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鰻の胆焼き

2013年07月27日 | 江戸飯
 江戸時代の庶民のご馳走と言えば鰻。日本人が鰻を食べ始めた歴史は古く、新石器時代の古墳からも鰻の骨が出土したそうです。記録として明確になったのは713年の「風土記」、759年の「万葉集」になります。
 どのような食べ方をしていたのかは不明ですが、蒲焼きとして登場するのは、ぐっと時代が下がって1399年の「鈴鹿家記」になります。ですがこの蒲焼きとは、鰻をぶつ切りにしたり、丸のまま串を打いて焼き、味噌や酢をつけて食べていたそうです。
 あまり美味しそうに思えませんね。
 現在のように鰻を生きたまま裂き、骨を取り、串を打ち味醂と醤油のたれの調理方法が生み出されたのは、江戸時代中期以降1750年前後と言われています。
 見た目にも香りも、ぐっと美味しそうになり、高級な料亭から、屋台まで、値段に合わせた鰻の見世が出現するようになり、江戸っ子に広く普及していきました。
 そして鰻と言えば、土用の丑の日にうなぎを食べる習慣ですが、これも江戸時だから続いていますが、発案者は誰かご存じですか? あの、有名な発明家です。
 答えは、蘭学者でもあり発明家、戯作者と幅広い才能を示した平賀源内です。全く鰻が売れずに困っていた知人に頼まれ、売れ行きを伸ばす為に考え出した「土用の丑の日」だったそうです。
 丑の日=うのひ=うなぎで、ゴロが良いといったところだそうですが、土用の丑の日は暦で言えばちょうど節目に当たるので、
新しい期間に入る為に体力を付けて乗り切ろうと
滋養強壮が強いうなぎを食べる意味合いも重なり、習慣化した模様。
 と、うんちくが長くなりましたが、この夏の丑の日は、7月22日と8月3日。時期的には中途半端ですが、このところ疲れが溜っているので、蒲焼きならず胆焼きを食しました。
 だって、蒲焼きって高過ぎると思いませんか? それに蒲焼きにはない苦味も好みです。








 地方によっては鰻に限らず土用の丑の日には、「う」の付く食べ物を食すそうです。例えば、牛肉(うしにく)、梅干、瓜、うどん…。うどんで良いのですか?

 今日は久し振りに晴れて良い天気ですが、それでも地面がじっとりと湿気をおびているせいか、全体にカラッとはしていません。こういう日はいつにも増して蚊が多く、ちょっとした出入りの隙に蚊が室内に入り込み難義しています。
 運河だらけの江戸で、今のように密閉住宅でない時代、そうとう蚊には悩まされたでしょうね。




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