20日に仙台空港に着くと
宿の送迎車は海岸に沿った道を走ってくれました。
広い平地を津波が浸食していく様子が
テレビでいち早く放映され、とんでもないことが起こっている
と、ようやく気がついた2年前の映像は、
確かこのあたりのことではなかったでしょうか。
まだ壊れたままの家がまだいくらかは残っています。
塩分のかかった耕地に、今、土を全部入れ替えていく
作業をやっているとのことでありました。
22日に鳴子温泉から石巻へ行きます。
(今回はレンタカー利用ね。)
石巻市立病院跡。 ↓
被害の大きかった門脇地区です。
1年前とあまり状況は変わっていないようです。
うずたかい瓦礫の山は少し少なくなったかもしれません。
ダンプの行き交う工事現場の雰囲気が少し増したかもしれませんが、
依然として荒涼とした風景であります。
火の燃え広がった門脇小学校もいまだそのままでありました。
門脇小学校跡。 多くの児童はこの奥の 日和山公園に避難して助かりました。 ↓
中瀬近くの仮説の石巻市民市場。 ↓
市場の対岸には石森漫画館。 ↓ この日の翌日が復興再オープンの日でありました。
今回は車なので、女川地区まで足を伸ばしてみました。
女川駅のひとつ手前まで石巻線が復旧したばかりですが、
その万石浦沿岸の線路沿いに走ります。
沿岸沿いにマリンパル女川の仮説市場がありました。 もとは港に立派なビルがあったのですが。 ↓
女川の港は、ショベルカーの重機やらダンプカーの行き交いやら
更地が広がっているものの少し復旧の活気もあるようにも見えました。
いくつかの漁船が繋がれていて旗をたなびかせておりました。
ちょうど一艘の漁船が海へ出て行く様子も見ることが出来ました。
それでも大きな鉄筋ビルが土台から横倒しになった姿は
そのままで、当時の津波のすさまじい力をしのばせています。
鉄筋ビルが土台の底をさらして横倒れです。 ↓
海岸にも横倒れの鉄筋ビルが。 ガレージ部分に車がそのままです。 ↓
高台の方に上がってみます。
階段を上がる途中の信号柱。へしおれたままです。 ↓
高台に仮設店舗。 ↓
高台から港を眺めます。 遠くから見ると実に穏やかな春の港の風景でありましたが。
さて、鳴子温泉の宿に戻ると、
岩手県山田町で起きた怪しげなNPOによる
8億円流用事件がテレビで報じられていました。
震災復興を食い物にしていくのは
官僚ばかりではないということですな。(復興予算横流しのことね。)
「がんばろう東北」や「絆」の連呼には少々辟易気味ですが、
こうした事件には、何とも気を滅入らせるものがありまする。
(温泉序での被災地観光の身分ではありまするが。)
私の娘が勤める法人が世話する中国人研修生が突然になくなることがあるらしいのです。こつこつ働いても大した金にならないので、きっと、東北の「危険な仕事」に騙されて連れて行かれたのでは、と心配しています。食い物にする奴もそれに便乗する奴も何ともおぞましい欲の張った姿にいい加減うんざりします。
温泉巡りだけではない素敵なレポートをありがとうございました。
こちらはまだ時差ぼけが治らず、夜中に元気になっています(笑)。
おやおや夜中というか、早朝というか、変わった時間の書き込みですね。
原発労働者の実態も大変なんでしょう。いくつも仲介業者が間に入って、むちゃくちゃなピンハネをやってるようです。ちょっと前に特集するテレビ放映もありましたが。
ようやく、春らしい天気になってきました。桜も五分咲きというところでしょうか。今日は花曇りというところですが、さすがにあったかくなってきています。夜行性ではもったいないですよ。
まあ、それでも無理をされてるでしょうから存分に自堕落に過ごされて身体を休めるべきでしょう。私なんぞ、何の無理をしていなくても自堕落な毎日ですぞ。