消に繋がったりします。
 

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 渋沢栄一翁の偉業のひとつが日本文化を支えている? c16

 12月16日は、紙の記念日です。

 1875(明治8)年12月16日に、日本で最初の商業ベースによる紙作りが始まりました。  この製紙会社(当時は「抄紙」といった)を、実業家として名高い澁澤榮一が、大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させました。

 当ブログでも紹介しています飛鳥山には渋沢翁の銅像があります。

 渋沢資料館には、栄一の足跡がわかる資料が満載。その隣には、紙の博物館もあります。

 私は印刷業界との関連で、製紙業界の仕事もずいぶんとしてきました。

 経営コンサルタントが生きていくために、経営コンサルタントとしてのアイデンティティを持つ必要があります。

 印刷関連だけでも結構広い業界で、そこでの経験は他業界でもいろいろと活かせることができました。

  飛鳥山公園・渋沢資料館

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/kitaku-asukayama.htm

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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