八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

星飛雄馬のように

2013年03月10日 06時25分13秒 | リハビリ・ADL
【体重】
 72.3kg  → 先週=72.5㎏、2週前=72.8kg、3週前=73.2kg、1月前=なし
          2013年=72.3㎏、12年=71.5kg・・・07年=79.7kg
          BMI=24±1 → 体重=69.2~75.3㎏が目標(ちなみに身長は173.5cm)

【血圧(高―低、mmHg)】
  3月=113-72  → 2月=110-61 1月=106-60

【特記】
  私がやっていることは自己流リハビリと言っているけど、
  本当はマヒを身体から追い出すべく、自分の肉体を改造してきたのでは。

  だって、私の負った痙性マヒでは、
  運動すると筋肉が硬直してかえって動けなくなるマヒだから、歩こうとすればするほどかえって歩けない。
  大学病院の先生が言ったとおり、橋出血では将来とも絶対に歩けないから、早く車イスのリハビリを・・・になる訳だ。
  ふざけるんじゃない、ブタもおだてりゃ気に登る。
  大学病院リハビリ科の教授ともあろう者が、患者のやる気を削いでどうするよっ!!

  そこで、私は思った。
  動かそうとすればするほど筋肉が硬直するマヒなら、
  身体に運動させて硬直することを繰り返しているうちに、そのうちマヒ打ちに勝って、
  筋肉が硬直しないようになり、歩けるようになるかも知れない。
  つまり、あの星飛雄馬のように、自分の身体を痙性マヒに打ち勝つ肉体に改造してやる!、と。

  空手バカ一代というのがあったけど、さしづめ私のは足踏みバカ。
  ろくすっぽできもしない足踏みを、呆れるくらい15年もよくやってきたよ。
  でも、全然止める気はなかったね。
  たとえ微々たるくらいでも、マヒ足の重苦しさが改善していることを感じとっていたから、平気で意気軒昂にいられた。

  でやってきた15年、答えはまだ出ていないけど、最近はマヒとの喧嘩は私が勝つのではと実感している。

   ps:意識回復した直後の4肢がピクとも動かなかった症状が、私のセカンドライフの原点だったから、
     良い側の高度化によりマヒ側の機能補完を図るという伝統的なリハビリには大いに不満があった。
     だからたとえどんなに時間がかかっても、自分の負ったマヒと真っ向勝負を挑むことになった。
     リハビリの考え方については、そのようなこともあって、マヒをより真っ正面から捉えつつ、
     患者の人生の質的向上の観点から機能回復を捉えているニューロリハビリに共感している。
コメント (2)
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