「やっぱり自分は田舎者だなあ」と思う時。そのひとつが、特別な日は寿司がご馳走だと思っていることです。やはり寿司は、キング・オブ・ご馳走なのです。
次が天丼かな。普段は出前でカツ丼を頼んでも、特別な日は天丼を奮発です。今は出前なんかとったことないですけどね(笑)。
そんな特別の日だったので、特別にこの前よりも豪華な寿司を食べました。お陰で財布の中は60円しか残っていません。頭の中で、税額を足したりもしながらの、綱渡りの様な買い物でした。
そんな寿司は、美味しかったあああっ。普段はTパックの安いお茶を飲んでいますが、特上のお茶を入れました。
東京に居た頃、「ぐるぐる回る寿司なんか、喰ったことない」。と息巻いていましたが、海外に住んでからは回転寿司は必須になり、それが今では、回転寿司さえ手が届かずに、スーパーの惣菜です(笑)。

書いていて思ったのですが、どうして「お」を付ける食べ物とそうでない物があるのでしょう。寿司はお寿司と言いますが、天丼はお天丼とは言わない。すき焼きもおすき焼きとは言わないですが、それよりも庶民的なお好み焼きは好み焼きとは言わず、同じ様なたこ焼きもおたこ焼きではないのです。
稲荷鮨に至っては、お稲荷さんと、「お」と「さん」まで付いちゃう。
お茶は茶よりもお茶が一般的ですが、おコーヒーなんて言う人はいないし、お紅茶って言う人って鼻持ちならない感じ(笑)。
この法則を考えていたら、江戸時だからある物には「お」が付いているような気もしてきたのですが、いや、鰻丼をお鰻丼とは言わないし…。分からなくなってしまいました。ゴロが良いってことですかね。
それはそうと、絶対に許せないのが、「お薬手帳」。なんで薬に「お」を付けなくてはならないのだ。そんな「お薬手帳」、断固拒否しているのですが、薬剤師(何故か偉そうな人が多い)は、「お薬手帳は、ほかの病気で掛る時に見せなくてはならない」と言うので、「袋の薬名を記録しています」と言っても聞きやしない。どんだけ拒否しても次に行くとまた、「お薬手帳が…」と言い出すのです。
この「お薬」という言葉を聞いただけで、自分の中のメトロノームは振り切れ、沸点は超えているのです。何時、何処で、誰が、決めたのか「お薬手帳」。海外から帰国したらそんなことになっていました。
香港では見知らぬ女性を呼ぶ時に、「小姐(しうじえ)」と言います。「唔該(むこーい)、小姐」。日本語なら、「ちょっとお姐さん」とか、「すみません(謝罪の意味ではない、おかしな通用語)お姐さん」といったところです。
ですが、同じ「小姐(しゃうじえ)」でも、中国大陸になると、所謂、商売女を指す意味となるので、決して使ってはいけません。これを知らずに一般女性に「小姐」などと呼び掛けると、血を見ることに成り兼ねません。
因に、「唔該」は、オールマイティの言葉で、日本語の「すみません」とほとんど同じに使えます。英語なら「エクスキューズミー」になります。
しかし、この「唔該」に該当する言葉が大陸にはないのです。それだけ他人に気を遣わずに済むと解釈しました。
また、お勘定の時、香港では「唔該、埋單(まいたん)」と手を挙げて叫びますが、おかしなことに、大陸でこの「埋單」は使われています。正し、中国語ではなく、広東語として、なぜか「埋單」だけが使われているのです。これは不思議な気がしました。「埋單」と二言で済む便利さが流行らせたのか…分かりません。

次が天丼かな。普段は出前でカツ丼を頼んでも、特別な日は天丼を奮発です。今は出前なんかとったことないですけどね(笑)。
そんな特別の日だったので、特別にこの前よりも豪華な寿司を食べました。お陰で財布の中は60円しか残っていません。頭の中で、税額を足したりもしながらの、綱渡りの様な買い物でした。
そんな寿司は、美味しかったあああっ。普段はTパックの安いお茶を飲んでいますが、特上のお茶を入れました。
東京に居た頃、「ぐるぐる回る寿司なんか、喰ったことない」。と息巻いていましたが、海外に住んでからは回転寿司は必須になり、それが今では、回転寿司さえ手が届かずに、スーパーの惣菜です(笑)。

書いていて思ったのですが、どうして「お」を付ける食べ物とそうでない物があるのでしょう。寿司はお寿司と言いますが、天丼はお天丼とは言わない。すき焼きもおすき焼きとは言わないですが、それよりも庶民的なお好み焼きは好み焼きとは言わず、同じ様なたこ焼きもおたこ焼きではないのです。
稲荷鮨に至っては、お稲荷さんと、「お」と「さん」まで付いちゃう。
お茶は茶よりもお茶が一般的ですが、おコーヒーなんて言う人はいないし、お紅茶って言う人って鼻持ちならない感じ(笑)。
この法則を考えていたら、江戸時だからある物には「お」が付いているような気もしてきたのですが、いや、鰻丼をお鰻丼とは言わないし…。分からなくなってしまいました。ゴロが良いってことですかね。
それはそうと、絶対に許せないのが、「お薬手帳」。なんで薬に「お」を付けなくてはならないのだ。そんな「お薬手帳」、断固拒否しているのですが、薬剤師(何故か偉そうな人が多い)は、「お薬手帳は、ほかの病気で掛る時に見せなくてはならない」と言うので、「袋の薬名を記録しています」と言っても聞きやしない。どんだけ拒否しても次に行くとまた、「お薬手帳が…」と言い出すのです。
この「お薬」という言葉を聞いただけで、自分の中のメトロノームは振り切れ、沸点は超えているのです。何時、何処で、誰が、決めたのか「お薬手帳」。海外から帰国したらそんなことになっていました。
香港では見知らぬ女性を呼ぶ時に、「小姐(しうじえ)」と言います。「唔該(むこーい)、小姐」。日本語なら、「ちょっとお姐さん」とか、「すみません(謝罪の意味ではない、おかしな通用語)お姐さん」といったところです。
ですが、同じ「小姐(しゃうじえ)」でも、中国大陸になると、所謂、商売女を指す意味となるので、決して使ってはいけません。これを知らずに一般女性に「小姐」などと呼び掛けると、血を見ることに成り兼ねません。
因に、「唔該」は、オールマイティの言葉で、日本語の「すみません」とほとんど同じに使えます。英語なら「エクスキューズミー」になります。
しかし、この「唔該」に該当する言葉が大陸にはないのです。それだけ他人に気を遣わずに済むと解釈しました。
また、お勘定の時、香港では「唔該、埋單(まいたん)」と手を挙げて叫びますが、おかしなことに、大陸でこの「埋單」は使われています。正し、中国語ではなく、広東語として、なぜか「埋單」だけが使われているのです。これは不思議な気がしました。「埋單」と二言で済む便利さが流行らせたのか…分かりません。

