内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「アホ」リズム(二)― 動物の権利をめぐる論争は、ヒト同士の間の「代理戦争」か

2022-04-14 02:20:27 | 哲学

 動物の権利を主張し、肉食を殺害行為の一環として告発・弾劾する反肉食主義者たちが提起する議論には、当の「被害者」である動物たちは常に不在である。それは、殺害されてしまったから不在なのではなくて、「被告」であるヒトたちと共通言語を持ちえないという理由で、動物たちはそもそもこの議論に参加することができないからである。
 アニマルウェルフェアの観点から、家畜の劣悪な飼育環境を告発する場合も、訴えを起こすのはつねにヒトであって、動物たち自身は「原告」ではありえない。動物たちが「証人」として証言台に立つこともない。動物たちは、どこまでも「サイレント・マジョリティ」なのである。
 動物の権利をめぐる論争は、いつもヒトたちによる「代理戦争」である。代理である以上、動物たちの「意」を汲み、彼らの「苦痛」を理解し、彼らの「主張」をヒトの言語に翻訳しているはずである。であるとすれば、これは、動物たちの「味方」であるヒトたちが、不当な扱いを受けている動物たちに代わって、動物たちの「仇敵」であるヒトたち向かって仕掛ける闘いである。動物たちのためのヒトによるヒトに対する闘いである。
 いや、ほんとうにそうだろうか。動物の権利をめぐる論争は、実のところ、「動物たちの幸福のために」という錦の御旗の下、「動物倫理学」あるいは「動物権利論」という形を取った、ヒト同士の論争であり、ヒト同士の間のイデオロギー論争あるいは主導権争いなのではないか。いや、それだけではない。その「聖戦」の背後には、動物そっちのけのヒト同士の経済的・政治的利害をめぐる争いが隠されていはしないのか。とどのつまり、ヒトによるヒトのためのヒト同士の争いに過ぎないのではないか。