内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

実家での思い出と今

2013-07-10 18:00:00 | 雑感

 実家は、私の父方の祖父が戦後購入した今の土地にずっとある。神社の鳥居からまっすぐに伸びた道の正面にあり、つい数年前までは、樹齢数百年の松の木が実家の目の前に聳え、タクシーで帰宅するときなど、その神社と松の名前を伝えれば、大抵の運転手さんにはそれ以上道順を説明する必要がなかった。22年前に家を建て替え、私が生まれ育った旧宅は跡形もない。樹木草花が所狭しと植えられていた庭も建て替えの際に潰されてしまった。その庭は決して広くはなかったが、幼少の頃の私には自由に遊び回れる楽園のような場所だった。友達と隠れんぼしたり、木登りをして、誰が一番高いところから飛び降りることができるか競争したり、地下に秘密基地を作るという壮大な計画を立てて、庭のあちこちを掘り返しては親に怒られていた。回想し始めると、次々に思い出の場面が蘇ってくる。
 生まれてから渡仏するまでずっと住んでいた、その同じ場所にある実家に帰ると、旧宅はもはや思い出の中にしかなくとも、やはりホッとするのだろう、普段は心の休まることのない日々を送っている私だが、昨夜は熱帯夜にもかかわらず、比較的よく眠ることができた。帰国以前から蓄積していた疲労に加え、大阪での最初の3日間の寝不足、その上にこの記録的な猛暑で、体の抵抗力もいつになく落ちていたから、この実家での休息は干天の慈雨のようにありがたい。普段は男手のない実家では、帰る度にいろいろと雑用を家の者から頼まれてしまうが、それくらいはお安いご用と、二つ返事で気持よく(と少なくとも自分では思っているが)引き受ける。学生時代までは、そういう頼み事には、いつも不承不承、いかにも面倒くさそうにやっていた自分が思い出され、それくらいは大人になったかと一人で苦笑する。それに、大阪では宿泊先で自炊ができないので、外食か出来合いのものを買って食べるほかなく、そうするとどうしても栄養バランスがくずれ、特に野菜不足になりがちなので、実家でこうして栄養補給できるのは、ちょうど長時間の過酷な耐久レース中にピットインするようなもので、必要でさえある。まだまだリタイアなどするわけにはいかないのだから。
 それにしてもこの猛暑である。用もないのに外出する気にはとてもなれず、夕方酒屋に配達の注文に出かけた以外は終日家居。
 大阪に着いたその日に、その実家に住んでいる大学2年生の娘から、「政治思想」の講義の課題レポートについてアドヴァイスがほしいとSOSメールが入った。全般的な注意と書くときのポイントをメールで伝えた後、私自身その課題図書である福田歓一『近代の政治思想』(岩波新書)を、滞在先の大学の図書館で借り出して読みながら、娘から送られてきた草稿にWORDで詳しいコメントをつけていく。昨晩、そのコメントを基に直接本人と話すつもりだったが、2人とも疲れ過ぎていて今日に順延。先程まで、同じ部屋で「共同作業」。それぞれ自分のコンピューターに向い、Dropboxで文書を共有したうえで、私のコメントについて娘が質問し、それに対する私の答えを考慮しながら、自分の草稿に手を入れていく。かくして、課題のうちの3000字の要約の方はひとまず終了。後は論評1000字。まずは本人の問題意識にしたがってテーマをよく限定するようにと簡単なアドヴァイスだけ与える。今、本人は自室のベッドに寝そべり、自分より一つ年上の、この8月に20歳になる愛猫を撫でながら、「構想を練っている」、ように見える。